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もう、わたしなしでは生きていけないようだ。

うちにはエテという名前のトイプードル9歳の女の子がいる。繁殖引退犬で悪徳ブリーダーが手放したところを保護され、里親を探している時にわたしと出会った。当時彼女は5歳。それまでの犬生をほとんど小さなゲージの中だけで過ごしていた。そのころ彼女の目は「誰も信じてません」と言っていて、しかし感情も知らないまま生きてきたので怒りすらなく、ただ戸惑って逃げ回り誰にも懐いていなかった。

エテは保護犬ばかり集められた犬カフェで世話されていて、たくさんのワンちゃんたちと8ヶ月ほど暮らしていた。甘え上手なワンちゃんから次々に貰われていく中なかなか懐かないエテは売れ残っていて、保護主さんも心配していたそう。エテはずっとそこにいられるわけではないことも何故か分かっているように、ここは自分の場所ではないと言うように、遠慮がちに部屋の隅にいて。どうしていいか分からない、でも甘えるということも知らないで育って、本当に困惑していたのだと思う。

初めて会った日からそういう目つきをしていて、引き取っても一生懐くことはないかもしれないと覚悟していた。攻撃してくることもないのだけど、この子が心を開いて笑顔を見せてくれる日は来ないかもしれないと思った。

多分、ゲージでの5年間は満足にたくさんご飯をもらったことがなかったので食に関しては貪欲で、カフェのお客さんにおやつがもらえるときだけは前に出てきてアピールしていた。群がっていれば怖くなくおこぼれが貰えたのだ。食べれる時に食べておかないとお腹減っちゃう、と本能的に覚えてしまっているようだった。今でも食べるということは大好きで、いつどんなものをあげても喜んで食べる。病院のお薬だってペロリ。なのに人間の食べ物を勝手に食べたことはないから、本当に賢い子だと親バカながら思う。まあ自分のうんちはペロリしちゃうこと、あるんだけどね。

保護犬にもいろんな生い立ちがあるとは思うけど、エテの場合は人間と暮らす上での躾などは一切されることがなかった。なので、おもちゃで遊んだり芸をしたりは当然ながらできないし、所定の場所でトイレをすることもリードをつけてお散歩することも出来なかった。表情もほとんど無表情で、尻尾を振ることもなかった。不思議なことに何かを訴えたくて吠えるということもしなかった。大声出したって無意味だと思い知らされるような経験をしてきたのかもしれない。

それでも、ただこの命を守ろう。この一つの命にわたしが責任を持とう。
そう覚悟して、あの夏、エテと家族になった。
彼女がわたしを愛さなくても、わたしは彼女を愛していく。守っていく。それだけでいいと思った。

結論から言えば、いま彼女はとてつもなくわたしを愛してくれている。もうそれはストーカーのごとく四六時中一緒にいたがり、一瞬でも会えないと会えた時に全力で喜びを爆発させてくれる。もう、わたしなしでは生きていけないようだ。
正直、恋人ならこんなに濃く重たい愛情はごめんだが、エテが与えてくれるものは何でも嬉しいし、自然なことのようにそこに存在する。関わること全てが苦にならない。

一緒に生きていく覚悟というのは、こういう景色を見せてくれるのか。本当にエテに出会えて良かった。人に対して優しくできるのは、エテのことを好きでいさせてくれているからだと思っている。誰かのことを愛おしいと思う気持ちが、わたしの周りを平和にしてくれている。

一緒に暮らし始めて4年目。
ひたすらに愛情をジャブジャブ注ぎ続けたら、どんどん嬉しいや楽しいを知って表情豊かになっていく彼女をみて、愛情って裏切らないなと思った。


#うちの保護いぬ保護ねこ

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