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誰かのことを愛しいと思えないなんて、言われたくない。

わたしはデミセクシャルなので普段ほとんど性的欲求がない。多分「平均」の人達からしたら、わたしはほぼほぼアセクシャルと一緒だ。

(両者の違いについてはひとまず置いておいて。)「平均」の人達は、アセクシャルは恋愛できないと思っているようだと感じることがある。あるいは抗えない欲求について知らないだけだと決めつけている。

先日漫画の中でアセクシャルの子に向けて言い放たれたセリフに腹が立った。「本当に好きな人に出会ってないだけだよ」性的欲求がない程度のそれは本当に好きなわけじゃない、というのだ。
実はわたしも若い頃同じようなことを言われたことがある。当時は本当に未熟だったしそうなのかもと受け入れていた。今なら言い切れるが、そんなことはない。性的に求めたいものが一切無くても、誰かのことを好きだと、愛おしいと思う気持ちはたしかにここにあって、誰にも否定は出来ないはずだ。気持ちとはその人自身のものなので、外側のメジャーで勝手に測って真偽を押し付けるのはやめていただきたい、と漫画にキレた。(が、この漫画は好きです、良かったので紹介はまた今度)

この時このアセクシャルくんも「自問自答なら死ぬほどしてきた」と、心の中で言っていて余計に自分を重ねた。わたしも感じる違和感や気持ちを自分の中で幾度と掘り下げて、何度も何度も考えて向き合ってきた。その上で確信しつつあることが全部勘違いだと、なんで言われなきゃいけないんだ、と思ってしまったのだ。
「平均」の人には分かり得ないかもしれないが、世の中にはたしかに、身体的繋がりを求めない愛がある。

この間こんなこともあった。仲の良い後輩の「欲求はないんですか?」の一言。あって普通だよね?というニュアンス。わたしではなく二十代男子に向けられた質問で、客観的に考えても「平均」チームの彼女がそう言う気持ちも察せるし、全く不自然ではないけれど、わたしは密かにショックを受けていた。

否定されたように感じたわけではなく「そうじゃない可能性を考えていない」ことに、ほんの少し寂しく残念な気持ちになったのだ。

しかし問題は彼女ではないと思っている。彼女は悪くない。世の中にそういう人もいるという情報がビックリするくらい浸透していない。こんなにも情報社会なのに「平均」の人達をはじめみんなが知り得る機会がなかなか少ない。当事者であるわたしもつい最近ようやっと自分の正体を知り、まだまだその世界については分からないことだらけだ。

だからこそ、ん?と思った誰かに届けばいいなと思って、すごくわたし自身の話を僭越ながらネットの片隅に書き始めた。

声を大にして言いたい。デミセクシャルのわたしでも恋はできます!(多分アセクシャルの人も)
性的欲求がないからって、誰かのことを愛おしいと思えないなんて、言われたくない。

色んな人がいる、色んな「普通」があるってことがもっと広まればいいなあ。

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