ほぼ、というのは、多分
近頃のちょっとした悩み。
「人を好きになるのに性別は関係ない」と話すと、あぁバイセクシャルなのね、と言われること。確かにそういう意味で言う人もいるかもしれないなあ、でもそうじゃないんだよなあ。
わたしはパンセクシャルなのだ。
わたしが考える、バイとパンの線引きは「性別が関係あるかどうか」
つまりバイの人は無自覚でも性別を意識した上で異性も同性も好きになる。男性が女性を好きになる感覚(あるいはその逆)と男性が男性を好きになる感覚(あるいは女性が女性を)の両方が分かる人。
一方パンの自分は、性別というものが全くない状態で”人間”を好きになる。
例えるなら、犬も猫も好き(犬には犬の、猫には猫の、それぞれの魅力を感じることができる)なのか、犬か猫かは関係なくてただその生き物が好きなのか、みたいなこと。
一応、見識者のご意見も調べてみたけれど、同じような結論。
パンセクシャルにとって好きになることに性別は関係ないので、相手の性自認が男性でも女性でもない場合やXジェンダーでも同じで、垣根はない。
たまに「異性だったらあなたと恋人になりたかった」みたいに同性へ言う人がいるが、わたしにはそのパターンがない。性別で諦めることはない。性別はなんのハードルにもならない。
大前提として、セクシャリティーは十人十色、正解はないし、同じパンの中にも私が言っていることが理解できない人はいると思う。もしかしたら、わたしがパンロマンティック且つデミロマンティックだから、バイセクシャルと一緒にされると違和感を感じるのかもしれない。ちょっとアセクシャルっぽい要素も自覚している。
結局どちらも一緒に感じる人もいると思うけれど、当事者にとって違うのならそれは違うものとして伝わってほしい。が、なかなか難しいと感じるこの頃。
やはり世の中が知識として持っている情報が少ないのが原因のような気がする。
ついでに「性別は関係ない」という感覚の話。
わたしは、男性らしい女性らしい、みたいな魅力があんまり分からない。その人がその人だから好き。(そもそも男性らしい女性らしいってなんだ、みたいな気持ちもある。)考え方や言葉やセンス、生き方などに惹かれるので、肉体的特徴は完全なるオマケ。あってもなくてもいい要素だし、好きだから何でもいいとも言える。
例外として、「会ったことないのに一方的に知っている」状態の芸能人はイメージだけで好きだと感じることがあるし、そのとき男性的でかっこいい、女性的でかわいい、などと思うことはある。普段は人間性にしか惹かれないが、人間性を知りようがない存在なので何だか別の「好き・嫌い」の区別が自分の中にあるようだ。自分でも不思議・・・
最近気付いたが、友情と恋愛感情の違いもほぼない。ほぼ、というのは、多分というかまだ自分でもよく分からない部分があるのだけど。
「人として好き」
これが全てなので、そう思える相手とは仲良くなれるし、時間を共有できるし、一緒に生きていける。これがわたしにとっての友情?(はてな、がついちゃう)
その中でもさらに尊敬の思いが強く深い信頼関係があるとき、「他の誰でもない、この人と一緒に生きていきたい」というパートナーシップ欲みたいなのが芽生える。これがわたしにとっての恋や愛というもの? のような気がしている。
ちなみにこの段階にも性欲はほぼない。(全くない、と言えた方が分かりやすいのにこれまたややこしいもので、千年に一度くらい稀にムラっとすることもある、そんな生き物なわたしです。)なのでそれを友情か愛情かの区別には使えない。
自分でも、自分になんと名付けていいやら分からないし、何と説明すれば他人に伝わるのだろうと悩む。わたしがわたしらしくいるために、伝えていきたいと思えば思うほどその複雑さに自分でもびっくりする。
ただ一つ大事にしていることは、世の平均の感じ方や生き方が出来ない自分と同じような仲間が潜在的にたくさん居て、自分達は全く特別ではない、異常ではないということ。
ほとんどの人に理解されなくても、でもわたしはこう感じるんです、これがわたしの普通なんです、と話し続けたい。どこかで誰かの孤独を救えてるかもしれないと信じて・・・
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