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【奥田元宋】 日本画 / 色紙に彩色 「ばら」 査定 鑑定 買取 致します

ばら
奥田 元宋
色紙に彩色、27.1×24cm


◎奥田元宋の芸術について

奥田元宋(おくだ げんそう、本名:厳三、1912年6月7日 - 2003年2月15日)は、日本の著名な日本画家であり、日本芸術院会員でした。広島県双三郡八幡村(現・吉舎町大字辻)に生まれ、小学校の図画教師であった山田幾郎の影響で中学時代から油彩画を始めました。彼は同郷の洋画家南薫造に憧れ、広島に来た斎藤与里の講習会にも参加して学びました。

1931年に日彰館中学校を卒業後、上京し、日本画家児玉希望の内弟子となりましたが、1933年に自らの画技に対する懐疑から師邸を離れ、文学や映画に傾倒しました。しかし、1935年に再び希望に師事し、画業に専念しました​​。

1936年には新文展鑑査展に「三人の女性」が初入選し、1938年には谷崎潤一郎の『春琴抄』に触発された「盲女と花」で特選を受賞しました。1949年には日展で「待月」が特選を受賞し、1950年には児玉塾や伊東深水の青衿会の私塾関係の作家を集めた日月社の結成に参加しました。彼の作品は、実景を基としながらも心象風景を追求するようになり、1962年には「磐梯」で文部大臣賞を受賞し、翌年には日本芸術院賞を受賞しました​ ​。

1973年には日本芸術院会員となり、1975年から1977年まで日展理事長を務めました。1975年の第7回日展に出品した「秋嶽紅樹」以降、「元宋の赤」と称される鮮烈な赤を主調とした風景画を制作するようになりました。また、1981年には真言宗大聖院本堂天井画「龍」を制作し、文化功労者として顕彰され、1984年には文化勲章を受章しました​。

晩年には京都銀閣寺の庫裏・大玄関、および弄清亭の障壁画を完成させ、2000年には『日本経済新聞』に「私の履歴書」を連載しました。彼の作品は、2002年から2003年にかけて広島県立美術館、練馬区立美術館、松坂屋美術館、茨城県近代美術館、富山県立近代美術館で回顧展が開催されました​​。

奥田元宋は、その生涯を通じて日本画の発展に大きく貢献し、その鮮烈な赤を基調とした作品は多くの人々に愛されています。


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