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能動的な夢中

日々目まぐるしく成長する人工知能に触れ、自分の脳内コンピュータは疲れて、一種のディストピアを覚え、冷たい気持ちになっている。なのに、リアルワールドでもディストピアが繰り広げられていて、そこには救出される人間、救出する人間がいることを知り、温かい気持ちになっている。同じディストピアなのに真反対の不思議な気持ちを体感している(Source:Olafur Eliasson)

人工知能が人間の知能に達し、人間と人工知能の知能の区別がつかなくなる時もそう遠くないのかもしれない。5年前には遠い未来でいつか来るだろうと考えていたが、今となってはすぐに来るだろうと考えている。今まさに成長を遂げている汎用的な人工知能を体感すると、これは敵わない、と思ってしまう。成長に夢中な人工知能は止まらない。

改めて原初に立ち返り人間の存在意義を考えている。世間では何度も議論されていることだが考えてみたい。能動的な夢中が欲しい。インターネットに溢れる情報に身を委ね夢中することはできる。好きなマンガもアニメも映画もアイドルも芸能もゴシップも、それらに夢中になることはできる。ただそれは受動的な夢中にすぎす、あくまでずっと消費者側でコンテンツを消費しているだけ。それはそれで心地が良いのもわかっている。

能動的な夢中を得ることが人間のエゴである。人間の存在意義はそのエゴであり、受動的に快楽を享受している側はそのうち人間か人工知能かの区別がつかなくなるはず。夢中や没頭は自分から手に入れる。そのために何をすべきか頭を捻ることが今、まさにエゴい時代。

あなたがNetflixを見て得られた喜びや悲しみは受動的な夢中かもしれない。
エゴさが求められる、エゴく生きよう。


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