ボランティア情報2015年11月号「市民文庫書評『ルパート・スミス 軍事力の効用~~新時代「戦争論」』」とちぎボランティアネットワーク発行
『ルパート・スミス 軍事力の効用~~新時代「戦争論」』
ルパート・スミス著 山口昇監修、佐藤友紀訳 原書房 定価3800円+税
評者 白崎一裕
ちょうど、この書評を書いている最中にパリの「同時多発テロ」がおきた。詳細は未だわからない事が多いがIS(イスラム国)が犯行声明を出し、フランス大統領のオランド氏は「これは、戦争行為であり、あらゆる手段を駆使して戦う」とマスコミに対して発言している。テロではなくて、これは「戦争だ!」と国民をあおるような発言は、あの9.11のアメリカ同時多発テロのときも、当時のアメリカ大統領ブッシュ氏が発言したと記憶している。この二人の政治指導者の「戦争だ!」という発言の裏にあるイメージは、どのようなものなのだろうか。おそらく、それは、国家同士が軍事的武力で戦いあうというものがベースとなっているだろう。
しかし、本日ご紹介する本の著者、ルパート・スミスは、本書序論の冒頭で「もはや戦争は存在しない。」と断言している。著者のスミスは、まやかしを言っているわけではない。著者は元イギリス陸軍大将で欧州連合国副最高司令官、そして湾岸戦争イギリス陸軍機甲師団長、ボスニア紛争では国連軍司令官として作戦に参加するというバリバリのエリート軍人で実戦経験も豊富である。そのプロ中のプロが「戦争は存在しない」と言っているのだ。スミスは、世界の対立や紛争、戦闘は確かに存在していて、権力の象徴としての軍隊を保有する国家も存在している、がしかし、一般の人々がイメージする戦争、戦場で兵士と兵器の間でおこなわれるような戦争はもはや存在しないと言うのだ。ここには、著者の長年の豊富な経験から導きだされた「戦争のイメージと実体」が歴史のなかで変化してきたという主張が盛り込まれている。
私たちが戦争と聞いて脳裏にイメージされるものは、スミスによれば、【国家間戦争】(Inter state industrial war、国家間による産業・工業化された戦争)であり、そのような戦争は存在せず、戦争というものは、新しいパラダイム(思考の枠組み)に移行したというのだ。その新しいパラダイムとは【人間(じんかん)戦争】(War among people、人々の間での戦争)ということだ。本書は、この【人間(じんかん)戦争】への移行を説明するために、欧州のナポレオン戦争から1945年の第二次大戦終結、そして、1945年から89年までの移行期、そして1991年から現在までの【人間戦争】パラダイムの確立までの「近・現代世界史」を戦争を軸に見事に批評している。特に評者が注目するのは、ナポレオン戦争により確立された【国家間戦争】は、19世紀から20世紀初頭にかけての産業・工業化(インダストリー)された科学技術力の国力化と並行して発展をとげ、その恐るべき集大成として第一次・二次世界大戦にいたるという部分だ。この産業・工業化現象は、場合によっては大衆民主主義をも取り込み戦争遂行のために国民、軍隊、政府の三位一体総動員体制をも確立していくことになる。しかし、この【国家間戦争】は第二次大戦の日本において、あの8月6日と9日(広島・長崎)で完全に終止符を打たれることになる。皮肉なことに、【国家間戦争】を主導した産業・科学工業化の頂点に登場した原子爆弾(核兵器)の登場がすべての【国家間戦争】を不可能にした。その後、冷戦という現象が【国家間戦争】のイメージを引きずってはいた。
しかし、世界は【国家間戦争】の中で登場した【人間(じんかん)戦争】へ徐々に移行することになる。【人間(じんかん)戦争】とは、具体的には、ゲリラやテロ地域紛争などの形態をとるが、スミスはその行為内容を分析している。【人間戦争】とは、
● 戦場で戦うのではなくて、一般市民のなかに入り混じって戦う。● 我々が戦っている紛争は果てしなく続く傾向をもち、終わることはないのかもしれない。● 交戦している双方ともに国家という体裁をとっていない。国家が多国籍軍を組織して、国家でない連中を相手にする ~~ などという具合である。
この夏、日本でも政治の場では、「安保法制」が議論され可決された。しかし、この議論をすすめた人達は、スミスの言う戦争のパラダイム転換を意識していたか?という疑問を評者は持たざるを得ない。そして、最後に。NGO,NPO関係者で海外援助や国際交流にたずさわる人々にも、ぜひ本書の軍事分析を読んでいただきたいと思う。
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