「ボランティア情報2021年新年号、市民文庫書評・予告掲載」(とちぎボランティアネットワーク編)『ブルシット・ジョブークソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・グレーバー著 酒井隆史、芳賀、森田訳 岩波書店

『ブルシット・ジョブークソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・グレーバー著
酒井隆史、芳賀、森田訳 岩波書店 定価3700円+税

評者 白崎一裕

ずっと人間はなぜ働くのかと考えてきた。「食うために働くのさ、余計なことは考えるな」と父親は言った。思春期の評者は「確かにそうかもしれない。でも、食うためなら何でもしなきゃいけないのか」と反論したくなった。それが原点だった。その原点から、ずいぶん遠くまできたような気もする。

マルクスは労働疎外といった。労働すればするほど貧しくなり、労働の成果は自分のものではなく、自分によそよそしいものになるという。それならば、疎外されない労働をめざせばいいんじゃないか。イリイチは、シャドウワークといった。産業化する陰で、不払い労働がどんどん増えていく。たとえば、遠距離通勤、むだな受験勉強、そして最も明確なものに、女性たちが多く担ってきた家事労働がある、そういうシャドウワークにただ乗り・寄生することにより、産業社会は成長することが可能になった。それならば、不払い労働を賃金労働に転換すればいいじゃないか。そして、ケインズは1930年にこう発言した。私たちの孫の世代である20世紀末までに、英国や米国ではテクノロジーの発達により、週15時間労働するだけでよくなるだろう。それならば、私たちは、食うための労働から解放されて自由な時間を存分に楽しめるようになるんじゃないか。 これらの思想家の指摘は、正しかったこともあるが、現実は彼らが考えたようにはならなかった。本書は、なぜ、「彼らの考えたようにならなかったのか」の分析と対案が満載の書である。

著者の回答は「ブルシット・ジョブ=クソったれ仕事」の誕生ということにある。ブルシット・ジョブとは何か。それは、働いている本人が、どう考えても自分の仕事が完全に無意味で、社会にとって必要なくて、有害でもあるような労働のことであり、それが有給であり、しばしば高給でもあるようなものである。本書に紹介されている2015年と一年後の2016年に実施されたオフィスワーカーの意識調査がある。この調査では、オフィスワークの「意味のある」本来の仕事に費やす時間が全体の勤務時間の46%から39%に減少し、他の時間は、無用な会議や管理業務、意味不明な事務仕事に費やされるという。そして、この意味不明な勤務時間は社会全体に蔓延している。日本で問題になっている過労死も、この意味のない労働時間においまくられて発生しているのかもしれない。著者は、最終的に社会全体では、実質的な労働時間は、週当たり15時間かあるいは12時間ですむだろうといっている。まさに先に紹介したケインズの予言通りではないか。それなのに、どうして、みんな「忙しい、忙しい」といっているのか。ここにブルシット・ジョブの謎がある。

ブルシット・ジョブを担う主要な仕事の代表格に「金融業」がある。すなわち、実質的な価値を生むマネーからどんどん幻想的なマネーを生み出す仕事が金融業の本質だ。この金融業に象徴される意味は、現代の労働現場は、個別の労働がブルシット化しているだけでなく、経済全体がブルシット化しているということを表現している。これが謎の答えだ。私たちの経済自体が歪んでいる。
もうひとつ歪みの例を示そう。こんどのコロナ禍でもわかるように社会を支え人々をケアする仕事、すなわち、運送業や対人接客業や医療介護の現場などなど、エッセンシャルワーカーとよばれる人々の待遇や所得が、先のブルシット・ジョブの金融業などに比較して、極端に悪く低いということである。もちろん、医者のような専門職種に高額所得の人はいるかもしれないが、大部分のケアワーカーは低所得においやられている。このことに関しても著者は、鋭い指摘をしていて、本来の経済というのは、私たちがお互いをケアするために存在しているのであり、それにより私たち自身が生存できるためにある、と言っている。
ケアこそ!が経済の本質なのだ。

 ブルシット経済は、無意味な仕事を回すことにより、幻想的なマネー所得をほんの一部の人間に集中的に集め、他の人々との世界規模の格差社会を増大させている(グレーバーが活動家として注目をあつめた、あの「ウォール街を占拠せよ!」のスローガン、99%VS1%問題の背景にブルシット経済がある)。また、それは、意味のあるケア労働を格差社会の底辺においやり、労働のありかたをゆがめ貧困化をすすめてしまっている。 もし、ブルシット経済をやめ、落ち着いたケア中心の経済と労働世界になれば、人々は人間らしい労働時間で十分に生産でき幸福な社会を築くことが可能なはずである。著者は、その方法として、ベーシックインカム的思考をすすめている。万人の所得保証はケア労働の意味を再考するきっかけになるだろう。人はお互いにケアすることでしか存在できないものなのだから。

人はなぜ働くのか、それはお互いがお互いをケアするためなのだ。思春期の評者に向けて言おう、これこそが原点だったと。そして、ポストコロナ社会へ向けても本書は、抜群の一冊だ。


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