責任の持ち方
今日は"責任の持ち方"について書きたいと思います。
色々な人と話していて、責任(responsibility)について考える事があります。
これは誰が責任を持つんだ、どう落とし前をつけるんだ、という言葉をドラマなどで聞かれた事が多いのではないでしょうか?
フィクションの世界でなくともこれは誰々に聞こう、意見を聞こう、と一旦決定を保留する事があります。
確か責任が取れる人に回す、責任の所在を明らかにする事は有事の際大事かもしれません。
ただ責任の本来の意味は何でしょうか?
"責任"という言葉はもともと日本にはなかったようで中国から輸入されてきた説が濃厚です。
訳語としての責任が定着しましたが、もともとはliabilityに対応するものでした(ちなみにより近い意味だと義務です)
1900年以降あたりでresponsibilityに対する訳語として"責任"が使われ始めます。
さらに、responsibilityの語源を探っていくと、response+abilityになります。
日本語に直すと、"対応する能力"です。
なんかこれって"責任"のイメージと違うくないですか?
どうしても責任を持つ、だと謝罪会見を連想してしまう笑
でもそれって何も前に進まなくないですか?
責任取れ!→ごめんなさい、謝ります。
より
責任取れ!→分かりました、なんとかします!
の方が楽しくないですか?
編集者さんや研究者の文献に触れ始めて、改めて使う言葉の大切さに気づいています。
責任とって、色々なんとかできるよう頑張ります!
以上、現状報告でした!
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