文字を書くということ
今回は詩ではなくて、ただの随筆です。
僕にとって文字を書くということは、芸術の一種だと思います。世の中にはたくさんの文字で溢れていて、それの一つ一つが、色が付けられたように活き活きとしているように見えます。詩や短歌、俳句に小説。これらすべてが、同じ言語を使った全く違う芸術になるというわけです。
現代社会ではもっぱら"本を読む人が減った"と言われています。確かに僕の周りを見ても、本を読む人はさほど多くないように感じます。国語の授業であれだけ読まされてきた物語を、ピタリと辞めてしまうほど現代社会は娯楽で溢れているのでしょう。
全てにおいて言えるのが、時代や年代を追うことに伝わってきたものが形骸化しているわけではなく、それぞれの形にあった変化を繰り返しているということです。サッカーを例に挙げると、現代では縦に速いサッカーが主流とされ、十年ほど前のファンタジスタタイプの選手は活躍の場を失ったと言われています。これも時代を追うことによって生じた変化の一つと言えるでしょう。これは現代の文字や文学にも同じことが言えます。
Twitterという短文投稿ツールは、現代では主流なSNSの一つとして挙げられています。140字の中でどれだけ自分の思いを伝えられるか。所謂要約勝負です。僕たちは常日頃から自分の思いを吐き出すツールとしてTwitterを利用しています。140字の短い文字の中には、人それぞれの特徴が垣間見えます。文章がぐちゃぐちゃな人、言いたいことが分からない人、美しく文章をまとめている人。これらすべてが簡単に見られる社会はむしろ芸術を肌で感じやすいのではないでしょうか。
僕は芸術を素人玄人で区別するものではないと思っています。自分にとって良いものは良い、悪いものは悪い、たったこれだけです。大衆にとっては美しいものでも、自分にとっては醜いものかもしれません。だからこそ文字を書くということは、自分を表現する芸術と捉えることができるのです。
本を読む人が減ったと言われながらも、たくさんの文字に触れることが出来る現代社会では、かつての芸術とは違う新しい色が生み出されています。僕もそれに倣って自分の芸術を自分の色で世に放っています。これが、自分の人生を色付け、道を示してくれるものだと信じているからです。
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