サイダーのように
日々頭の中に言葉が多すぎる。
今日はエッセイではなく、日記帳に言葉を書きなぐるように書きたい気分。
一種の病気なんじゃかと思うくらい人や物事、結果に執着したりそんな日々。
本気の失敗には価値はある。
そう昔から信じているんだが。
わかってはいる、わかってはいるものの、それでもメンタルがやられる時は幾度とある。
細部に渡るまで思い描く未来を今まで何度も、何度も現実にしてみせてきた。
少々力ずくな部分もあったかも。
努力は嫌いじゃない。
むしろ大好きだ。
わざと自身の生ぬるい人生に熱湯や冷水を定期的にぶっかけたりもする。
欲しいものは片っ端から手に入れて、そんな刺激を永遠と自身に投下し続ける。
下手くそな生き方だ、不器用、頑張りすぎ、もっと気楽に。
なんて言葉よく言われる。
そうだよなあ。そうかもしれない。
より良い幸せな人生の作り方。
それってなんだろう。
愛してるよと心温かに愛を注いでくれる人がそばにいて、
寝落ちしたはずなのに、何故かきちんと朝8時に設定されたアラームが鳴り、遅刻を免れる朝に感動さえ覚える。
それも愛する人の見えない計らいというやつだろう。
健康な体が当たり前にあって、こうして意思を表現出来る適度な知能と時間もあって、
認めてくれる、支えてくれる、叱ってくれる人がいて。
それ以上に何を求める?
それでもまだまだ欲しいのだ、足りない。
まだまだ魂に磨きをかけたいのだ。
どこまでも前進し続け、飛んでいきそうな自分にとんでもない恐ろしささえ感じることもある。
心の中で誰もまだ成し得ない破天荒な人生を、命が燃え尽きるその最後の瞬間まで追い求め続けるのがきっと私なのだろう。
好きな人が興味があることは一緒にとことん共有したいし、
好きな人が好きなものは一緒にとことん好きになりたい。
わがままだろうか。自己満だろうか。
いや、いいじゃないか。
サイダーのように、浮かんでは弾けて消えてゆく言葉たち。
時間が立てばスーッと知らぬ間に弾けきっていることも、
はたまた口の中でずっと残るシュワシュワ感のように忘れられない思い出の味のようなことも、
まだまだ自分自身の人生に諦めたくない。
私は私にずっと期待し続けたいのだ。
まだまだいけるだろ、こんなもんじゃないだろう。
そんな葛藤と期待と成功の連続が、私の人生を死ぬまで創り上げ続けてゆく。
今日も刺激的でスパークリングな人生に幸あれ。
ROGORONA
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