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映画「花束みたいな恋をした」を観た24歳女子が感じる二つのモヤモヤとその答え

あれはカップルで観ない方がいいらしいとの噂を聞き、女友達と二人で渋谷のTohoに座った。

これは「花束みたいな恋をした」を観た私が感じたモヤモヤと、実際に冷静に考えてわかったその正体について各記事である。

盛大なネタバレで構成されているのでご留意いただきたい。

破局フラグ探偵となる観客

この映画の大きな特徴の一つは、「2020年には主人公二人が破局済みで、すでにそれぞれ恋人がいる」というBAD ENDから始まっている点である。で、お互い新しい恋人とデート中に、カフェでばったり。

そして時は遡り、2015年(だったはず笑)。ふたりは大学生で、終電を逃したことをきっかけに運命的な出逢いを果たす。音楽も本も好きなものがほとんど同じことから意気投合し、3回目のデートで付きあう。

これが前半の盛り上がりなのだが、ここから私の意識は「なぜこの二人が別れることになってしまったのか」に集中し始める。だって仕方ないじゃないか、すでに破局後のシーンを見せられた私たちは、このラブラブカップルがどのように階段を踏み外していくのか目を光らせる探偵とならざるを得ない。そして、非常にわかりやすく破局フラグが立てられる。

一つ目のもやっとポイントである。ちょっとフラグ立てすぎでは?とのことである。笑 就活をせずに大学を卒業し同棲を始めた二人を「僕たちはフリーターになった」と表現したり、「僕の人生の目標は絹ちゃんとの現状維持です」と主人公に言わせてみたり、、見てるこっちがひやっとするワードチョイス。

案の定、そこから社会に出ることに決めた二人はすれ違う。彼女との生活のために仕事に熱を注ぎ彼女との時間や好きだったものを忘れていってしまう彼氏。好きでもない仕事を続け、直接的に自分と向き合ってくれない彼氏を理解できず、外の世界に夢を見始める彼女。

この辺りのシーンは、もう「気持ちはわかるけどその対応はなしだよね」の応酬だ。そしてなすすべもなくそのまま破局する。上映終了後の渋谷はシンとしていた。ああ、彼氏と観にこなくて良かった。

もやっとポイントとも言ったが、この映画のすごいところでもある。観客はみな探偵となって、二人がどうすれば良かったのか、上映後に各々論じ始める。映画館横のカフェや映画評論サイトを観ても、みな自分の恋愛に照らしながら主人公二人にアドバイスを送っている。

かくいう私は、「もう社会に出てて良かった〜」に尽きる笑 社会に出るというイベントをカップルで乗り越えられる自信がない。

サブカル映画ではない、サブカル啓発映画だ

そしてもやっとポイント二つ目は、この映画のサブテーマであろう、「サブカルチャー」のてんこ盛りだ。

趣味が合う二人の口からは、具体的な著者名や作品名がバシバシ出てくる。サブカルへの愛がすごいのかと思いきや、その割に結局彼氏の方がその趣味を捨ててしまうという展開を持ち出してくる。また、映画評論サイトを観ると、「押井守に遭遇して盛り上げる人が、初対面の女子を家に招く訳がなかろう!」「こんな顔のいいサブカル好きカップルがいる訳ないだろう!」と本当のサブカル好きから非難轟々である笑

しかしこれは決してサブカル映画ではない、菅田将暉や有村架純が好きな(私のような)若者たちにサブカルチャーを啓発する映画なのだ。その証拠に、文化庁からの「文化庁文化芸術振興費補助金」を受けている。「サブカル好きからみると浅い」という指摘は的外れかもしれない。

実際に、今村夏子さんの「ピクニック」の売上と、押井守のGoogle検索数は上昇したに違いない。知らないけどなんかかっこいい単語をあえて並べて、もやっとさせるのがこの映画のすごいところ2つ目だと言いたい。

さて、こんな調子でこの映画を論じ、押井守を検索した私は、紛れもなくこの映画をちゃんと観たと思う。破局フラグ回収とサブカル啓発。総じて良い映画だったと言うべきだろう。


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