忖度なしのミュージカルレポート【2021年3~4月編】

まだミュージカルファンになりたてだった中学生の頃、宮本亜門演出、唐沢寿明主演の『熱帯祝祭劇マウイ』というオリジナルミュージカルを観た。血沸き肉躍るような興奮を得て3度ほどリピートしたが、新聞の劇評では酷評されていた。自分が感動したものを批判されるのは、まるで自分自身が否定されたようでとても悲しい。悲しみを払拭するために、識者の冷静な批評眼よりも若者の純粋な感性が捉えたことのほうが正しい可能性だってある、という理論を自分で打ち立てた。なんならその思いを、演劇誌の読者ページに投稿して載せてもらったりもした。今思えば、自分の書いたものが公の媒体に掲載された、あれが初めての経験。

そんなことが原体験としてあるので、演劇ライターになってからも、公の媒体で作品の批判はしないと決めている。そもそも、私のレポート仕事の依頼主は新聞ではなく、演劇誌またはチケット会社が運営するサイト。雑誌の主な購買層である役者ファンがその号を買いたくなること、サイトの読者がその公演のチケットを買いたくなることが依頼の目的であることを考えれば、私の矜持など抜きにしても褒めることが正義であり、たとえ「あのライターは提灯記事しか書かない」と言われたとしても反論できる自信がある。それに褒めると言っても、良くなかったところを良かったかのように書くわけではなく、良くないところには目をつぶり、どんな作品にも必ずある良いところを探して増幅させているだけなので、嘘は書いたことがない。

が、そんなスタンスであらゆる作品を褒め続けること10年。最近の私、褒めるの下手になってない? と思う今日この頃だ。私は自他ともに認めるオタク上がりのライターだが、ただのオタクだった頃と比べて、プロのオタクになってからは、自分の意志では観ないような作品も観るようになったという違いがある。自分にとって新しいタイプの作品は新鮮で、故にプロのオタクになりたての頃は、キラキラしたレポートが無理なく書けていた。しかし年月とともに、「自分にとって新しいタイプの作品」というのは当然なくなっていくもので、今やすべてが一直線上。「新鮮な気持ち」というキラキラに変えやすい武器を失い、よっぽど感動しない限り、理屈っぽいレポートしか書けなくなってしまったということなのだろう。

雑誌やチケットサイトで求められるようなキラキラレポートはもう、私じゃなくミュージカルをまだあまり観たことがない若いライターさんのほうが書けるのだと思う。でもじゃあ、私はどこにレポートを書けばいいの? 需要はないかもしれないけど、私は自分が観たミュージカルを記録したくてプロのオタクになったようなものなのに。というか演劇ライターって、経験が少ないほうが有利という虚しい仕事なの? そんな思いが積もって、初めての有料noteに挑戦してみることにした。折しも今春の日本ミュージカル界は、さまざまな上演形態の見本市のような様相で、書きたいことが溜まってもいる。15歳の私には閲覧注意だが、公の媒体には決して載らない本音レポートがたまにはあってもいいと思ってくださる方が数名はいることを願い、いざ。

ここから先は

3,469字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?