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指揮法概論を取ってみた

実技系の授業は、音感ない者は人間にあらず的な考えの先生に当たるとメンタルやられるから積極的に取りたくはないのだが、いっとき血迷って教員免許取ろうかなって思った時に必要な授業を調べるなかで「指揮法概論」という集中講義の存在を知り、教職妄想が消えたあともそれだけなぜか残ってて。そもそも私、指揮者の役割と存在意義が理屈で理解はしててもずっと納得はできずにいて、やってみれば分かるかなって思ったのと、教職課程の必修ってことはそこまでガチ授業ではないはずという仄かな希望もあって、クソ忙しいさなかに楽器店まで指揮棒を買いに行き、貴重な夏休み=稼ぎ時の3日間を指揮法に捧げてみました。でまあ、確かにガチ授業ではなかったもののそれにしても私のレベルが低すぎたようでなかなかな説教を食らい、しかしそれによってメンタルやられるというよりは総合的に「面白かった」という感想で終われたので、おそらくは社会人芸大生にしか味わえないであろうその面白さを詳述しておこうと思ってnoteに向かった次第です。

■1日目

前提として、このご時世になぜ可能だったのか?と今でも不思議なのですが対面授業でした。去年の夏休み中、たまたま大学行った時に大教室でPC画面に向かって指揮棒振ってる子がたくさんいたのを覚えてて、今年もオンラインならメンタルやられる心配なくてだいぶ参加しやすいなと直前まで変更を期待していたのだけど、期待虚しく大学内のホールに50人ほど集められ。でも結果的には、対面で良かったです。というのも、指揮者とともにピアニスト(しかも結構有名)が先生で、実際にピアノを指揮してみるというのがこの授業の肝だったのですね。1日目はブルグミュラーとかの簡単な曲を、まず指揮者先生がピアニスト先生に振って見せ、その後指名された何人かの学生が一人ずつ前に出て振ってみる。最初は正直、「当たりたくねーな、今から聴講に変更して、単位要らないから当てないでくださいって言いに行こうかな」と思っていたのだけど…なんかやっぱり、有名なピアニストを自分の指揮棒で動かす(言い方)って経験はしてみたくなるじゃない? というわけで、1曲につき5人くらいずつ当たってたから何人か様子見したあとの3人目くらいで当たることを祈りながら、でも当たらぬまま1日目は終了。

あとこの日は、コンクールで入賞したての若手指揮者のリハーサル風景とインタビューが7分ほどにまとめられた映像を見て感想を提出する、というプチ課題もありました。結局のところ指揮者って、①曲を分析して自分なりの解釈を持つ音楽的センス②それを演奏者に伝えるコミュニケーション能力②本番でのパフォーマンス力のどれが一番重要なの? ①②だとしたら、舞台の演出家と一緒で本番の舞台に立つ必要なくない?という疑問を持ったのでそれを素直にぶつけ、上記のピアニスト動かしてみたい願望とともに、その回答聞きたさもあって引き続き受講することに。という流れでフライングするけど、2日目の朝にあった回答は、どれも大事だけどどれも持ってる人はいないから要はバランスっていう当たり障りのないものでした。うーん。

■2日目

ブルグミュラーだった練習曲はどんどん難しくなっていき、やっぱ当たりたくねーな、試験も受けたくないしこれは聴講コースかなと思いつつ、例によって決断力がないもので何らかの啓示を待っていたら午前中、いよいよ当たってしまい。ただ右手で3拍子とか4拍子を振るだけじゃなく、左手で強弱を表しながらオケの並びを意識して体の向きを変えるみたいなことも入ってきてる頃だったから到底無理だと思ったのだけど、当たっちゃったことこそ啓示とも思って「そんな器用なこと急にできませーん!」って大声で言いながら前に出て行ってみました。そう、社会人芸大生の特権(とは誰も認めてくれてないけど勝手にね)である愛嬌で乗り切る作戦です。この時点では先生まだ優しくて、一緒に振ってくれたからとりあえずホッ。けど先生の真似することに必死で肝心のピアニストに振ってる実感を全く得ることができなかったから、これはもう一度やらねばとの思いで引き続き受講することにアゲイン。

午後はバイオリニストが特別講師で来てくれて、ピアニストからは見えない位置で好き勝手に《ツィゴイネルワイゼン》を弾く彼女を見ながらピアニストに振る練習。なぜか指名じゃなく立候補制で、すごいやってみたかったけど、こればっかりは楽譜が読めないとね…。いやこれでも一般社会の中ではだいぶ読めるほうのはずだけど、音符の細かさと加線の多さがこの曲レベルになるとバイオリニストの動きを確認しながら読むことは不可能で、バイオリンとピアノがどこで合うべきかが分からないから振りようがないのです。もっと速読できたら絶対やるのになー、みんななんで立候補しないのかなー、若者って消極的だなー私も昔はそうだったかなーとか思いながらひたすら見学する数時間の後、最後は試験の課題曲《こうもり(序曲)》の説明。こ、これは無理だ、やっぱり今日でリタイアかなって、相変わらずの腹括らないぶりを発揮しつつ、一応帰ってから多少の練習はしつつ、まあ朝起きた時の気分で決めようって結論で2日目は眠りに就きました。

■3日目

珍しくそんな苦なく早起きできたので色んな《こうもり》聴きながら行ったら、再度説明があった上で試験前に練習しておきたい人はどうぞと言われたので、これやらなかったら試験は絶対受けられないと思って真っ先に挙手。まぁ~できなくて、「ツッコミどころが多すぎる」「まず萌え袖(という言い方はされてないが)がナメてる」「テンポが定まってない」「教えたこと何もできてない」「このままだと不可」となかなかな説教を食らったわけですが、何が面白かったって、私が下手だとピアニストがちゃんと下手になるんだよ! 練習したと言っても、所詮は既にある音源に合わせて振るしかできないから、自分でテンポを決める練習ってできてないわけじゃない? しかも私、実技系の試験ではいつも自分のタイミングで始めるっていうのを一番の苦手としてきたから今回も本当、どう始めていいのかが分からなくて結果すごい遅いテンポで始まっちゃった自覚はあって、でも途中でテンポ上げるのもできなくて、なんならピアニストさん勝手に上げてくれればいいのにって思ってたんだけど、私が上げない限りピアニストは上がらない。テンポ面以外の動きも、「ここでこうする」って覚え方だったからその「ここ」を自分で決めなきゃいけない初の事態に対応できなかったわけですが、決められない私にピアニストが合わせてくれるのが本当に面白かったのです。

もう2日目に持った目的は果たせたし、なんかまあみんな笑ってくれたし、私がハードル下げたおかげか積極的に手が上がっていたから変に役割果たした感あったし(自意識過剰)、そもそも必修じゃない私にとって単位は記念品に過ぎないわけだから、不可になるくらいなら試験は受けなくていいかなあって気持ちで午前を終え。大学の成績って、「不可」は残るけど試験受けない「失格」はなかったことになるんだよね。っていうような話をしかし、昼休み中に芸大生としていたら、「不可も記念品にはなるんじゃないですか?」との金言が。いやそれ、すごい盲点だったわ! というわけでようやく腹を括って昼休み中にみんなに教えてもらいながら練習し、受けましたよちゃんと試験。成績発表まだだから結果は分からないけど、午前中よりはできたから自分なりの達成感はあるし、最低でも不可という記念品はもらえるのだから何の心配もしていない。金言くれたトランペットのFちゃんと、自分も練習したいのに付き合ってくれた楽理科下級生の皆さんありがとう! そういう意味でもやはり、対面授業って素晴らしいですよね。

で結局、指揮者の役割と存在意義とは?

取る前の私は、1日目の映像課題の①②③で言うと、①がメインで③は附属品なのかなってイメージを持っていて。映像を見たことで②もあることに気付き、それで演出家に似てるなと思ったわけですが、その思いは2日目の《ツィゴイネルワイゼン》練習でさらに深まることになります。「指揮に合わせたほうがいいんですか?」と確認するバイオリニスト先生に対し、指揮者先生から「わがままなソリストって設定で好き勝手に弾いてください」的なリクエストが入り、指揮者(演出家)が一番偉いかに見えて時に作品の方向性はソリスト(主演女優)が決めてることがあるって点でもやっぱり似てるなって。で、思いが深めれば深まるほど、やっぱり本番ではいなくてもいいんじゃない?って思っちゃう。私が下手だと演奏もちゃんと下手になる実感は得たけれど、それって裏を返せばどんな指揮者にも合わせられる実力をあのピアニスト先生が持っていたということで、すべての奏者がそれだけの実力を持っていれば、うんやっぱり要らないよね指揮者みたいなね。

本番にもいなきゃいけない理由としてヒントになったのは、指揮者先生の「こっちが一生懸命振ると演奏者も応えてくれる」的な言葉。そう考えていくと、演奏してる姿見えなくても直接音よりスピーカー音のほうが強くても(いや私これは嫌だけども)ミュージカルのオケはナマであってほしい(指揮者が振ってる肩の動きが見えるだけで臨場感が増す)こととか、もっと広げるとミュージカルを配信で観てもちっとも面白くないのとかと根っこは同じで、結局は芸術的理由というか、科学的にはなかなか証明しづらい「ナマ感があればあるほど音楽はいい」というところに帰着するのかなと思いました。リハで十分わかってるはずの指揮者の意図を、奏者がその場で改めて感じながら弾き、聴衆は指揮者と奏者のその交流を含めて味わう、それがナマの演奏会を体験するということなのかなと。っていうかまあそもそも、演出家と違って本番中の居場所が用意されてるのだから、たとえいなくても成り立つとしてもいるのが自然っていうか、いなくてもよくない?って発想自体、物事を演劇を軸に考えがちな私の頭の固さの証明でもあるんだけどさ。

あとちょっと思ったのは、今回体験したのは③のほんの一部だけで、一番難しいであろう①なんて絶対できない私が言うことじゃないんだけど、たとえば『レ・ミゼラブル』くらい知り尽くした音楽だったら指揮ってなんか、できなくもなさそうだなって(笑)。いやできないよ?できないんだけど、絶対できなそう度で言ったら楽器演奏のほうが上で、指揮者が①②③を達成できるのは奏者たちが優秀だからこそなんじゃないか、そう考えると時には演技経験の全くない役者を導かなければならない演出家のほうがよっぽど大変そうなのに、その割に指揮者ってマエストロとか言われちゃってずいぶん地位高いね?と思わなくもなかったです。まあそれも裏を返せば、その優秀な奏者たちがついていきたくなるくらい、指揮者は①も②も③も優れていなければならないから余計難しいのだ、ということなのだと思うけど。とまあ本当に色んなことを感じ、考えさせられた3日間だったので簡単には総括できないわけですが、無理やり結論を1個出すとするならば…『レミゼ』振ってみたい。ということになるのかもしれない(笑)。いやできないよ?できないし、知り尽くしてるとか言っといてスコア見たこともないけど、思うのは自由ですから!

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オマケ。記念品と言えば、買ったはいいがこの先もう一生使わないであろう指揮棒も、というか指揮棒「こそ」そうなので、このnoteには指揮棒の画像を挿入したいと思って撮ってみたのだが、ご覧の通り、単体だと非常に絵になりにくいものであることが分かるだけの結果に終わり。私の腕の問題ももちろんありましょうが(しかもボケてるし)、「指揮棒」で画像検索しても大体似たようなもんでした。そこで、まあこんな結論も出たことだしレミゼの楽譜敷いてみましょうかね、あれ、敷いても1冊だと相変わらず絵にならないですね、じゃあオペラ座もウィキッドも敷いちゃえ~ということで撮影したのが今回のトップ画像。授業内容はミュージカルとは何の関わりもなかったことを改めて申し添え、今回のnoteを終わります。ご高覧ありがとうございました。

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