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嫌われロドリがわかっていること

昨年もまたある女子に嫌われたらしい


ここ3年くらいのお話なんですけど。
なぜか年に1人の割合で、ものすごく嫌われます。
こちらは何が起こっているのかほぼ理解できません。

ひどいことをした。言った。
なんてことは思い当たりません。

こんな摩訶不思議な嫌われ現象は
把握できている範囲だと、これまでに3人。

もしかしたらもっと大量にいるのかもしれませんけど
それは認識にもあがっていない人なので良しとしましょう。
読んでいる方がその人だったらすみませんのですけど。

その3人は全員、サシご飯いくくらいの仲良し女性でした。
3人はつながりがありません。

相手から避けられているなっていうのは、
SNSへのリアクションとかで
まあ不思議とわかりますよね。

昨年もまた一人。
なんか急に距離を置かれました。
どのタイミングからかはわかるものの、
理由は不明。
まあ、何か心理的な変化があったのでしょう。

最短スパン発生


もともと「自分を嫌いない人は嫌い」という
至極わかりやすい人間ですが笑
さすがに最初はちょっとモヤります。
それでも、離れた人は基本的に忘れちゃう、
っていう低SPECな私。

でも、この忘れちゃうスパンは
どんどく短くなっています。

トップバター(なんだそれ)の時は1ヶ月くらい?
モヤモヤしていたと思います。
ボスに出会う前でした。

2022年選手(なんだそれ)は5分くらい?
たぶん、最短くらいまで、
モヤり時間は短縮されました。

最短スパンのわけ


私が強くなったわけではなく。
私が優しくなったわけでもなく。
私が清らかになったわけでもなく。

嫌われる根本的な理由が
ストンと腹に落ちたからだと思います。

私が嫌われる理由。

それは、あくまでも、
「相手の心理的非柔軟性」
であるという事実。

そうなんす。
相手の内なる問題であって、
正直、私、関係ないんす。

相手の中に無意識含めて厳然と存在する
あのときは●●になるべき。
あそこでは◆◆するべき。
あなたは★★であるべき。
って、いうたくさんの固い価値観。

もしくは
もっと●●でなければならない。
あそこは◆◆でなければならない。
あなたは…
私は…
って、いうたくさんの執着。

これが心理的非柔軟性。
洗い出せばもっともっとあるのですが。

私が理解できないままに嫌われた理由は、
相手のなかにある非柔軟さに
私がそぐわなかった。
私の何かが触れてしまった。

ということでしかない、と思うのです。

これ、ボス界隈の人だと
もう敢えて言語化することもないくらい
至極あたりまえのことなんですけど。

腹に落ちると、純粋に、パワフルな事実です。

傷つくと優しくなるっていう仕組み


よく、言うやないですか。
人は傷つくほどに強く優しくなる、
とかって。

かつての私は「海援隊?」くらいに思っていましたが
今は、あぁ、そうだよなぁと思っています。

人は傷つくほどに強く優しくなる現象が
なぜ起こるのか?

その傷ついた部分と周辺領域において
「自分の中にあった非柔軟さを手放すから」
なのだと、この数年で理解しました。

「多くの ❝傷つく❝ の根源は自分の心理的非柔軟性」
とボスに教わったので。

つまり、自分が勝手に傷ついているだけ。

怒るという表出した感情の根源も、仕組みは同じ。
心理的非柔軟性に相手の何かが触れている。

この仕組みに気づけば、
その傷や怒りという痛みが
自分の中にある非柔軟性を教えてくれている、
と思える。

気づけた不要なものは、きっと手を放せる。
(と信じる者は救われちゃう)

心理的非柔軟性は、よからぬ意味でも
「自分の軸」になっていることが多いので
手を放すにはちょっと勇気やプロセスがいるのですが。

でも自分の中にあった非柔軟さを
勇気をもって手放すことができれば
私たちは柔軟になり、自由になります。

相手を嫌ったり、避けたり、攻撃しなくなる。
その状態を、おそらく相手や周囲は「優しくなった」と
認識するのだと思うのです。

嫌われる、は巡り合わせだけど


嫌われる理由は
あくまでも「相手の心理的非柔軟性」

だったら、それは、もう知らんがな…です。
巡り合わせの結果としか思えない。

でも、もしかして、私との関わりの中で
相手が何かに傷ついたのだとしたら…
相手が怒りを感じたのだとしたら…
その根源にある非柔軟性を掴んだかもしれない。

であれば、嫌われロドリも無意味じゃないって
思えなくもなかったりするのです。

そして、次回は
ロドリの心理的非柔軟性が爆発して
どうしても苦手な人、を整理することにします。

もう、未熟、極まれり…であります

本日はこの辺で。
See You!

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