しちがつにじゅうににち

流石に半世紀を超えて生きていると、今になってああ、あれはこういうことだったのか、ということも多くある。

今、母親が施設に入っている。
父親が毎日顔を見に行っている。
準老々介護、みたいなかたちだ。

母は要介護5で、自分で立つこともできないし、しゃべることもできないし、食べることもできない(胃ろう)。
ベッドからテレビを見ることはできる。
こちらの呼びかけは、わかっているかわかってないかわからない。

昨年の正月に、旅行先で転んで、それがきっかけであれよあれよという間……だったのか?
いや、もっと前から認知が進んでいたと思う。
同居の父に任せていた……のが悪かったのか?
早く介護認定してもらえとは言っていたが、本人が嫌がるから……と。
夫婦間のことは知らん、と任せたのはまずかったのか??

その後、母が誤嚥性肺炎になって入院した時に、そこのお医者さんに「覚悟してください」と言われて父はショックを受けたそうだ。
そうだ、って、ヒトゴトだな。
自分は仕事で北の地に居るし、入院していて面会も制限されていたら何もできないよね。
いや、何もしたくなかったのか。
その先生に改めて説明を受けたときに、認知症は死に至る病(ほんとはもっと柔らかく言われた)と言われて、ああ、そうなんだな、と、自分は納得した。
でも父は納得できなくて、なんとか母を戻そうと、退院した後はまずは同居できる施設に入り、その後はリハビリをやってくれる施設に入れて、通うことにした。<=いまここ。

母の認知症のきっかけは、帯状疱疹後神経痛だったと思う。
これも対応が遅れた。
そこまで知識がなかった。
たぶん、1、2日の差。土日挟んだとか。
それを考えると、母が何かまずいときは結構休日が多い。
巡り合わせが悪すぎる。
で、その帯状疱疹が顔の上半分で、ピリピリと痛かったのだそうだ。
どのくらい痛いのかは本人ではないからわからない。
これも痛いというので、父があちこち医療関係に連れて行ったが、痛みが取れることはなかった。
らしい。
どのくらい痛いかわからない。
風が吹いても痛いとは言っていたが。
ただ、そこから、どうしようとか、どうすればいい、とかいう本人の意思がなかった。
病院に行くにしても、連れて行かれるので、最初から否定だった。
行ってもよくならない、という思い込み。
気をそらせば少し楽になるという話を聞いて、何か楽しいことをしないかと働きかけた。
でも、やることはなかった。
痛いので、ただ横になってテレビを見ているだけだった。
聴力も落ちて、補聴器をつけたらと言っても嫌だと言い、足元がおぼつかないなら杖を、と言っても嫌だと言った。
だから、といいきれないけども、今の状態はもうなるべくしてなったんだと思う。
恐らく、自分のことをなんて冷たいんだろうと思う人もいるだろうし、父もそう思っているのではないかと思う。

しかしながら。
こちらにも言い分はある。
ダラダラと、縁を切らなかったからこそここまでいるということ。

実は父は自分が中学生のころから単身赴任をして、一人っ子の自分は中学高校のめっちゃ難しい時期を母と過ごした。
そこに母の気負いもあったろうが、もうめっちゃ過保護&がんじがらめだった。
前もって遊びに行くというと拒否られるので、前日夜か当日朝に告げて遊びに行った。
(もちろん、なんであんただけ楽しい思いをしてるのよ、があったと思う)
お小遣いは毎月の定額以外ないから、たまに弁当がないときのパン代を節約して捻出した。
お弁当はもちろんありがたかったと思っている。
お弁当ばかりだと飽きるだろうからとパン代を出してくれたのもありがたいと思っている。

で。
父に反省してもらうべき点は、直近のどうのこうのではなく、そういうめんどくさい時期に母に自分を一任してしまったことだ。
それで母は不安定になったのだと思う。
めんどくさい思春期の反抗期の子どもを道から外れないようになんとかしなきゃ、と思うのに、誰も相談できない(そこは母のめんどくさいプライドだろう)。
っていうか、単身赴任の理由が子どもがかわいそうだからって何だよ!
相談されたことないよ!
オレ転校生あこがれてたよ!(笑)
……それはさておき。
その時期に、きちんと対応しておけば、その後ももっと変わったんだよ、と思う。

もともと母は中間子で結構不安定だったと思う。
女ばかりの三女、で、次に長男が生まれて。
想像でしかないけれども、自分の居場所を結構探したんじゃないかな。
今だったら、いろいろわかっただろうに、
……ただなあ、自分から働きかけて何か変えていくとかはなあ……

それで、今不思議に思ってることは、今更!?父が母を大切に?思っていること。
これが夫婦なのか!!!あ、自分独身です。
え?そんなに大切だったらもっと前からなんとかしてない?
いや、なんかこの状態になったのが(直近=この2年の)自分の責任だから何とかしなくちゃとか思ってない??
後者が自分の誤解であることを願います。

真実はひとそれぞれということで(ミステリという勿れから)。
変な話、自分はもう母とは意思の疎通は取れないから、もう覚悟はできている(というか、ほとんど話せなくなった時に「いい人見つけて」と言われてふざけるなーと思ったし(笑)。でも、父よりも母のほうが細かい場面で自分を応援していてくれたのはわかってる)。
(父曰く、母は孫が欲しかったらしいが、だったら見合い話とか持って来いよとか自分のベストを尽くせとか思うし、それが判ってるなら父もフォローしろよこの夫婦はよ!と思う)。

なんてのか、言いたいことあるなら言えよ、言わないのなら察してはやめてくれよ、というのがずーっと続いていて、これがうちの家族の敗因だろう
この辺、自分のメンタルの解析も含めて改めてまとめよう。
やっぱりなんだかんだいって、思春期に親に植え付けられた不信感、ってのは、そこでうまく対処しない限り早々簡単にはぬぐえませんよ……

今日の酒は、ちょっとある基準を満たしたので、スパークリングワイン……と思ったけどお目当てのがなくて、
プティ・モンテリア
サントリー &ワイン
いずれも白で

だらだら書きました。
まあいずれちゃんとまとめよう。
あと10年後くらいに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?