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弟と母を想う

弟は教授

「左脳をお母さんのお腹の中に置いてきた男の話」。弟は京都大学の特任教授であり、海外のある大学の物理学教授。小さい頃はぼくが勉強を教えていたのに、いつのまにかオール5…。ぼくは芸術系だけまあまあ。

ぼくが小学生の頃、母が「IQテストの結果、浩樹はまあまあ。ところが弟がね…」と言ったことを今でも覚えています。遊びたいさかりなのに「なぜそんなに勉強するの?」「え?!学生は勉強するのが仕事だよ」。絶句。

母の遺品から、弟の中学の時の成績表が出てきた時には驚きました。本当に「5」しか並んでいない、三年間ずっと。なんでそんなにぼくと違うのか?でも母も父も公平でした。「やればできる子」と信じて。ありがとう。

こんな綺麗なオール5

弟を怒らせた

三年間アカンかった…口もきかない。そんな時もあったけど。

そこは偉大な母が助けてくれました。「ずっと仲たがいは、私が耐えられない。浩樹、あんたから謝って」。母のために謝りました。今ではそれで良かったと思っているし、弟がなんとか許してくれたことに感謝しています。

そして母の看病。そこで氷解しました。

娘と弟、そして母の看病

こちらも仲良し。娘は弟が好きみたいです。「もー、決められないダメな男!」と、まだ彼女が小さい時に対戦したダイヤモンドゲーム中に言い放ってました。弟、苦笑い。

その優秀な頭脳なら、すぐに負かせてしまうはずなのに、そこは大人の配慮。多分、娘がギリギリ勝つ手を考えていたのでしょう。それくらい、不肖の兄でも分かります。それが彼の優しさ。

基本的に優しいんです、弟は。母の看病の時の活躍は素晴らしかった。がんセンターの入院生活。家族のフルサポートと友人たち一日で最高20名以上の
お見舞いを受けて、母はご満悦。そして、母との濃密な時間。

でも本当に看病はキツかった

父と弟は毎日の看病。ぼくは仕事も家族もあるし、湘南から名古屋へ週末だけ。もうヘロヘロ。毎日看病の彼らに休んでもらいたかったので、無理をしてでも毎週始発の新幹線。弟だって海外での仕事があるのに…それでも。

それを親戚に諭されたのですが、彼は一切聞き入れず、看病に徹しました。敬意しかありません。そんな弟をサポートをするのがぼくの役目。一回だけの母の外泊は美容院とお家に。彼のお陰。亡くなる一週間くらい前でした。

その時の幸せそうな母の顔が、今でも頭から離れません。エエ話やー(笑)。

最近の弟は

庭いじりに凝っているようで、たまに帰ってくる名古屋の実家の庭をせっせと整えています。ぼくも庭いじりが好き。特に弟とは。GWに一緒に庭いじりのつもりが、スケジュールが許さず…会えませんでした。

だから今日はこんな文章です。元気でいてね、またね♪

名古屋の実家の小さなお庭

ぼくが京都のカフェのオーナーになるまで 1,121


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