2023/08/08 とてもやりきれない

職場に行くと、夏休み中の子どもたち(職員さんのお子さんたち)が何人もいた。そうだよな。親が仕事してたら家で子どもを見る人いないもんな。

いつか私も子どもを産み育ててそれなりに大きくなった時にまだここで働いてたら、職場に子どもを連れてくるという場面があるんだろうか。


今日は外をたくさん歩く仕事だったので、塩飴を携え、お茶とポカリスエットも常備し、日傘を差して、万全の状態で歩いた。万全だったはずなのに。

いつもより睡眠もとっていたし、普段と同じ対策をしていたので、今日熱中症っぽい症状でしんどくなるのは想定外だった。

原因は、強すぎる風にあった。たぶん。

台風の影響かどうか詳しくは分からないが、今日の大阪はとても風が強かった。ちょっと歩くのに苦労するくらい強かった。

また、短時間だけ雨が降ってまた晴れての不安定な天気であったことも作用し、容赦なく吹き付けてくるのは、じめじめした熱く粘着質な空気である。

その風は全く涼しくなくて、むしろ温風。熱波。サウナで団扇やタオルなど使ってバサバサと発汗を促進するアレを常にやられている感覚。

つまり私は今日歩いていた2時間、歩きながらサウナにいたようなものだった。

誰も悪くない。強いて言えば暑さ対策がまだまだ足りなかった私が悪い。でも対策を全くしなかったわけではないのでこれでも足りないのかとさすがに不愉快で、どんどん頭は痛くなるし疲労は溜まっていくし、気づけば、どこにもやり場のない苛立ちがもくもくと育っていて、しかめっ面で歩いていた。

夏という環境が過酷すぎて、働くことは大切だけど命の方が大切だと、ちょっと憤りさえも感じながら苦しく歩いていた。

風が強いので日傘もすぐ逆さになってしまう。

移動中、気晴らしにとあるラジオを聞いていたら、話の途中でザ・フォーク・クルセダーズの『悲しくてやりきれない』が流れてきて、今の自分にすーっと沁みた。

イライラして怒るんじゃなくて、悲しめばいいのだと。そしたら、やりきれない気持ちになり、どうしようもなくなり、でも心のどこかで折り合いをつけて、とぼとぼ寂しく歩くだけで良くなる。

怒ってしまうと、人に愚痴を言ってしまったり、怖い顔をするから人を遠ざけてしまったりして、他人に迷惑をかけるから良くない。でも、一人で悲しむ分には、内側で済むことなので他人に迷惑をかけることもないし、わざわざ「悲しいねん」と声に出して言うこともないし、ちょうどいいのではないか。

その曲を聞いてから、起こることに腹を立てるのではなく、悲しいなぁという感情に変換することにした。

暑すぎて本当に悲しい。こんなに気を付けていても暑さに負けてヨロヨロしてしまう自分が悲しい。ここ数年の体力の減退に辟易して悲しい。

日傘を持つと手が塞がるので、カバンから書類を出したり片付けたりする度にもたもたして、普段の3割増で不器用になってしまうから悲しい。

でも日傘を差さないと即刻倒れる自信があるので、日傘を手放して仕事をするわけにもいかない。なんで傘を持つのが嫌いな人間が晴れた日に傘を持って歩かねばならんのかと憤る……のをやめて悲しむ。

日傘の金具に髪がよく引っかかり、ぶちっと音を立てて私の頭皮に痛みを残して髪が切れていく。何度も何度も。好きで日傘を持っているわけじゃないのに、なぜ仕方なくやっていることで痛みまで負わなければならないのか、だんだん悲しくなってくる。

みんなこんな猛暑の中で色々と頑張っているのに私はこうやって音を上げて負けて背けて逃げている。なぜ他の人と同じように頑張れないんだろうとか思って悲しい。

私は今悲しんでいる。悲しみを背負って歩いている。一つ一つの悲しみは取るに足らない、小さくて愚かな問題だけども、悲しんでるだけなので周りに迷惑はかけてない。それだけが救いになった。怒るより、断然良い。

悲しいけど涙が出るような悲しさではなくて、どちらかというともう涙なんか枯れきって水分を保持していないカラカラでスカスカの悲しみって感じ。オアシスの対義語みたいなところにいる。そもそも悲しむ対象が涙を流すほどのものでもなくてしょうもない。

午後の仕事を終える頃には足を引きずるようにしか歩けなくて情けなく、そんな疲れを隠すように振舞ったけど、悲しすぎて(というか身体がしんどくて)、呼吸しながら定時になるのを待って帰った。

熱波に長い時間曝されると精神にまで影響を及ぼすことを知り、これからは無理せず働きたい所存。今晩は長めに眠って回復に徹します。

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