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妊活のあれこれ

妊活の開始

2016年に結婚しましたが、夫が当時アルバイトしながら音楽活動をしており、先行き不透明すぎて子供どころではありませんでした。
そもそも、若い頃から結婚願望も母になる願望もさほど無かったというのが正直なところ。

その後私の昇進やマンション購入(中古ですが)、近しい友人に子供ができたことなどいろいろ重なり、そろそろ…と思い出したのが2018年夏。
何となく出来づらいんだろうなという予想はしていたので、ネットで色々調べて、排卵検査薬なども買ってトライするも撃沈。
2019年初からクリニックに通い始めました。

子宮卵管造影検査、精液検査、フーナーテストなどの基本的な検査では、致命的な不妊要因は見当たらないものの、どれも微妙…。
また、わたしのTSH(甲状腺刺激ホルモン)がやや高めでした。
生きていくには問題ないけど、妊娠希望なら2.5 mIU/L以下を維持した方がいいというやつ。
内分泌専門の診療所に通い、出産までチラーヂンを飲み続けることになります。

そんなこんなで、絶対に妊娠できないと言うわけではないけど、年齢も年齢やし(当時、もうすぐ33歳)、めちゃくちゃ妊娠しやすいかと言われるとそうではないので、様子見てステップアップも視野に入れて、という感じでスタートしました。

タイミング法

これと言った不妊要因がない場合、まず初めはタイミング法になることが多いかと思われます。
具体的には、生理開始後12日後ぐらいから卵胞チェックし、排卵日を予測して子作りするというもの。
先生に「月曜と水曜にタイミング取ってみてね。」と言われます。
どうでもいいですが、この「タイミングを取る」という表現、誰が考えたか知りませんがうまいですよね。

タイミングを取った翌日に、子宮頸管の粘液を採取して顕微鏡で観察し、どれくらい精子が元気よく通過出来ているか見るのがフーナーテストです。
これは何度もしましたが、いつも数が少なかったり元気がなかったり、バッチリと言われたことはありませんでした。
また、卵胞の育ちも悪く、クロミッドという排卵誘発剤を飲んだり、HCGという注射をしたり、タイミングを取った後は黄体ホルモンを補充するためのデュファストンという薬を飲んだり。
不妊治療=薬漬けですよね。

ちなみにタイミング法は保険が効くので、一回の診察料は数千円で済むことがほとんどでした。
始めたばかりと言うこともあり、特に精神的負担も無く通えていました。

人工授精

なかなか結果が出ないため、2019年10月より人工授精を開始。
基本の流れはタイミング法と一緒で、排卵日直前と思われる日に、精子をチューブで子宮に入れます。
多少は確率が上がるかな、程度のものですが、何らかの理由で精子が子宮まで辿り着けてない人には効果があります。
これには結構期待していました。
というのも、かつて妹が人工授精1回目で成功していたから。
しかし、5回ほどチャレンジするも、撃沈でした。

人工授精は1回2万円くらいです。
他にも薬代がかかったり、「明後日、午前半休取ります」という不自然な休み方を毎月したりという負担はありましたが、まあ普通の日常生活を送りながらこなせていました。

体外受精を決意

そして2020年3月、世間はコロナ一色に染まり、私もクリニックをひと月お休みしました。
色々考えて、夫とも話し合い、更なるステップアップを決意。
4月に先生にその意志を伝え、採卵へ向けての準備が始まりました。

時を同じくして、夫が持病の手術を受け入院し、手術後に出血多量で倒れて再度入院という事件(?)がありました。
長年放置し悪化した痔核のために下血が発生。慢性的に貧血状態が続き、アルバイト先の健康診断で指摘を受けたことから治療に至りました。
今から考えると、実はその貧血こそが精液検査の微妙な結果に繋がっていたような気がするので、ここで根治しておいてよかったです。

いよいよ採卵

話を採卵に戻します。
採卵とは、読んで字のごとく卵子を取り出すことです。
通常、人間の女性は月に1個の卵子を排出します。これが排卵。
しかし体外受精では効率を考えて一度に多量の卵子が欲しい。
そのため、薬で強制的に複数の卵子を育てつつ、勝手に排卵しないようしておきつつ、卵巣に針を刺して卵子を取り出します。

この卵子を育てるのを卵巣刺激法と言い、何種類かやり方があるのですが、わたしは比較的激しめのショート法でした。
1日3回、8時間ごとにブセレキュアという点鼻薬をしました。
7時、15時、23時など、時刻は自分でやりやすいように決めれますが、フルタイムで働いてる人はどうしたって勤務時間に被りますよね。
忘れたら大変なので、家にいる時でも点鼻薬は通勤用の鞄に入れておいたり、会社のPCにリマインダを入れたり、涙ぐましい工夫をしていました。
それでも一度、会議や来客で15時がどうしても無理で、17時になってしまったことがあり、これでダメだったらどうしよう…と不安に駆られたことも。←小心者

同時に毎日の注射にも通い、卵胞がいい感じに育っているのをエコーで確認しつつ、前夜にHCG注射で卵胞を成熟させ、6月4日に採卵となりました。

最終的に20個ほど卵胞が育ったのですが、20mmほどの卵胞が急に20個もお腹に発生したらどうなるでしょう。
痛いです。お腹パンパンです。
更に、そこに針を何度も刺して卵子を取り出すのです。
中にはOHSSという合併症になる人もいるそうです。
わたしはその一歩手前で踏みとどまりましたが、腹水が溜まり、歩くと痛いので、会社でも腰を曲げてゆっくりゆっくり歩いてました。
「もしかしておめでた?」と聞いてくる人もいました。不妊治療のことは誰にも言ってなかったので、その人は全く悪くありません。
でも、痛みと情けなさと誰にも分かってもらえない孤独感で泣きそうでした。

とにもかくにも採卵をこなし、最終的に取れた卵子は12個でした。
育った卵胞の中には、空っぽのものも含まれているんですね。
事前の検査でイマイチだった割には、まあまあ良い数字なのではと思います。点鼻薬や注射を頑張ってよかった。

顕微受精

採卵後はすぐに受精させるのですが、ここで別れ道があります。
普通の体外受精(卵子の上に精子をふりかけて、自力で受精させる)と顕微受精(精子をガラスの管で卵子に注入する)。
我々は、精子に元気がなかったため顕微受精になりました。

さらに万全を期すため、アシステッドハッチング(受精卵の表面を削って着床しやすくする)という処理もしてもらいました。
もちろんこういったオプションは、万単位で追加費用がかかってきます。
しかし、もうここまで来たら数万円なんてどうでも良いと言うか、後悔したくないというか、謎の心理状態で「じゃあそれもお願いします」を繰り返していたような気がします。

当時の一つ一つの決断の積み重ねでコロちゃんに会えたので、ひとつも後悔はしていませんが、いま議論されている不妊治療への保険適用がもっと早くに実現されていたら、だいぶ助かったなぁと思わずにはいられません。

移植

顕微受精しても、全てが育つわけではありません。
きちんと受精できたのが6個、そこから分裂を続けてくれたのが4個でした。
1つは初期胚、3つは胚盤胞の状態で凍結されました。
受精卵は、見た目の良さでグレードが付けられます。
初回なので、一番良い卵を7月9日に移植することに決まりました。

移植までには、ホルモンを補充します。
ウトロゲスタンという膣剤(坐薬みたいなもん)と、エストラーナというお腹に貼る薬。
これらの薬を始める日を調節することで、移植日はある程度自分の希望に合わせられました。

移植自体はあっけなく終わりました。
特に生活への制限もなく、翌日はボーナス支給日だったので夫と飲みにいきました。
これまで何度も期待しては生理が来て落ち込むことを繰り返していたので、体外受精だからといって一発で授かれるとは思わず。
34歳での成功率は3割とも聞いていたので、得られた受精卵を全部使い切ってできるかどうかやな、と覚悟でした。

その後も着床を促す注射と膣剤と貼る薬を続けて、判定日を待ちました。

妊娠判定

7月20日、クリニックで尿検査し、陽性。
血液検査するところもあるみたいですが、わたしが通ってたところは尿検査だけでした。

実は、その2、3日前からなんか体調が優れず、大好きな揚げ物に食指が動かなかったため、
「これが噂の妊娠超初期症状なの!?」
と思ってドゥーテスト(普通のやつ)でフライング検査してしまっていたので、ああやっぱりそうなんだ、という感じでした。なんやそれ。

判定後もエコーでの診察や注射、薬を続けて、8月18日に母子手帳交付。
9月7日にクリニック卒業となりました。

出産を終えた今、妊活中のことを振り返って

よく言われることですが、3種類のつらさがありました。
肉体面、金銭面、精神面。
これ、楽なもん順です。

HCG注射は筋肉注射なので結構痛い。
採卵のときも、腹水が溜まって1週間ぐらいは痛みがありました。
何十回と内診(エコーの機械やステンレスの器具をつっこまれる)も受けないといけないのも、苦手な人にとっては苦痛でしょう。

お金もどんどんなくなります。
わたしは合計100万円ちょいで済みましたし、大阪市から30万円の補助もいただいたので、まだ傷は浅いかと思います。
それでもやはり高額なことには変わりないし、誰にでも支払える額ではありません。
たとえ保険適用になったとしても、100万円の3割負担なら30万円。
30万円あったら海外旅行に行けますよね。
しかも、自然に授かれる人なら不要な出費です。

それでも、一番辛かったのはメンタルでした。
毎月毎月、期待しては落ち込むの繰り返し。
身近な同僚や友人、特にわたしより後に結婚したカップルが授かったという報告も、心からは喜べない。そんな自分に嫌気がさす。
子供が欲しいと思ったきっかけの友人夫婦に会うのも辛くて、避け続けて逃げ続けました。
どんどん自分が嫌な人間になっていくのが客観的に分かるのに、それを止められない。
しんどすぎて、SNSを見なくなりました。
夫にも当たり散らしました。本当にごめんなさいでした。

これらを乗り越えて、コロちゃんが産まれてきたのは奇跡以外の何物でもありません。
妊活中は、本当に色々な人のブログや体験談をたくさんたくさん読みました。
ご主人が全然協力してくれない人、10年以上頑張っている人、1千万円以上使ったと言う人、夫婦2人で生きていく決意をした人…。
わたしは運が良いほうだったと思います。

子供を授かるのはゴールではなく、スタートです。
不妊治療は、そのスタート地点がどこにあるのかも分からないまま走り続けないといけないマラソンのようなものです。
もっと、悩みを共有し応援できる世の中にしていかないと、少子化は加速する一方です。
そのためにどのような政策を取れば良いのか、わたしにはまだ分かりませんが、こども庁に期待できるのか…。
不妊は女性だけの問題と考えているおじさまが多いそうなので、まずはそこから認識を改めて欲しいですね。

センシティブな話題にもかかわらず、最後までお読みいただきありがとうございました。

次回は、コロちゃんの性別がわかった日のことを書きたいと思います。

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