スチャダラパーと小沢健二。
大阪に行って彼らの音楽を生で楽しんできました。
ライブというライブに行くのは、今や8歳の息子が生まれる1年前の、京都音楽博覧会が最後でした。
これもまあフェスだしね。
ママがいない夜をクリアできる年に、2人とも成長してくれたので、行けるようになったんだな、と。
とまあその前に、モネ展が延長していたことと、グランキューブと中之島美術館がすぐそこなので、モネ行ってからオザケンですよ。
モネの人の多さめちゃすごかった。
でもしっかり、全ての絵を、一番前でじっくりみてきました。
モネは朝の表現がすきです。
あとなんか、水面の表現が好きで、子どもの頃からあんなふうにドットや線を重ねて絵を描ける人を尊敬してたなぁと思い出したり。
水面をみてるだけでその日の天気や風の強さがわかる感じがして。
生まれてからずっと大きな川の近くに住んでいる自分だから想像できるのかもしれないな。
ただ、絵というものに関してはあまり知識もないし思い入れもなく。
救われたとかハマったなんてことはなく、ただ美しい絵を見たいだけ、美しい絵が好きなだけなので。
あまり語れません。
美しいものを見れてよかった、と。
絵を見て何か感じて技術や技法や背景の歴史などではなく、その絵の本質な精神的な部分を語れる人って本当にすごいなぁと思う。
オザケンのチケットが当選してから、5/4に子供が熱を出しませんように、わたしが事故したりインフルエンザや胃腸炎になったりしませんように、電車が止まったり、災害がその日にぶつかったりしませんように、と願い続けて、当日の朝を快晴で迎えられてわたしは天気に愛されてるなぁと、晴れ女の自分をさらに好きになりました。
わたしが行くライブは、フェスもコンサートも雨降ったことありません。
あああありがとう天気の神様、と。
快晴を感じながら滅多に行かない大阪の国を歩きました。
大阪から終電より早く余裕を持って帰れる田舎に住んでいたことにも感謝。
遠かったら大変だよ、まあそれはそれで楽しそうではあるが。
ライブ自体、ほぼ10年ぶりなんです。
開演して、人々が拍手して、その重なったクラップの厚い音と、演者の鳴らす音とで、"始まったんだ!"と、高揚するのが。
演者や演出のための照明をみるのも、楽器や歌声だけでなく、人々の高揚に自分も包まれ同時に自分も高揚するのが。
それが嬉しいのか感動なのかよくわからんが、とにかく最初の2曲は、泣きっぱなしで。
息子が2歳の時に、めちゃくちゃ久しぶりに映画館にいってララランドをみて、やっぱり映画がすきだ、と思って泣けてたまらなかったことを思い出しましたね。
わたしはやっぱりライブが好きだと思って泣けました。
長いことお預けを自分に言い渡していたので、フラストレーションじゃないけどそんなような何かが溢れた感じで。
それにね若いころは、何でもかんでもみたくて、友達に誘われたらライブハウスに行って聴いて、フェス行っていろいろ聴いてってやってて、なんだかこう、時間に制限がないからあまり選んでなかったのよね。
なんでも見るぞ、という。そんなスタイル。
今回は帰ってハムスターの世話もしなきゃだし、子どもたちにおやすみも言いたいし、どうしても行きたいライブにいく、ということでオザケンを選んだんだけど。
今まで見てきたライブは、ほんとうに見たいものではなかった?というくらい、オザケンの音楽を生で聴きたかったんだ、わたしは、と発見して。
2daysやってるそのどちらものチケットを取る人の感覚ほんとにわからなかったんだけど、本当に好きならそれでも足りないくらいだな、と、初めて思ったんです。
今まで本当に何も選んでいなくて、サブカルだから、ロックンロールだから、パンクだから、ポップだから、と、なんでも聴いていたけど、本当に聴きたいものがなんなのか、については弱かったんだな、と。
なんだかこう、特定の誰かのファンになる、ことをフラットでかっこつけたいがために避けてきてたんだな、と。音楽ならなんでも好きだよと言いたいがために、おさえてた部分あるなと。
今回新しい自分を知った感覚でした。
おひとり様の人がほんとうに多くて、オザケンが結果的にそういうファンを呼んでいるところも、ほんとうにそれはそれでいいなぁと思ったりね。
ペアとか複数人のグループもいたけど、列を見る限りほとんどが本読んだり携帯見たりヘッドホンしたりしてて、ひとりだったので、こんなライブならまた行きたいなぁと思ったんだよね。
スチャダラパーも見られたのほんとによかった。
ブギーバック以外はサマージャムしか知らなかったんだけど、サマージャムも聴けて嬉しすぎましたよ。
ヒップホップを避けてしまうのも悪い癖だなと反省したり。
オザケンをこんなにも好きになったのはここ2〜3年で。
若い頃よく聴いてはいたけど、そこそこ好き、なくらいで。
UFOをタイムラインで偶然きいたのがきっかけで、また聴きはじめて、これは!となったんだよ。最近の曲もめちゃくちゃいいやん!と。
UFOを聴いてたその頃は、苦しみを抱えてて、そんな苦しみと孤独を、うまく受容するために、作家の仕事も始めて、オザケンを聴きながら、前を向いて必死に作って売ってた頃で。
そのときの必死に頑張ってた自分が今ここにいるんだという実感なのかしら。
なんかやっぱり、モネや美術館には申し訳ないけど、わたしは音楽に救われてて、音楽によって自分の能力が開花していくのかも、と思った。
絵も好きだけどね。
人間としての能力ね。
人に認められるための才能や技術みたいなものではなく、自分のための、自分の本来の精神的な力みたいなのね。
ことしは少しゆっくり仕事しようかな、と思っていたこととも、今回のライブの内容は繋がってて。
家族の料理担当としてまた料理の腕をあげたいとおもっていたら、ちょうどそんな新曲もあって。
オザケンはその歌詞を私たちに伝えたい、という風もあって。
毎日料理する主婦としては、素晴らしい曲だった。
音源まだかな。
ユーミンのチャイニーズスープと、yukiのjust life all rightと、オザケンのその新曲と、なんかほか思いつかないが、なんかそういう、料理用のプレイリスト作りたいなとおもったよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?