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<書評>「蜜のように甘く」「幸いなるハリー」(イーディス・パールマン著)古屋美登里訳 ― 第6回翻訳者のための書評講座 尾張惠子


「翻訳者のための書評講座」は書評家豊﨑由美さんに翻訳者たちが教えを請う講座。昨日はその第6回目、わたしは自由課題で臨みました。提出した書評は概ね好評でしたがいくつかご指摘いただいた箇所もありました。主なご指摘は:
1.熟年の希望の星といって「でもお薦めの理由はそこじゃない。」と書き出しているのに、最後にも歳をとることは無限の可能性となるのは矛盾があるのでは。
2.「~もの」の表現が続くところは変えたほうがいい。
3.短篇集の表題になっている作品についてまったく触れていないのはダメ。
4.軽妙な語り口はいいけれど冒頭部分はターゲット層には痛いのではないか。マイナスになるのでは。
このうち1から3については修正しました。表題作問題については、最初の段階でわたし自身も気づいていたのですが、文字数設定が厳しく、その時点での原稿ではあまり魅力が感じられないと判断して削ってしまっていたのです。興味を引く程度の内容に書き換え付け加えました。文字数については、実際の想定媒体に掲載された通りの字数行数段組で書いていたのですが、本講座の独自ルールとして20字x40~80行というのが確認されたので、そちらの範囲内で改稿しました。(120字増、ツィート一回分足らず)
4のご指摘につきましては、わたし自身がまさにターゲット層であり、同年代の特徴として自分に現れた老化現象を自虐的にネタとして楽しむ傾向があると感じており、そのままにしました。
改稿後の書評の後ろに、講座に提出したものも載せておきます。

<改稿後>
<書評> 『蜜のように甘く』『幸いなるハリー』イーディス・パールマン短篇集(古屋美登里訳 亜紀書房)

 ネットで見かけるバズレシピはだいたい外れだし昔は好きだった料理も今は胃もたれ、音楽も文学も新しいものはもういいや、つまりは年をとったのだ、あとはこのまま枯れていくだけ……と人生諦めに入ってるあなた、イーディス・パールマンは読んでみた? 一九三六年アメリカ生まれ、短篇集はどれも全米批評家協会賞などを多数受賞、「世界最高の短篇作家」と讃えられている。華々しい活躍だけれど最初の短篇集が出たのが六十歳のとき、本格的に認められたのは七十歳を過ぎてからというのだから、まさに熟年の希望の星といえる。でもお薦めの理由はそこだけじゃない。
 ぜひ『蜜のように甘く』(二〇二〇年)と『幸いなるハリー』(二〇二一年)を読んで欲しい。英語圏で二〇一五年に出版された五冊目の短篇集『Honeydew』全三十四作品のうち十編ずつを分冊したもので、とにかくどれも驚きに満ちてるから。奇想天外な話というわけじゃない。怪奇・幻想・トリックもない。どこにでもいそうな人々の日常を描いているのに「人間って不思議!」「人生ってわからない!」と叫びたくなる。
 たとえば「石」。主人公はNYで一人暮らしを楽しむ高齢の女性。甥の仕事を手伝うため南部の田舎町で数ヶ月を過ごすうち心に変化が現れる。甥から一緒に暮らそうと誘われるが……そこで語られる彼女の覚悟、一瞬だけ蓋が開かれるささやかな秘密の鮮やかさ。表題作「蜜のように甘く」は生徒の父親と不倫してる女子校校長の話。となればタイトル通りベタな恋愛話ねって思ったら大間違い。後半に押し寄せる予想もしなかった心の変化、そこには蟻の生態がかかわっている。また、父の往診についていった幼い日のことを描いた「幸福の子孫」や、エルサレムから越してきた一家に振り回される隣人たちを描く「行き止まり」などでは、最後の一文で作品世界がひっくり返る。「お城四号」のコミュ障気味の麻酔医と末期癌患者の間に生まれた愛は胸を打つし、精子バンクを利用して生まれた子が五色型色覚を持つという「静観」は設定こそSFっぽいけれど、描かれるのは他人と異なる感覚に悩む少年の孤独と幸福についての普遍的な物語。「介護生活」「初心」「花束」「坊や」「幸いなるハリー」など一風変わったエピソードを描くことで家族や夫婦のあり方を読者に考えさせる作品も多い。
 どの作品にも幾重にも折りたたまれた層が隠されている。米国社会、民族、階層、歴史など作品の地中にあるものは大きい。自身がユダヤ系というのも影響しているのだろう。さらりとした描写は小さなフラグのようでうっかりすると見逃してしまいそうだけど、その下に埋められている秘密を掘り当てる歓びがある。たとえば作家の伯母と暮らす青年が語り手の「フィッシュウォーター」。伯母が書いている虚史、ハンガリーの村から逃げてきた男性の過去、青年の出自など、短い作品に隠された世界の奥深さにきっと驚くはず。
 独自の非凡な視点と素材を扱う熟練の技は長い人生経験によって培われたものに違いない。読むほどに、歳を重ねるって無限の可能性なんだ、と勇気づけられる作家なんである。
 『蜜のように甘く』の表紙写真は本人のもの。窓の隙間から垣間見える横顔には深い皺が刻まれ、眼差しは孤独の淵を覗き込むようで、彼女の生み出す作品世界を思わせる。
 二〇二三年一月にこの世を去り、これが最後の短篇集となったのが残念でならない。
(想定媒体:通販生活 二〇字x七十一行 一四二〇字)
 

<改稿前>
 
 ネットで見かけるバズレシピはだいたい外れだし昔は好きだった料理も今は胃もたれ、音楽も文学も新しいものはもういいや、つまりは年をとったのだ、あとはこのまま枯れていくだけ……と人生諦めに入ってるあなた、イーディス・パールマンは読んでみた? 1936年アメリカ生まれ、短篇集はどれも全米批評家協会賞などを多数受賞、「世界最高の短篇作家」と讃えられている。華々しい活躍だけれど最初の短篇集が出たのが六十歳のとき、本格的に認められたのは七十歳を過ぎてからというのだから、まさに熟年の希望の星といえるかも。でもお薦めの理由はそこじゃない。
 ぜひ『蜜のように甘く』(2020年)と『幸いなるハリー』(2021年)を読んで欲しい。英語圏で2015年に出版された五冊目の短篇集『Honeydew』を分冊したもので、全34作品、とにかくどれも驚きに満ちてるから。奇想天外な話というわけじゃない。怪奇・幻想・トリックもない。どこにでもいそうな人々の日常を描いているのに「人間って不思議!」「人生ってわからない!」と叫びたくなる。
 たとえば「石」。主人公はNYで一人暮らしを楽しむ高齢の女性。甥の仕事を手伝うため南部の田舎町で数ヶ月を過ごすうち心に変化が現れる。甥から一緒に暮らそうと誘われるが……そこで語られる彼女の覚悟、一瞬だけ蓋が開かれるささやかな秘密の鮮やかさ。また、父の往診についていった幼い日のことを描いた「幸福の子孫」や、エルサレムから越してきた一家に振り回される隣人たちを描く「行き止まり」など、最後の一文で作品世界をひっくり返してみせるものもある。「お城四号」のコミュ障気味の麻酔医と末期癌患者の間に生まれた愛は胸を打つし、精子バンクを利用して生まれた子が五色型色覚を持つという「静観」は設定こそSFっぽいけれど、描かれるのは他人と異なる感覚に悩む少年の孤独と幸福についての普遍的な物語。「介護生活」「初心」「花束」「坊や」「幸いなるハリー」など一風変わったエピソードを描くことで家族や夫婦のあり方を読者に考えさせる作品も多い。
 どの作品にも幾重にも折りたたまれた層が隠されている。米国社会、民族、階層、歴史など作品の地中にあるものは大きい。自身がユダヤ系というのも影響しているのだろう。さらりとした描写は小さなフラグのようでうっかりすると見逃してしまいそうだけど、その下に埋められているものを掘り当てる歓びがある。たとえば作家の伯母と暮らす青年が語り手の「フィッシュウォーター」。伯母が書いている虚史、ハンガリーの村から逃げてきた過去を持つ男性、青年の出自など、短い作品に隠された世界の奥深さにきっと驚くはず。
 この非凡な視点と素材を扱う熟練の技は長い人生経験によって培われたものに違いない。読むほどに、歳を重ねるって無限の可能性なんだ、と勇気づけられる作家なのである。
 『蜜のように甘く』の表紙写真は本人のもの。窓の隙間から垣間見える横顔には深い皺が刻まれ、眼差しは孤独の淵を覗き込むようで、彼女の生み出す作品世界を思わせる。
 2023年1月にこの世を去り、これが最後の短篇集となったのが残念でならない。
 (想定媒体 通販生活、14字x31行x3段、1300字)


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