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学歴社会と『学問のすすめ』

 日本の文明開化の最高イデオローグとされる先生(福沢諭吉)は,明治5 (1872)年という近代化の開始初期に『学問のすゝめ』を出版し,冒頭の「天 は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という有名なことばで,万人は平等であるといったが,それに続けてつぎのように書いていた。 

「医者,学者,政府の役人,または大なる商売をする人,夥多の奉公人を召 使う大百姓などは,身分重くして貴き者というべし。身分重くして貴ければ自 ずからその家も富んで,下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども,そ の本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとに由ってその相違も出来る のみにて,天より定めたる約束にあらず。......人は生まれながらにして貴賎貧 富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり,無学なる者は貧人となり下人となるなり。」

 貴賎貧富の差は家柄や生まれでなく,学問のあるなしによって決まるので,学問に励むべしということを彼はいいたかった。 それでは,近代社会において学問のあるなしが重視され,教育歴=学歴がある人の社会的地位を決めるようになったのは何故なのか。あるいは近代社会に おいて学歴主義が優勢となったのは何故なのか。それは,平等化,自由化,民 主主義,個人主義,効率主義,競争主義といった近代産業社会の原理と密接に 関連している。近代以前の社会では,身分制度的に成員の社会的地位が決めら れていた。それは家柄や生まれにもとづいて決められていた。社会学ではこれ を属性原理という。これに対して,近代社会においては,資本主義の発達とと もに工場生産方式が広まり,事務・管理を執る官僚制組織も生まれ,それらに ともなって新しい職業も数多く生まれた。また,身分制度は打破されて職業選択の自由がうたわれ,様々な社会的地位は新しい基準で決められることになっ た。そして,成員の職業的地位や社会的地位は能力,実績にもとづいて決められるようになった。

社会学ではこれを業績原理という。 近代社会ではある人の社会的地位を能力にもとづいて決めるとされたが,個人の能力の指標とされたのが,学歴という教育歴であった。なぜならば,近代 国民国家においては小学校から大学まで初等・中等・高等教育段階の学校が整 備された,近代的教育制度が開始された。最初は初等のちに前期中等教育段階 くらいまでは義務教育とされて,すべての国民は共通のカリキュラム,共通の 教科書によって学習内容の統一された教育を受けることになった。そして,学 力試験によって人びとの成績が判定されることになった。学校におけるある人 の成績は,平等な競争条件の下で判定された公正なものであり,その人の知的 な能力や努力を反映していると考えられる。学校で要求される知的能力は職業 活動において要求されるものとは異なるかもしれないが,ある人の業績を表わ しているものである。

 さらに,全国民が義務教育,その後の教育を受けてから職業に就くのが,人 生の普通のコースとなった。そこで,教育歴=学歴が就職のための一種の資格 と見なされるようになった。まず,医師,学者,法律家などの専門職につくた めには高等教育修了が必要な資格とされるようになった。つづいて,高級官僚 さらには軍隊や大企業の幹部になるためにも高等教育修了が必要条件とされ た。近代社会の枢要な地位は高等教育修了者によって占められるようになっ た。学歴がエリートの地位と直結するようになった。高等教育の機会をもとめ ての競争が開始されることになる。こうして,学歴主義が一般化していったの である。


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