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ダークペタゴジーについて/なぜ起きるのか?その要因

これまでの記事では、ダークペタゴシーの具体例を挙げてきたが、その要因について考えたい。例えば、同じような指導場面に置かれた場合、生徒を怒鳴りつける教師もいれば、生徒に根気強く対話を試みようとする人もいる。その差は何に起因するのか。
第一の要因に教育への信念が挙げられる。例えば、「生徒になめられたら終わり」という生徒不信ベースの教育信念を持つ教師は、生徒に対して最初からマウンティングを仕掛けて立場の違いをわきまえさせようとする傾向にある。
第二に過去の経験が挙げられる体罰を受けて育った人は、そうでない人と比べて体罰を支持する傾向を持つと多くの調査で指摘されている。いじめられた経験を持つ教師が、過去のいじめ加害者と似た生徒に対して攻撃的になる「移転」という心理的現象も報告されている。
第三が知識だ。子どもは相手に挑発したり、小さな問題を起こしたりして、相手の懐の深さや信頼性を測る「リミットテスト(試し行動)」を行うことがある。教師の優しい言葉掛けに耳を貸さず厳しい指導には従順になる権威主義的な子ども、注意を引くために問題行動を起こし叱られることで懐くような愛着障害的特性を持つ子どもも存在する。そうした子どもに対応するための教育学的知識を持たない教師は、強権的指導に引き寄せられがちである。
第四にストレスがある。周知のとおり、高ストレスの状況で人は攻撃的になりやすくなる。嫌なことあった場合や慢性的に苛立ちや空虚さを感じている場合には他者をコントロールし自己不完全感を埋め合わせようとする欲望が高まる。
第五にパーソナリティー心理学の領域で、ダークテトラッド(闇の四角形)と呼ばれる人格特性が近年注目されている。
嫉妬や自己弁護をもたらすナルシズム(自己愛)、他者操作や搾取をもたらすマキャベリズム(結果至上主義)、冷酷さや衝動性をもたらすサイコシパシー(低共感性)、嗜虐趣味をもたらすサディズム(加虐性向)この4属性を有する人は他者支配や攻撃などを起こしやすいとされる。
誤解のないように言えば、これらの人格特性は善用される場合もある。例えば、サイコパシー傾向の強い人が持ち前の冗舌さや対人的魅力を生かし、生徒から愛される教師になる場合もある。過酷な教育労働環境では、健全なナルシズムが精神的健康を守る防波堤になる。
そもそも、これまでに語った教師要因は、いずれも教育労働環境や研修機会などの環境要因に左右されるのであって、個人に対する安易な責任転嫁は慎まなければならない。
生徒側の要因もいくつか挙げておきたい。第一の要因に、子ども側の「逸脱的特徴」がある。忘れ物や遅刻、いじめのような逸脱行為のほか、髪の毛の色が生まれつき茶色だといった生得的属性が指導の対象になる場合もある。愛着障害的特性の生徒もいる。社会学でスティグマ(烙印)という、こうした負の反応を呼ぶ特徴がダークペタゴシーを解禁する標章として機能する。
第二の要因に、ダークペタゴシーに対する抵抗力の有無が挙げられる。ダークペタゴシーに反論・告発するためのソーシャルスキル、庇護を与えてくれる保護者や教師、友人の存在はダークペタゴシーの抑制因として機能する。
第三の要因に生徒側の「認知的整合化」が挙げられる。ダークペタゴシー体験について尋ねると半数以上のケースで「あの体験があって今の自分がある」「先生は厳しかったが目をかけてもらっていた」など、体験のプラスの側面に話が及ぶ。
理不尽な体験で人生を空費されることや重要な他者から憎まれ傷つけられることは耐え難いストレスである。そのため、無意識にその理不尽さに意味を見出そうとする「認知的整合化」が起こりやすい。こうした現象はドメスティックバイオレンスや児童虐待の被害者にもみられる。
それに関連した第四の要因に「心的外傷後成長」も挙げられる。人間は事故や災害などの悲劇に際して「認知的整合化」を超える人格的成熟を果たす場合があると心理学で指摘されている。これがダークペタゴシーに格好の正当化根拠与える。しかし、そこには「生存者バイアス」の問題や成長後もトラウマの苦痛は残り続ける。
「生徒側要因」と「生徒側の責任」は厳密に区別しなければならない。例えば、水俣病のような公害でも、被害者の体力などの違いにより症状には個人差が生まれた。汚染された魚や水を口にしたか否か、危険な土地に住んでいたか否かなど、被害者の個々の判断にも差はあった。
だが、当然のことながら公害の責任は廃液を垂れ流した企業や、それを放置した国に求められるのであって、普通の生活をしていた個人の責任は問われない。
生徒側にいかなる要因があるにせよ、ダークペタゴシーを発動させるのは教師だ。その背後には、個々の教師をダークペタゴシーに追い込む「教育公害」的な過酷労働環境がある。安易な個人批判は慎まなければならない。
いじめを研究する明治大学の内藤朝雄准教授が重要な指摘をしている。学校で残酷ないじめをする生徒や暴力をふるう教師たちも、法の支配する一般社会では「おとなしい小市民」だというのである。閉鎖的で密着した人間関係が強制される学校空間では、心理状態を一般社会とは別のモードにスイッチさせる特殊な磁場が発生しやすいのだ。
学校の中でもダークペタゴシーが振るわれやすいのは、学級や部活動、生徒指導のような密室的環境である。職員室も密室的環境の一種であり、管理職やベテラン教師が子どもを「しめる」方向に舵を切ると、服従圧力や同調圧力によって教職員集団全体に強権的態度が伝染し、ダークペタゴシーの温床が醸成される。過去の体罰死事件の中には、前任校で温厚だった教師が異動先の教職員集団への忠誠の証として体罰をふるい、生徒を死に至らしめたケースもある。
学校現場の恒常的な多忙も問題である。日本の教員は「世界一多忙」といわれる劣悪な労働環境に置かれている。文科省が2016年に実施した教員勤務実態調査によると、「過労死ライン」とされる週60時間労働超(残業時間月80時間超)の小学校教員が3割超、中学校教員が6割弱に上る。
少し古い話になるが、民間の教育機関による2007年の調査では、小中学校の教員の平日の平均睡眠時間は5時間台で、疲弊して熱意を失うバーンアウトの危険域に達している教員も4割に上った。疲弊や焦燥・不安は、教員にとって致命的な欠点となる攻撃性や自己中心性、不寛容、形式主義的な志向性などを高める。これは、社会心理学の各種実験で明らかになっている。
「学力向上」や「規律維持」が厳命されている場合は、特に「足手まとい」の生徒に対してダークペタゴシーが解禁されやすくなる。
環境要因には、子ども側の時代的な変化も影響する。2000年代に入るころには子どもの自宅での学習時間は大幅に減少し、中学校の長期欠席者は70年代と比べて5倍以上になったとのデータもある。極めて高度な情報化社会・消費社会を生きる現代の子どもにとって学校は時代遅れで、不合理な決まり事の多い憂鬱な場所だと感じられやすくなっている。
子どもを引き付ける魅力や自発的に従わせる権威が学校教育から失われるほど、個々の教師の指導の正当性は疑われやすくなり、子どもに規律を強制する権力、権力を誇示するための暴力が必要とされる。ダークペタゴシーの背景にはこうした公教育の制度疲労という大前提がある。個々の教師をダークペタゴシーに追い込む過酷な労働環境を、ある種の「教育公害」である。個別の事案では、指導の妥当性や責任の所在をめぐって教師側と生徒側が対立することは避けがたい。だが、学校制度の病理構造が問題の根源にあることは忘れるべきではない。

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