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ジーズアカデミー卒業「僕たちにはもっと可能性があるのかもしれない」

GGAが終わった。
正直にいえば、ここ数日は放心状態でなにもできなかった。
それくらい一所懸命にやり、それくらい悔しかった。

優勝目指して頑張ったが、結果としては入賞もできなかった。

社会人になって、いや大人になってから、こんな真剣に泣いたことってあっただろうか。
(代々木公園を泣きわめきながら、ワインボトル片手に帰った)

ただ、GGAにお越しいただいた投資家の方からは、何名かお声がけいただくことができた。
そのなかには有名VCの名前もチラホラある。きっと得られるものもあったのだ。

さて、せっかくジーズアカデミーについてのnote最終回なのだろうし、ひとつの節目でもあるはずなので、GGAのことを、ジーズアカデミーのことを振り返ってみたいと思う。

GGA(GLOBAL GEEK AUDITION)とは、Y Combinatorでいうところの「Demo Day」のようなイベントである。
半年間の成果を企業や投資家向けに発表する。

↓以前のnote↓
ジーズアカデミー全カリキュラム終了「G1クライマックス決勝。そして舞台はGGAに」

兎にも角にも、発表練習中からバカみたいに緊張していた。
なので、どうすれば緊張しないか。
いや、どうすれば緊張を受け入れられるかを考えていた。

その日の日報には、このようなことが書いてあった。

GGAまであと2日。

間違いなく緊張するだろう。
プレゼンの練習をしながら、あの教室で、後ろの席まで人が入っているなか、司会から名前を呼ばれる。

そのことを想像するだけで、言葉が固まりそうになる。

ただ、きっと大切なことは、
「過去を再現させるなんて考えない」
「いま、目の前にいるお客様を楽しませる」
そういうことなんじゃないだろうか。

書きながら思ったことなのだが、
そもそもうまくやる必要なんて、あるのだろうか。

過去の優勝者たちのプレゼンは、うまかっただろうか。上手いプレゼンが、見る者を楽しませるのだろうか。

人を震わせるものは、なにかひとつのことを成し遂げようとする、人の生き様や、発露した情熱なんじゃないだろうか。

今まで見てきた優勝者のピッチは、ほぼ全てにミスがあった。
だから、ミスをしたから勝てない、というわけじゃない。逆にノーミスでも、それが人を揺さぶる何かがなければ、勝つことはできない。

「よいプレゼン」というのは、何が違うのだろうか。

それは伝えたい、ただただ伝えたい。ただ一つのことを、それを伝える覚悟なんじゃないかと思う。
いや、むしろ何かを伝えようとする、その姿勢にあるのではないか。

そして僕はなにを伝えたいのか。
きっとそれはこんなことだ。

僕は元気です。
愛しているものを、誇りと覚悟をもって、それに対して情熱をそそいでいます。

仲間たちにそれを伝えたい。

そして、僕は
岩は、自然は、クライミングが、
美しいということを伝えたい。

そういう気持ちで向かったGGAだった。

反省はあるが、自分なりに納得のいく準備をして、自分が一番好きなプレゼンをした。

岩って、自然ってすげー!クライミングってすげー!
そう思ってほしかったのだ、市場規模なんかよりも(だから負けたのかw)

だからこのGGA、悔しい結果にはなったが、自分のなかでは悔いはなかった。自分で選んで、自分にすべて跳ね返ってきた結果だ。だからこそ受け入れられる。

なによりも発表者全員が、過去イチのプレゼンをしたことが喜ばしかった。

さて、あらためてジーズアカデミーで過ごした半年とはなんだったのだろうか。

世間から見てみれば、ジーズアカデミーとは「プログラミングスクール」や「起業家養成スクール」なのかもしれない。

ただ、卒業してみて感じることは「起業家的な精神」を学んだ場所なんじゃないかと思う。

「起業家的な精神」とは「目的と自由のために生きる」ということである。

たった一度の人生を、どう生きていきたいのか。
この限りある人生を、どのように過ごしたいのか。
自分はこの世界を、どのように変えていきたいのか。
その目的を問う。

そしてその目的を切に願い、祈り、情熱を傾けた結果、人生観が変わる。
それは人生に「少しばかりの自由」を感じるということである。

30歳も過ぎてくると「できること」に一線を引くようになってくる。
もちろんナニモナイより、強みや実績がある方が望ましいことに変わりはないが、それを捨てることや、世間的にバカになることのハードルがだんだん高くなってくる。

サンジュウ過ぎて、起業することも、いちからプログラミングを勉強することも世間的に見ればきっとバカである。

ただ、目的のために、自由と格闘しながら、生きることができた。

「プログラミングができるようになった」という以上に「大抵のことはできるようになりそうだな」という感覚が芽生えたことのほうが、
自分の人生に「自由さ」を感じられることのほうが、大きな財産なんじゃなかろうか。

僕たちにはもっと可能性があるのかもしれない。
そう思えるようになったことが財産なんじゃなかろうか。

仲間たちと過ごした時間が愛おしい。こんなエモい卒業になるとはツユとも想像していなかった。

ありがとう。みんながいてくれたお陰で、僕の半年間は素晴らしいものになりました。卒業おめでとう。そしてTDさん、ありがとう。あなたの教え子であることは、僕の誇りです。

Twitterを眺めていたらPaul Graham Botからこんな言葉が流れてきた。

IPOや買収が行われるまでに何らかの災難に見舞われないようなスタートアップは1000に1つというものだ。

それでやる気をなくしたりしないことだ。災難に見舞われたら、こう考えることだ。ああ、これがポールの言っていたやつか。どうしろと言ってたっけな?

ああそうだ、 「あきらめるな」だ。

目的と自由のために生きよう。
そして「あきらめるな」だ。

いまはGGAが終わってからの楽しみにしていた『グラップラー刃牙はBLではないかと考え続けた乙女の記録ッッ』を見ながら、半年ぶりの休暇を満喫したいと思う。

この半年間、僕たちは自分たちの可能性を叩き続けてきた。
よい仲間と出会い、全身全霊で駆け抜けた半年だった。
嗚呼、半年間あっという間だったな。

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