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起業をまえにしての覚書ー「すべては言葉から始まる」

「すべては言葉から始まる」
8年間在籍したスローガンで学んだ大切な教訓の一つだ。

なにかをはじめようとするとき、なにかを形づくろうとするとき、その出発点としての言葉(スローガン)。

だから自分自身も、そのなにかを形づくろうとするに際して、言葉をここに残しておこうと思う。

「なにか」というものは移ろいゆくかもしれない。ただその「なにか」を考えたプロセス、現時点での「なにか」を残して置くことは、未来の自分を助くかもしれない。

「はじまり」としてのロジスティック曲線

自分にとって大切で、かつ社会にとっても大事なことはなんだろうか。
そんなときにふとよぎったのは、ロジスティック曲線についてだった。

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最初に知ったのは、なんだっただろうか。
たしか、ポケットマルシェ・高橋博之さんの投稿だったような気がする。

生物には、その有限性に到達した際に、2つのシナリオが用意されている。
共生するか、絶滅へ向かうかである。
見田宗介教授の書籍を読みながら、これが「はじまり」なんじゃないかと、ざわついたことを覚えている。

個人としても自然とは、身近な存在だった。
年間、約30−40日くらいは山のなかで生活しているのだろうし、日常のなかに自然が溶け込んでいる。
山や岩に接していないと心が荒んでくる。自分との距離が遠くなってくる。
通称、山ヤ(山ヤを自称することには申し訳なさがあるが…)と呼ばれる生き物にとっては、まさに自然とは遊び場であり、共生の対象だ。

SDGsや持続可能性な社会というものが、声高に叫ばれている。
たしかに中長期で見れば経済活動への影響も大きいこともあり、知識人や経済界のリーダーたちからの関心が高まっているのも理解できる。

一方で、僕ら(山ヤ)が普段、接しているような”自然”というものは、この意味においての自然なのだろうか。
僕には、スローガン時代、心の師匠みたいな人が二人いて、一人が河合隼雄。もうひとりが若林恵(元『WIRED』日本版の編集長)だった。
若林さんには、表参道のカフェで出くわしたことがあり、「サイン下さい!」なんてアイドルみたいに興奮したことを覚えている。
(その時は仕事の打ち合わせ中で、そんな状況ではなかった)

そんな若林恵が「聖典」と評したイヴァン・イリイチの『生きる思想』という本がある。
そこに収録されている「静けさはみんなのもの(Silence is a Commons)」という素敵に題された文章のなかにある自然(静けさ)こそが、自分にとっての自然だった。

経済活動のための自然、資源としての自然。ではなく、「よく生きる」ためにみんなで共有されている自然。
カッコつけていえば、コンヴィヴィアリティのための自然というものが、自分にとって慣れ親しんだ自然なのだろう。

山に入り、岩を登り、イワナを釣り、焚き火を囲む。
静寂のなかに、なんとも言えない贅沢さと充実感がある。
それは、自然から派生し「心の豊かさ」に関する興味につながっていくことになる。

生存実感とリアリティ。そして物語からの疎外

見田宗介が「生きるリアリティの解体」と表現し、また河合隼雄が「コミットメントとデタッチメントの問題」と指摘したように。はたまた福田恆存が『人間・この劇的なるもの』に書いたように、僕ら(いや、もうこれは個人的な問題なのかもしれないが)にとっての苦しみは、物語から疎外され、生きることにリアリティがなく、生存実感がない、ということにあるのかもしれない。

彼らから言わせてみれば、アキハバラの無差別殺人事件も、地下鉄サリン事件も、東日本大震災で被災地支援に向かった若者も、みな同じ理由で動いているというのだ。
そして何を隠そう、自分自身も2011年から東北で1年と数ヶ月を過ごした若者だったわけだ。

たしかに言っていることは分かる。「未来」に成長と進歩があった高度経済成長期において、「現在」は大して重要なものじゃなかった。
ぼんやりとした明るい未来は存在していたのだろうし、そのために「現在」は「未来」のために我慢する場所だった。
それが可能だったのは、戦後焼け野原から復興しつつある経済大国ニッポンの物語があったからだ。
そしてその物語のなかで、自分という役割を感じることができた。それは確かに”豊か”だったのだろう。

しかしながら、バブルが弾け飛んだタイミングで生まれ、学生時代にリーマン・ショックも、東日本大震災も経験した僕ら(まあ、これも僕個人の感情なのだが)にとっては、生まれたときからそんな物語は存在していなかった。
だからこそ、東日本大震災というドラマの渦中に飛び込もうとしたのかもしれない。
激的で劇的なるものなかに入り込むことによって、自分に役割を得ようとしていたのかもしれない。

ただしこれも長くは続かない。「復興」という巨大で難解なテーマを目の前に、大した実力もない自分の存在は木っ端微塵に疎外された。
そしてまた物語を失った。

きっと僕は「孤独」に耐えられない人間だったのだろう。
ハンナ・アーレント曰く「孤独(solitude)はさびしさ(loneliness)ではない」という。
孤独な人間は、自分自身と一緒にいることができ、自己と対話することができ、自分のもとにいられるという。
一方で、さびしい人間は、その欠落感を埋め合わせようと、自己ではなく、他者を追い求めてしまう。

きっと物語を失った僕はさびしかったのだ。
でも、じゃあどうしろというのだ。

「人はなぜ冒険するのか」という愚問と物語の内製化

話は打って変わって、世の中には超絶に孤独であるにも関わらず、とても楽しげな生き物がいる。そう冒険家ってやつだ。
角幡唯介は、犬橇(そり)にのって北極のさらに極地を探検しているようなエスキモーもびっくりの日本を代表する冒険野郎である。

そんな彼が冒険と結婚は同じだというのだ。どういうことだろうか。
つまり両者ともに「そうせざるを得ないもの(事態)」だというのだ。
結婚は合理的な選択の結果ではない。将来、こんな未来を計画していて、それにはこんなお嫁さんが必要で、それを因数分解すると、、
って話ではなく、そうなっちまった、そうせざるを得なくなってしまった。という訳だ。

冒険だって同じだ。なんで、犬橇なんぞ引きながら、極寒の地球の最果てで一人ぼっちで出歩かなきゃいけないのか。
それは「思いついてしまった」からであり、思いついてしまったからには「やらざるを得なくなってしまった」からだ。
(ちなみに犬橇というのは「ワンちゃん可愛い〜」ってテンションではなく、とても危なっかしい行為である」)

彼らは物語を内製することができる。自ら戯曲をつくりだし、自らに配役を与える。孤独を楽しむことができる。
どうすればそんなことが出来るのかといえば、それは偶然との向き合い方にある。

たまたま偶然、ある女性と出会った。
別に結婚したい訳でもないし、なんならタイプでもない。周りから美人と言われてるわけでもない。
ただし、なぜだか惹かれてしまう。

そこには合理的な選択がある訳ではない。偶然生じた他者との関わりがあっただけだ。
ただそれを「合理的ではない」と切り捨てるのではなく、他者との関わりを深めていくことで、世間(合理性)とのズレ(自分らしさ)が生まれる。
そして、その偶然生じた思いつきに忠実に生きることで、その人の人生は、その人固有のもの(物語)になるというのだ。

たしかにスローガンに入社したのだって、ベンチャーに飛び込んだのだって、合理的な選択だったから、とはお世辞にも言えない(ごめんなさい)。
ただ、そっちに行ってみたらいいのかも。と思いついてしまったからだ。
ここでそっちに行かなかったら、なぜだか自分自身に嘘をついてしまう気がして、自分のことを信じられなくなってしまいそうだったからだ。

でも、この思いつきに従ったからこそ、いまこうして全く予期していなかった「起業」という事態に直面している。
スローガンと出会ったのも偶然だ。正月に暇を持て余していただけだ。
ただ、面白そうだと思い「選考希望」のアンケートを提出したら、あれよあれよと8年が経過してしまった。
けれども、この世間とのズレが、きっと自分らしさになっているのだろうし、自分の物語に繋がっているのだろう。

そして、この思いつきではじまった物語があるというのは、なんとも豊かであると思えている。
8年前、疎外され、泣きじゃくっていた自分は、偶然生じた思いつきに忠実に従った結果、そのズレから生じた事態によって、いつのまにかそれを手に入れていたという訳だ。

2030年、ポストSDGsに向けて

”豊かさ”についてもう少し考えてみたい。
なんでそんなことに執着しているのかというと、やっぱりどうせ自分でやるなら”豊かさ”に奉じたいと思っているからだ。

SDGsが大事だってことは理解できる。
それはそうだ。地球が滅んでしまっては元も子もないのだろうし、命が大事というのは絶対だ。
DXや第四次産業革命だってそうだ。
急激に高齢化と人口減少が進む日本においては、生産性・効率性というのは緊急で重要な課題だ。

ただ、仮に持続可能性な社会というものが達成されたとして、生き残ることができた我々は、どうしたらいいのだろうか。
デジタルトランスフォーメーションを合言葉に、労働からの開放という革命が成就してしまったら、本当に人間がやるべき仕事がなくなってしまったら、いったいどうするのだろうか。

2019年に開催された「ダボス会議」で、オランダの歴史学者ルトガー・ブレグマンは、1日3時間労働の未来がやってくると言った。
イギリスの経済学者ケインズは1930年の講演で、「100年後には、人々の労働時間は週15時間になるだろう」と語った。
さて、10年後。1日3時間”しか”働けなくなったら、どうしたらいいだろうか。

僕は暇と退屈が嫌いだ。嫌いというより、トラウマ的でさえある。
暇で退屈で、右目の網膜が破けたことがある。医者にいったらストレスですと言われた。
「暇だったので網膜が破けました」と言ったら笑い話だが。とにかく暇と退屈はストレスである。

國分功一郎は『暇と退屈の倫理学』のなかで、日常を味わえと言った。よく噛んでたべなさいと。
きっとその時の僕は、中高生が早弁するみたいに日常を丸呑みしていたのだろう。そういう生き方しか知らなかったのだ。

石川善樹が指摘するように、SDGsが終了する2030年。
そこできっと我々は、持続可能になった社会で、暇で退屈になった社会で、どのように暮らしていこうか、ということを真剣に考えるんじゃないだろうか。

そこで取り上げられるのは「ウェルビーイング」なのかもしれないし、はたまた別のコンセプトが提唱されるのかもしれないが、
生き残ること、省人化することに成功した人類は「いかに生きるか」「いかに死ぬか」ということを改めて議論し始めるんじゃないだろうか。
そんな10年後の未来に、自分はなにができるだろうか。

孤独を抱きしめて

ウェルビーイングや幸福論で著名な前野隆司教授曰く、幸せな状態になるには、4つの因子が重要だという。

1.「やってみよう」因子
2.「ありがとう」因子
3.「なんとかなる」因子
4.「ありのままに」因子

中身を見てみると、たしかになんだかポジティブで、楽しそうである。
ただ、なんだか個人的には、いまいちシックリした感覚がこない。

ハンナ・アーレントがソクラテスを引用して、
「吟味をへない生活は生きるに値しない」と言ったように。

はたまたヴィクトール・フランクルがドストエフスキーを引用して、
「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」と述べたように。

さらには、宮野公樹教授が「『本分』の在り方」と説明したように。

きっと自分が残したい、大事にしたいことは、
自己との対話を通じて、内省的に納得感をもって生きるということなのかもしれない。
それが自分にとっては豊かな生き方なのであり、環境がどうであれ「よく生きる」ということを意味しているのだと思う。

宮野公樹は『問いの立て方』でリルケの「若き詩人への手紙」からこう引用した。

あなたは外へ眼を向けていらっしゃる。だが何よりも今、あなたのなさってはいけないことがそれなのです。
誰もあなたに助言したり、手助けしたりすることはできません、誰も。
ただ一つの手段があるきりです。自らの内へおはいりなさい。
あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐってください。
それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。
もしもあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白して下さい。
何よりもまず、あなたの夜の最もしずかな時刻に、自分自身に尋ねてごらんなさい、私は書かなければならないかと。
深い答えを求めて自己の内へ内へと掘り下げてごらんなさい。
そしてもしこの答えが肯定的であるならば、もしあなたが力強い単純な一言、「私は書かなければならぬ」をもって、あの真剣な問いに答えることができるならば、そのときはあなたの生涯をこの必然に従って打ちたてて下さい。
(高安国世訳)

自己との対話には、孤独と静けさが大切である。
山にいるとき、岩を登っているとき。僕は孤独と静けさを享受することができる。

月明かりの下で、トレースのない真っ白な雪面に目を落としながら、自分の雪を踏む音だけが聞こえるひと時に「自分がここにいる」ことを感じる。

河原の岩場で独り、葛藤の混じった一手を出し、マントルを返し、緊張感から開放された瞬間。なんとも言えない静寂と充実感を感じる。

そして自分が「自分自身と一緒にいること」を感じる。

未来は静けさのなかに

先日の3月11日。東日本大震災からちょうど10年。
14時46分は海を見ていたいと独り海辺に向かった。

この10年にどんな意味があったのだろうか。あの人たちは、いまどうしているのだろうか。
波の音だけがその場にある。そのなかで故人を偲び、この10年に思いを馳せる。

そして迎える14時46分。すると突然、拡声器から「震災から10年、黙祷ください」といったアナウンスが静寂を裂いた。
「自分が自分のそばにあった」時間は、突如として中断された。

誰も悪くないなんてことは知ってるが、
祈りなんてものは、きっともっと内側から溢れるものなんじゃないだろうか。
どうして自分が生き残ったのか。亡くなった方々の死には、どんな意味があったのだろうか。
どう生きていかねばならないのか。あらためて、自分とは何者なのか。
そんなことを考えていると、祈らざるを得ない、そういうもんなんじゃないだろうか。

人間は自然と共生していかなければならない。
そして遠くない将来、持続可能性な社会を実現し、生き残ることができた人類は「いかに生きるか」ということを考えるのだろう。

僕はそこに、孤独と静けさを残したい。
「静けさはみんなのもの」
そのときの自然もそうあってほしい。

東日本大震災から10年。スローガンに入社してから8年。
ちょっと大人になったいま、静けさと孤独は自分にとって大切なものになった。
この静けさを、たいせつに未来に残したいと思う。

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