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おやばかたんじょうのきろく

超・私事ですが2018年10月3日に長女を授かりました。
名前は「朝日」と書いてそのまま「あさひ」と読みます。
ちょっとくさいことを書きますが、朝日はぼくら家族にとって、新しい日々の始まりを連れてきてくれた、まさに朝日みたいな子です。

いやまあ、最初は、ただ、ポジティブで、元気があって、誰もが知っている言葉で、響きがかわいくて……くらいで考えてた候補ですけど、やっぱりこの子は「朝日」だなって思いました。
(よその家のこういう話、すげえニーズないですよね……わかってます。でも書きます。これは、たぶん、未来の朝日への手紙みたいなものでもあるので)

そんな、朝日が生まれてくるまでの約30時間。
僕はなにも考えずに、ただただ、出産の状況をTwitterとFacebookに投稿し続けていました。

それが、全く意図してなかったにも関わらず、多くの人たちから「実況見てます!応援してます!」とコメントをいただき、「ああ、これは実況なのか」と、少し照れくさくなったくらいの感じでした。

もちろん、不安もいっぱいよぎりましたよ。だって、出産が上手くいくとは限らない。そうなったらどう収拾をつけるのか?なんて。分別のある大人がやることじゃないよね。家族から怒られても仕方ないよね。

んなことは重々わかってました。でもね、なんだか投稿しないとやってられない自分がいました。

おくさんと出会ったのは学生時代で、結婚してからは約6年……妊娠したのは初めてではありませんでした。
浮かれたり、落胆したり、飯田橋のデニーズで泣きながら「今は無理です」と、決まっていた講演を断ったこともあります(その節は本当にすみませんでした)。上手く言えないけど、そしてもう、冷静に善悪の判断つけちゃったらほとんど悪というか、愚行でしかないわけなんですけどね、気がついたらだだ漏らしてました。もう、ある種の「願掛け」だったのだと思います。そんなこんなの30時間をここにまとめてみようと思います。
朝日がこのページを見ることがあるのかはわからないけど、書いておくことで、語れる日が来るとは思うので。

これが後に「出産実況」と呼ばれることになる一連の投稿のはじまりでした。予定日を1日過ぎた晩の出来事。ちなみに朝日さん、9ヶ月以上を逆子で過ごしておられまして、元々、9月18日に帝王切開で誕生する手はずだったんです。が、まさかの3日前に逆子返上というミラクル。結果的には自然分娩でめでたく誕生したわけですが、僕もおくさんも、けっこう振り回されましたよ。

※因みに投稿文に書かれた経過時間とか、今見ると結構いい加減なんですが、そういうテンパった感じも含めてそのまま残しておきます。

で、その晩は陣痛がまだ軽かったおくさんを病院に残して一時帰宅。翌朝、もう一度病院へ向かい、近所のコインパーキングを見たらなんと同じ車(わりと珍しい車種)が!ってことで、出産とはあんまり関係ないけどパシャリ。この感じからして、一連の投稿に、全く企画性がないことが見て取れますね。意味わからん。(一部で双子生まれる兆しじゃない?みたいなコメントありましたねw)

先にざっくり説明すると、おくさんのお母さんは何年も前に他界してまして、僕は、お義父さんとおくさんの3人で、おくさんの実家で暮らしてるんですよ。名字は変わらないので、いわゆる“マスオさん”みたいなライフスタイル。つまりお産経験者がいない!ってことで、ここからは僕の実家の母(朝日から見たら八王子のばあば……ってところかな)が助っ人に登場。子ども3人+孫2人を育ててきたキャリアを遺憾なく発揮してくれます。この時点で、入院から7時間ほどが経過してます。

しかし、陣痛はなかなか進行しません。「陣痛」というのは一説によると、「陣地を失うような痛み」だという話がありますけど、嫌に男性目線なのでちょっと信憑性に欠けますが、おくさん曰く「とにかく痛い」のだそうです。陣痛を進行させる=赤ちゃんを子宮口方向に下げていくためには、「いきみ」と運動でどうにかするしかないため、僕とおくさんはひたすら階段の上り下りを繰り返しました。控えめに言って苦行でしたが、これが後々、大きな効果につながります。

時間は流れて、夕方です。立ち会い出産における夫の役割の大半は、「立ち会うこと」ではなく、主要なケア任務を担う「リソース」になることです。で、その「リソース」としてやることは、陣痛を和らげ、いきみを進行させるためにおくさんのからだを「ひたすらさする」。ただ、これだけです。テニスボールをお尻に押し当てるのも一般的なので、テニスボールも用意していましたが、うちのおくさんからは「それは(刺激が)ピンポイント過ぎて痛い」という指摘が入り、おくさんの呼吸と合わせて掌底でぐぐっと押すのがメインとなりました。あと、病院で貸してくれた服の布地と、僕の手のひらの皮膚の相性が悪くて、さすり続けると指紋や手相が変わってしまいそうだったので、タクシードライバー用の布手袋を用意して対応しました。アレは結構便利なのでおすすめ。

で、この押したりさすったりが、もう、ただひたすら続きます。「すごい時間かかるよ。待ち時間長くててつおさん、飽きちゃうんじゃない?」なんておくさんに言われてましたが、飽きてる余裕なんて皆無of皆無。だいたい5分間尻を押したら、5分間休む。で、また押す。休む……を繰り返すだけでざっくり10時間くらい続くんですよ。

とりあえず、まだ陣痛が軽いウチに晩ご飯をかっ込んで、母とお義父さんを家まで送り、ひとりで夜の病院に戻ります。僕はこの時点で、夜中にはけりがつくんじゃないかと高をくくっていたところがありましたね。

でも、ここからが長かった。分娩室に近い陣痛室でおくさんと再会して尻をもみはじめます。最初は会話もありましたが、徐々に言葉数も減り、交互にやってくる痛みと闘う時間が続きます。
「終わりが見えない苦痛」って精神的にすげえきついですね。おくさんに至ってはここにとんでもない痛みがプラスオンされるわけですから、頭が上がりません。妊婦、本当にすごい。

陣痛開始→おくさんがうめく→お尻を押す→陣痛がおさまる休む→陣痛開始→尻を押す……の繰り返しです。通常ならこの感覚が徐々に狭まっていき、分娩室へ移動するのですが、これが20時から朝の4時過ぎまでほとんど変わらず……でした。最後の方は意識がもうろうとしていて、陣痛が治まると同時に意識が落ちて、数分後におくさんのうめき声といきみで意識を取り戻して尻を押す。ベッドに横座りになって低い位置から体重をかけて手のひらで押すという基本フォームも、からだに重い負担をかけてきます。

厄介だったのがトイレで、産婦人科があるフロアには男性トイレがないんですよ。だから、陣痛の間隔を見計らってダッシュで別のフロアへ行くか、助産師さんに助けを求めるほかない。まあ、とにもかくにも、この状況が実に20時半〜翌朝の5時くらいまで続きました。9時間か。すげえな。

事態が一変したのは、このときですね。軽い破水らしき兆候があって、助産師さんを呼んだら、「下着類を替えるから旦那さんは外へ」ということになって、ちょっと休憩を取ることにしたんすよ。で、トイレ行って、この投稿を済ませて戻ってきたら、分娩室への移動が決まりました。正直、「やっと終わる」って思いましたよ。でも、話はそんなに簡単ではなかった。

分娩室の写真は載せられませんが、分娩室まで行くと押したりさすったりもなくなります。先ほどよりも明らかにしんどそうな声を上げるおくさんをただ見守って、いいタイミングで水を飲ませたり汗を拭いたりするだけ。これが楽になったかと言えば、逆にやることが減って、メンタル的な苦痛は増えました。すでに2人とも極限状態です。でも、この「極限状態」がすぐに終わらないから、出産ってすごい(個人差ありますが)。

事態が変化したのは分娩室に入ってから約4時間20分後。「なんか……!丸いものが……いるっ!感じがスルッ!!!」というおくさんの訴えに「まだそんな段階じゃないですよ」なんて言いながらおくさんの股をのぞき込んだ助産師さんの目つきが変わり、「頭出てきてますね!もう少しですよ!!」という声が!そして分娩室に人が集まり始めてました。明らかに雰囲気が変わります。上の画像は、そのときの「予感」とともに反射的に撮った写真です。さすがに分娩の瞬間の写真はnoteに上げにくいので、この感じからお察しください。そしてついにそのときが来ました。

実際の出産時刻は9時26分だったそうです。ギリギリ朝生まれ。朝日と言う名にふさわしい幕開けでした。

まずね、ベタな感想だけど、赤ちゃんって、ドラマのSEみたいな声で「ほぎゃああ」って泣くのね。あと、「赤ちゃん」の「赤」って、ちょっとレバ刺しみたいな「赤」なんだなあ。あとね、なにより驚いたのが、なんというか、唐突なんだよね。10ヶ月以上、同じ家で過ごしてきたんだけど、急におくさんから小さい人が出てくる感じは、実際目の当たりにしてみても、なんだかすごいことなんだよ。

そして、面会時間外にもかかわらず、朝6時に駆けつけて3時間以上待っていたお義父さんにも、初孫との対面の瞬間が訪れます。上の写真は、分娩室から戻ってきた直後の表情。「こんなに小さくて、すごくかわいかった」と、うわごとのように繰り返すお義父さんの「デレ」は正直予想の斜め上をいっていました。

こうして、行きがかり上、出産までの30時間をだだもれにした「出産実況」は終わりを迎え、同時に我が娘・朝日の人生がスタートを切りました。

全体にわたっての感想は、知識で理解していても、直面すると全然違う。違いすぎるのがお産なんだということ。
人間ひとりが生まれるまでの苦難って半端なさ過ぎますよ。正直、ウチのお産が特別大変だったり、ウチの娘が特別だなんて一切思えなくて、むしろ、特別じゃない出産なんてないんだ。特別じゃない人なんていないんだ。みたいな、えらくまっすぐな気持ちになりました。
こんな風に文章化しなくても、バカみたいに事細かに説明しなくても、子どもを持つ誰しもが経験してきたことなんだと。そう思うと、もう、周囲のあらゆる人たちが尊く感じられました。

あと、本当にたくさんの人から見守ってもらえたのは、本当にうれしかったです。いろんな方から「親戚みたいな気持ちで見てたわよ」なんて言ってもらえて。これはもう、各方面からお祝いが期待できますね。

とまあ、冗談はさておき、ここにひとりの親馬鹿が爆誕したことは間違いありません。40歳で親になるのは、きっといろいろ大変なこともあるでしょうけど、比較のしようもないし、たぶん、大変じゃない子育てもないと思うので、前向きに頑張ってきたいと思います。何卒、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

追伸
キャラが崩壊したお義父さんこと新おじいちゃんは、今日、YouTubeで新生児の抱き方の勉強をしてました。その変貌ぶりに、おくさんもちょっと困惑してますよ(笑い)。新しい家族は、家族も新しくしちゃうんだなって。そんなことを思った次第です。


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