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宮本浩次 遂にオリコンチャート第1位を獲得!自身史上初!

いやーめでたい!遂に!遂に!我らが宮本浩次が自身初のカバーアルバム『ROMANCE 』で、オリコンチャート第1位を獲得したぜ!宮本浩次としてはもちろん、エレファントカシマシでもなし得なかった首位の座。ドファンは心から歓喜した!おめでとう!宮本浩次!やっぱりでっかいことやってくれたぜ!初のソロアルバム『宮本、独歩。』ではダウンロード配信で第1位を獲得して、その時も嬉しかったけど、やっぱオリコンチャートでの1位獲得というのはまた違うよなぁー。宮本浩次がずっと昔から拘っていた売り上げランキングでの一位だからね。しかも一位の座を発売日初日だけでなく、1週間ずっとキープしているんだから宮本浩次の勢いは止まらない。実に40年以上にわたる音楽人生でついにようやく、自身の才能を世に認めさせたのだ。WOWOWのドキュメンタリーで、自らを日本屈指、世界屈指だと言いながらも、自分の理想にいまだ到達出来てないことに勿体無い、泣けてくる、と言っていた宮本。今回のオリコンチャート一位は、どんなに嬉しいだろう、それがずっと応援してきたファンにも十分に伝わってくる。これは、宮本浩次の才能と努力と忍耐、そして強い信念で掴み取った王冠だ。とは言っても歩みを止めない男、宮本浩次のことだからまだまだもっと先へ行こうとしてるだろう。でも今この時は勝利の美酒に酔いしれてほしいと思う。

宮本浩次は少年時代、テレビやラジオのベストテン番組を食い入るようにとても楽しみにしていたとのことで、自らがプロになってからもランキングを常に意識していた。エレファントカシマシのいわゆる『J-POP路線』の時代に宮本は、雑誌やテレビのインタビューとかでも売り上げランキングのことに触れていて、売れろ!売れろ!と常に言っていた記憶がある。そして、今宵の月のようにが60万枚の大ヒットとなり、ようやくスターミュージシャンの仲間入りを果たし世間にその名を轟かせた。それでもエレカシ宮本浩次は満足せずに、自分の才能を持ってすれば一位を獲得出来ると信じていた。GLAYを引き合いに出し、300万枚売る!と自分を鼓舞するような発言をしていた時もあった。しかしエレファントカシマシは宮本浩次の思いとは裏腹に少しずつ売り上げは下降していった。ほんとにドファンとしても歯痒い時期だった。

どんなに自身で最高傑作と思えるものを世に出しても、音楽業界の人間がどれだけ認めて評価しようが、売れなければその存在はないものに等しい。そしてまた、売れなければ契約を切られ、プロとしての音楽活動を絶たれる。そのことを宮本浩次はエピック時代に嫌というほど味わったと思う。だからこそ、宮本浩次は売り上げに拘った。でもそれがセールスに繋がらない時期が続いた。カウントダウンTVとかで、40何位とかなってると本当に落胆したものだ。コアなファンからすればなんでこんな大傑作がヒットしないんだ!と怒りすら覚えたこともあった。まーただその都度CMとタイアップされたり、ドラマの主題歌などになったりとセールスは一時期より少し落ち込んだものの常に存在感は示していたけどね。ただ、一般層には全く響いてなかったんだよなぁ。やはりどこか異端児扱いみたいな時期がずっと続いた。そうじゃないのに!この人はものすごい才能なんだよ!とファンはいつも悔しかった。そういう歴史をファンはずっと見続けてきた。

自分の作りたい音楽と売れる音楽の狭間での苦悩は我々凡人には想像がつかない。宮本浩次は好きな本のことを例えに、いくらどんなにいい小説であろうが、売れなかったら歴史に埋もれ存在しなかったことになるともいっていた。名曲が世に残るのは当然いい曲だからなのだろうけど、めちゃくちゃ売れたからなのだ。作品を世に残すにはとにかくまず売れなきゃ話にならない。宮本浩次の苦悩はいつもそこにあったと思う。ロックファンだけに評価されても仕方ない、一般大衆に売れてこそだと。しかし宮本浩次の崇高な思想とも思える歌詞が盛り込まれた歌は時に難解で一般人には届きづらい。まー、もっとも扉の時期は売れることより作家性を重視していたと思うけどね。でもいつだって宮本浩次は売れるぞ!という気合いな漲っていたはず。しかし森鴎外の歌が大衆に理解されるわけはなく、売れたい宮本浩次の思いに反してセールスは伸び悩み、私的名盤『町を見下ろす丘』のリリース後、3度目のレコード会社移籍となった。

しかし、それがエレファントカシマシの再起となったのだ。

俺たちの明日の大ヒットでエレファントカシマシは息を吹き返し、再びメジャー戦線に返り咲いた。今宵の月のように以来のヒットで世間にエレファントカシマシが再び届いた。こんときは本当に嬉しかったなぁー。それからは次々とヒット作を生み出し、セールスも伸び続け、30周年のアニバーサリーイヤーでは全国都道府県ツアー、2度のさいたまスーパーアリーナでのコンサートを行い、ついには念願であったであろう、紅白歌合戦出場した。そして自身の最大のヒット曲『今宵の月のように』を披露した。

もう大丈夫。その確信と一つの到達点に登り詰めた宮本浩次は大手事務所に移籍。程なくしてソロ活動を開始した。当初ソロ活動は、より個人的で内省的なものになる予定だったとのことだが、周りがソロになった宮本浩次を放っておかなかった。一般的な人気と知名度の高い椎名林檎とスカパラとのコラボで一気に知名度が上がった。ちなみに椎名林檎との獣行く細道のYouTube再生回数は現在2400万回を超えている。

そして、ソロ曲『冬の花』がドラマの主題歌に、ソフトバンクや月桂冠のCM出演と徐々にメディアでの露出が増え、お茶の間に宮本浩次の存在が瞬く間に認知された。そして歌番組やバラエティ番組にも度々出演し、そのたびにTwitterではトレンドとなり、SNSも賑わせた。またファッションスタイルもお馴染みの白いシャツ、黒いパンツから変化し、ハイブランドのジャケットやコート、パンツはレザーやデニム、指輪や時計などの装飾品を身につけるようになって、これまたファンの間でおおいに話題を呼んだ。

そして2020年には宮本浩次、待望のソロアルバム『宮本、独歩。』が完成。配信、CD売り上げともに好評を博し、いよいよツアーでガッチリとソロの人気を不動のものにしようとしていた矢先、世界は未曾有のパンデミックとなり日本でも緊急事態宣言がなされ、独歩ツアーは中止となった。私もチケットを手に入れていたので、コンサートが出来ないことは理解しつつも非常に落胆した…。しかし、緊急事態宣言で誰もが気持ち的に落ち込み、不安な状況で精神的にも塞ぎ込んでる時に、宮本浩次はカヴァーアルバムの制作に向け、一人作業場で自身のすべきことに邁進し、没頭していたのだ。やはり宮本浩次は常人ではない、規格外のものすごい男なのだ。だって世の中全体が暗くなって、これからどう生きていこうかとみんな不安な気持ちでさまよっている時に、ここぞと一人きりで音楽と思う存分向かい合い、一日一曲を課し、昭和の名曲をカヴァーをしていたのだから。宮本浩次の生命力はすごい。そしてそれと並行し、宮本浩次は作業場で宮本、独歩。のコンサートを敢行。この様子はWOWOWで独占配信された。25台のカメラが設置された無観客の作業場をライブハウス、コンサートホールに見立てて、宮本浩次はギター一本で水を得た魚のように縦横無尽に躍動し、コロナも吹き飛ぶ凄まじいど迫力のパフォーマンスをみせた。かつてない、他に類を見ない、剥き出しの宮本浩次にドファンもエビバデも文字通り「度肝を抜かれた」。あらためて、宮本浩次の破格の才能を目の当たりにしたのだ。いやー、このライブには本当にぶっ飛んだなぁー、出来れば全世界の人に観てほしいと思うね。

個人的な話になるけど、かくいう私も同じ時期に自身のライブ、元祖!一人プロレスの20周年のリモートライブを行った。以前はライブハウスやそれこそドデカイ東京ビッグサイトなどでやってきたから、今年は20周年だし、久しぶりになんらかしらのライブをしたいと思っていたけど、こんな世の中だからそれは出来ない。でも自分の中のケジメとして何かをやらなければと葛藤があった。その中で、だったら一人でも手作りでもなんだっていいからやろう、やることが大事なんだと半ば無理やりライブ配信をYouTubeで行った。芸術活動は誰が見ようが誰も見まいが、自分の歴史と真摯に向き合うことが重要なのだ。そう自分に言ってなんとか20周年のライブをすることが出来た。まーたくさんの人に見られるのが一番だけど…時間があったら私の一人プロレスも見てくれたら嬉しい。

閑話休題。

その後、新曲P.S.I love youがリリースされ、初回限定盤に宮本、独歩。の弾き語りライブの完全版が収録された。そしてカップリングには木綿のハンカチーフが入り、今回のカヴァーアルバムの流れへと突入したのだ。各歌番組で、あなたをはじめとするカヴァー曲を次々と披露し、その度に以前に増してさらに宮本浩次は話題を呼んだ。怒涛のテレビ出演が続き、もう今年は音楽業界の話題を独占したといっても過言ではないくらいの大活躍となった。

こうして、ざっとではあるが宮本浩次のソロ活動を振り返ってみると、本当に怒涛のような勢いと濃密さで突き進んできたことがよくわかる。今年放送されたNHKのSWITCHインタビュー 達人達の中で宮本は「どんなことあってもバンドよりも絶対売りたい」「自分のソロ活動をどんなことがあっても成功させたい」と番組の中で宣言していた宮本浩次。30年以上の歴史をもつエレファントカシマシより売れるためには、何年分ものエネルギーを一年に凝縮してギチギチに詰め込むしかない。バンドに勝たなければいけない、バンドより売れなければソロをやる意味がない、と誓いを立て、自分を追い込み、駆り立てて様々なことに臨んできたでたあろうこの一年。CDセールスの厳密な枚数や様々な点を考えれば一概に言えるものではないし、エレファントカシマシの偉大な功績は決して数字ではかれるものではないけれど、宮本浩次はこのカヴァーアルバム『ROMANCE 』で自身初のオリコンチャート第一位という王冠を手にし、エレファントカシマシの記録を塗り替え、ドーン!と有言実行してみせたのだ。「大スターになりたい。」という、宮本浩次の強い思いは着実に現実となろうとしているのだ。事実、スターとしての輝きは以前よりも強く増しているのは間違いない。

30年以上休まず活動し続けてきたエレファントカシマシでさえなし得なかったことを宮本浩次は一人で、丸二年で成し遂げた。これはものすごいことでもあるし、ずっと応援してきたファンにとってもものすごく喜ばしいことである。と、同時に宮本浩次はやはり孤独な旅人なのだなと思わざるを得ない。エレファントカシマシで紅白に出場したとき、おそらくはエレファントカシマシメンバーで喜びを分かち合えただろう、しかし、今回はあくまでソロ宮本浩次としての王冠であるから喜びを分かち合う人はいない(いや、もしかしたらおるのかもしれんけど)。Instagramにアップされた宮本浩次の写真。喜びを噛み締めるような表情のその中に一抹の憂い、哀愁を感じた。まああくまで私の主観なのだが。でもこの哀愁、憂いこそが歌手としての宮本浩次をより大きな存在にしていくようにも思えた。人が味わえない天にものぼる喜び、人が想像もできないほどの悲しみを味わう。天才ゆえの孤独。これは表現者としてすごく重要な要素だと思う。

宮本浩次は、もともと端正な顔立ちで若い時の突っ張った鋭い目つきもロックスターとしての魅力に溢れていたが、近年の穏やかで少し憂いをおびた表情はすごくいい。先日YouTubeにアップされた、ROMANCEのスポットCMで見せた横顔は、まさに昭和歌謡の往年の歌手のような表情、佇まいのようだ。何十年と宮本浩次を追いかけてきて、どの時代の宮本もカッコよく魅力的だったが、今が一番輝いているようにも思う。そして、この男はやはり一人歩く姿がよく似合う。これからも孤独な旅を続けていくのだろう。

私たちはその孤高の姿に魅せられ、ずっと後ろを歩いて追い続けるだろう。そしてその道で自分自身も孤独な旅人であることを気づかされる。でもそれは決して寂しいことではない。人間はいつだって孤独な旅人。その旅の途中に、様々な人との出会いがあり別れがある。喜びがあり悲しみがあり、幸せがあるのだ。だから宮本浩次は旅に出ようぜBaby!と今日も明日も歌う。明後日も。

あらためて、

宮本浩次おめでとう!ありがとう!

そして、ソロコンサートを心待ちにしてるぜ!

リー中川

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