見出し画像

黒猫のこと

出会い
今から21年前の話。
彼は酷い状態で僕の元にやって来た。言葉は悪いがズタボロ。左前脚から出血があって痛そうに引き摺っていたし、尻尾の先は毟り取ったかのように欠損していた。おまけに目は大量の目ヤニで塞がっていて、その身体は骨が浮き出るほどに痩せていた。聞けば隣家の庭で放し飼いにされているゴールデンレトリバー系の犬に襲われ、命からがら知人宅の庭に逃れて来たんだと。あまりにもその犬が吠えるので窓の外を覗いてみると、ちょうど逃げ込んでくるところだったそうだ。

戸惑い
この時彼を連れて来た知人宅には、既に犬3頭と保護猫3頭が居て、それ以外にも里親を探している最中の仔猫が3頭いた。そんな事情を知っていたから、彼を置くスペースがないであろうことも、世話をする人手がないことも理解していた。
『責任を持って里親を探すから、暫く面倒を見て貰えないか?』
困惑したが、そう言われたら放っておくわけにはいかないだろう。何事にもお節介が過ぎる知人の優しい気持ちにほだされて、僕は安請け合いをしてしまった。知人はとりあえずと言って、ミルクと猫缶と彼の住まい(ダンボールにペットシートとバスタオル)、それにシリンジを置いて帰って行った。
残されたのは僕とシャーシャーと威嚇が止まらない黒猫。暫くそれを眺めていたが、ふと我にかえり、同時に頭を抱えた。何故なら当時の僕は完全な犬派。物心がつく前から犬と一緒に暮らして来たし、わからないことがあるとすぐに調べたくなる性質だったので、接し方や飼育環境、それに病気のことなど、ひと通りのことは知っている自負があった。が、猫は別。気分屋で身勝手なイメージに親近感が持てなかったし、だから僕には生涯縁のない存在だと思っていた。しかも幼少の頃、母の知人宅のシャム猫に相当な怪我を負わされたこともあり、苦手どころか、なんなら嫌いですらあった。しかし成り行きとは言え、お世話するからには、最低限、猫が何たるかを知る必要がある。僕はすぐに本屋に走った。そこで見つけたのはスージー・ペイジ著『猫のすべてがわかる本』。中身も確認せずにタイトルだけで購入した。確か発売されて間もない頃で、200数十ページあったと記憶している。もちろん一部斜め読みだが、それを一晩で読破した。とにかく彼が普通の状態でないことは一見してわかっていたし、もしかすると深刻な状態かもしれないということも、付け焼き刃の知識から想像に難くなかった。
『先ずは明日朝一で病院だ。』
汚れた彼の顔を湿った脱脂綿で拭いながら、僕はそう考えていた。

画像1

決心
翌日、僕は適当な理由をつけて半休を取り、彼を連れて病院へ向かった。知人が事前に連絡を入れておいてくれたお陰で、ほぼ待つことなく診察室に通された。
「事情や状況は伺っています。先ずは怪我を診てみましょう。」
すでに出血は止まっていたが、左前脚の怪我は思っていた以上に酷く、第三指の先を爪ごと持っていかれていた。それに尻尾は、やはり噛みちぎられたようで、その先からは骨が露出していた。
「きっと咥えた状態で振り回したのでしょう。」
傷口の状態を見て、獣医師はそう言った。その後全身をくまなく触診(多分骨折の有無を確認していた)し、急ぎ傷の処置を行った。
「触診では骨に異常はないようですが、念のためレントゲンを撮りましょう。それから叩きつけられている可能性があるので、エコーもかけましょう。いかがですか?」
“いかがですか?”素人の僕にそれを聞くのか?今であればその言葉の意味を理解出来るが、その時は戸惑った。多分眉間にしわを寄せていたと思う。
『猫は初めてのことなので、どうすればいいのか分かりません。』
僕は正直にそう答えた。それを聞いた先生は、(もちろん一言一句覚えているわけではないが)こう言った。
「どんないきものも人と暮らす以上家族です。例えばご家族が病院で診察を受け、検査や手術をする際に、もちろんそれが今すべきことと医師が信念を持っていたとしても、勝手にことを進められたら、不安だったり、嫌ではありませんか?つまりそういうことです。」
それを聞いて僕は、先生の提案を全て受け入れることにした。
『確かにそうですね。お願いします。』
レントゲンとエコーの結果、骨に異常はなく、内臓にも損傷は認められなかった。それを聞いて胸を撫で下ろしたのも束の間、続く血液検査では脱水と低血糖であることが判明し、それ以外にも耳疥癬と寄生虫も見つかった。目はやはり酷い感染症にかかっていて、最も重篤な状態だった。
「出来ることは全てやりますが、この子は長く生きられないかもしれません。一応覚悟はしておいてください。」
“割とあっさりしているな。病院ではこんな感じなのか。”
僕は一瞬狼狽えたが、実は彼を見た時からわかっていた。その姿はまさに満身創痍。動きは緩慢で弱々しく、寝ている時には何度も生存確認するほどだった。ただ頭では理解していたが、心は確かに拒絶していた。
“生きてくれ。どんな姿になっても構わない。とにかく生きてくれ。”
そう願いながら、その時にはもうこの子と暮らすことを決めていた。

START
週齢三~四週間程度、一カ月未満。そう聞いていたので、ミルクと離乳食を与えた。興味は示したが離乳食は舐める程度だったので、仕事の合間に帰ってはミルクを与えた。トイレは一度で覚えた。お腹が緩かったので、見る度ウンチまみれだったがとてもいい子だ(笑)給餌する度にシャーシャー!ペッペッ!と威嚇する声も、一週間を過ぎたあたりから聞こえなくなり、僕の存在を受け入れ始めているようだった。しかし状態がなかなか安定せず、一喜一憂の日々は暫く続いた。それでも通院治療と投薬を続けるうちに、彼は徐々に回復しているようだった。
初めて猫の世話をすることになり、僕も必死だったのだろう。これまで彼の容姿をまじまじと見る余裕がなかったので、改めて観察してみることにした。結果、その印象は決して良いものではなかった。
“贔屓目に見てもブサイク…。猫ってこんな顔してたっけ?仔猫はみんな可愛いと思ってたけど、この子はまるでオオコウモリのような顔だな。”
彼の行く末を案じずにはいられなかった。

画像2

猫から教えられたこと
状態が良くなるにつれ、彼は“ここから出せ!”と鳴き続けるようになった。ゲージの中で暴れ回り、寝床にしていたダンボールを噛みちぎるなど、いわゆる転嫁行動が目立つようになった。ストレスが溜まって攻撃的になっている。このままでは乱暴者に育ってしまう。そう思った僕は少しづつゲージから出すことを始めた。彼は解き放なたれると何にでも興味を示し、飛び回り転げ回った。どう見ても登れそうにないところを必死に這い上がろうとしてみたり、その辺にあるものにとりあえず飛び掛かる。とりわけ歩き回る僕の足は、彼にとっては格好の獲物だ。洗濯物は畳んだそばからぐちゃぐちゃにしてくれるし、上にあるものはとりあえず下に落として歩く。これが犬だったらどうだろう?きっと僕は教育を試みたに違いない。ところが猫の場合はどうだ。全くその気にならない。その横暴の数々を笑って見ていられるし、いたずらされそうなところにモノを置いた自分が悪いとすら思ってしまう。どうやら僕は僅か数週間で、猫の魔性にヤラれてしまったようだった。
しかしそんな僕にも、たった一つ耐えられないことがあった。背後から音もなく忍び寄り、所構わずこちらのタイミング無視で、座っていようが立っていようが、飛び掛かりよじ登ろうとする行動だ。“みんながみんなやる訳ではないけれど、カーテンと背中は気を付けて”と言われていたアレだ。痛い。とにかく痛い。細く鋭い爪はデニムすら容易に貫通するし、Tシャツなど、もはや裸に近い。足も背中も引っ掻き傷だらけで、お風呂に入る度に猫と暮らすことの厳しさを知る思いだった。それでも怒る気には全くなれなかったし、この黒猫から僕が毎日受け取る何かは、世話の大変さや後片付けの煩わしさ、日ごと増えていく傷の痛みを軽く凌駕していた。
“なんだこの感覚は?”
小さい頃からいきもの好きで、それまでに50種以上の生物と暮らしてきたが、他では感じたことのない何か。普段なら不快や不都合と感じてしまうことも許してしまう、というか、そうとすら思わせない何か。その時の僕はまだ、その正体が何者なのか分からずにいた。

黒猫、やらかす
一カ月を過ぎると傷も回復し、体調も安定した。尻尾の先端から飛び出していた骨がポロリと取れた時にはちょっと狼狽えたが(笑)他の猫と比べることが出来なかったので“こんなもの”と思ってはいたが、彼は恐ろしく活発だった。猫とは一日の大半を寝て過ごすいきもの。特に仔猫の時期には18時間以上寝ている。そう覚えていたのに、彼はそれには当たらなかった。僕の居ない日中のほとんどを寝て過ごしていたとしても半日は起きていて、とにかく落ち着きがなかった。わちゃわちゃしていたから、当然色々とやらかすことも多かった。

特筆すべきやらかし その一
とある休日の午後、僕は友人の店にお茶を飲みに出掛けた。“1〜2時間程度だから出しっぱなしでいいか”つい魔が刺した。その考えが甘かった。コーヒーを飲みながらの友人との会話を楽しんで、ほぼ二時間後に帰宅。居間の扉を開けると、そこにはとんでもない光景が広がっていた。部屋中いたるところが泥だらけ。まんべんなく撒いたのではないかと思うほど、隅から隅まで土にまみれていた。絨毯の上には観葉植物を引きずった跡があり、その枝葉がそこここに散乱していた。そして見るも無残な部屋の真ん中には、薄汚れた彼が鎮座していた。大袈裟ではなく僕は床に膝から崩れ落ち、暫く放心状態になった。その惨状に思考が停止し、片付けようにもどこから手を付けてよいものか分からずにいた。そんな僕に全く悪びれることなく擦り寄る彼。こんな仕打ちをされても怒れない。許してしまう。ゲージに入れずに出しっぱなしにして出掛けた自分が悪い。僕は泣きそうになりながら部屋を掃除し、彼をお風呂に入れた。あの日以来、僕の部屋からは観葉植物が消えた。

特筆すべきやらかし その二
もう一つ忘れられない事件がある。偽白猫事件。アノ事件以降、事故を招きそうなものは部屋から排除し、程なく彼をゲージから解放して自由の身にしていた。その日は残業で少々帰宅が遅くなった。確か22時過ぎ。いつものように帰宅し、居間の電気を着けると、何故か部屋中真っ白になっていた。そこはまるで銀世界。一瞬何が起きているのか理解出来ず、多分僕は居間に踏み入れた足を一歩引いたと思う。居間の真ん中に置いていたテーブルの下には見慣れない白い塊。その塊は僕に気付くと駆け寄ってきた。彼だ。黒猫のくせに、何故か全身白くなった彼だ。テーブルの横にあったはずの大きなクッションが萎んでただの布切れと化しており、部屋の中も彼も真っ白。そう、白さの正体はクッションの中にあるはずのマイクロビーズだ。アノ日以来、久しぶりに僕は膝から崩れ落ちた。再び。でも今回は不覚にも笑ってしまった。声を上げて腹を抱え、涙が出るほど笑ってしまった。彼を撫でながら、振り払っても振り払っても纏わり付くマイクロビーズで、全然黒猫に戻らない彼を見ながら一頻り笑った。その後の片付けは深夜に及んだわけだが。その日以来、観葉植物に次いで、僕の部屋からマイクロビーズ入りのクッションが消えた。

黒猫、病気に罹る
一緒に暮らし始めて半年を過ぎた頃、去勢手術のために病院を訪れて以来、彼は健康そのものだった。もしかすると長くは生きられないかもしれない。そう言われたのが嘘だったかのように、とても順調に成長していた。
しかし10カ月を過ぎたある日、仕事から帰宅した僕は彼の異変に気付くことになる。トイレに何回も入る。10分を待たずに頻繁に出入りする。おしっこをするように腰は下ろすものの、確認してもその形跡は僅か。
”これはヤバイ!オス猫によく見られる尿路結石に違いない!”
病院は既に診療を終えている。今でこそ、同じことが起きたら深夜に診てくれる病院を探すだろうが、その時の僕はそこまで考えが及ばなかった。不安な夜を過ごし翌朝一番に受診したところ、案の定、ストルバイト結晶による結石だった。とりあえず投薬と療法食で様子を見ることになり、3日後には通常量の尿が出るようになっていて、どうやらいたずらしていた結石は自然に排出されたようだった。暫く定期的に検査を受けてはいたが、その後その兆候が再び現れることはなかった。これが今まででたった一度、彼が経験した病気らしい病気だ。

画像3

これから
この5月で、彼と暮らして21年が過ぎた。その間、大きな怪我も病気もせず、今も元気に過ごしている。人に換算すれば100歳を超えると言われる今でも、キッチンからの二段飛びで冷蔵庫の上に飛び乗るし、僕といる間は起きている時間の方が長い。食べる量も減ることはなく、未だ歯も丈夫で、ドライフードもバリバリと噛み砕いて食べる。体重の変動も4kgを挟んで上下150g程度。もちろん筋力の衰えは見られるが、多分この歳では驚異的な身体能力の持ち主だろう。
“この子が死ぬことなんてないんじゃないか?”
そう錯覚することすらあるが、それでもその日は何れやって来る。否応なしに必ずやって来る。ある日突然その時が訪れるのか、それとも覚悟を決める時間が与えられるのか。それはわからないが、その時を迎えることだけは確かだ。

『何か』の正体
猫と共に暮らすことで与えられる『何か』。日々胸に湧き上がる『何か』。僕はわからないと言ったが、今ならわかるような気がする。言葉にすると陳腐に聞こえるが、それは『無償の愛』であり、多分その源は『母性』だ。男の僕にそれが本当にあるのかはわからないが、今はそう感じている。猫と暮らすことで腹立たしく思うことも格段に減ったし、性格も確実に穏やかになった。僕を古くから知る友人・知人がそう言うのだから、これはきっと間違いない。
『人生のある期間を猫と共に過ごすことは、間違いなく良いこと尽くめ』
猫との暮らしはどうかと聞かれたら、僕は躊躇いなくそう答えるだろう。ただそこに居るだけで、生活の中にその存在があるだけで、それくらい猫は多くのものを与えてくれる。

ありがとう
言葉で表せないほど、君には感謝している。人生最初に関わった猫が君で良かったと、心からそう思う。黒猫に特別な思いを寄せてしまうのも、間違いなく君の影響だ。あとどれだけの時間を共に過ごせるのか、僕には知る由もないが、このかけがえのない日々を、愛おしくて優しく穏やかな一分一秒を、大切に生きよう。そしてやがて訪れる最期の時には、笑って『ありがとう』と君に伝えたいと思う。

画像4


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?