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問われる「仕事の真意」~何のために&誰のために~

問1)あなたは何のために働くのですか?
問2)あなたの働きは誰のためにあるのですか?

この二つの問いに対し、どちらの答えも「自分の(家族を養う)生活費を稼ぐため」という主旨になるのは、どうやら企業勤めの人に多い。
どちらかの問いの答えに、自分の働きの価値を認めてくれる「お客様の未来のありよう」を示す言葉が出てこないんだ。

そうした大人が増えると、子供達が持つ大人の「働き」へのイメージが、「辛いことを我慢してお金を得ること」となってしまう現状は、とても自然なことなのかもしれない。

「わが子の笑顔をつくるため」に働いているはずなのに「毎日辛いことを我慢して働いている親のようにはなりたくない」なんていう皮肉な家庭内事情となっていることを示唆している。

あなたは会社人?社会人?

◆「自分は何のために働くのか?」

自分の日々の暮らしの必需品を揃えたり家族を養う原資となるお金を得るため…つまり、「自分と家族の幸せ」のために稼がなくてはいけない。
それは誰もが大切にしなければならないことだ。

◆「自分の働きは誰のためにあるのか?」

これは自分が属している会社やお店に、自分達が産み出した「価値」を高く評価してくれる「お客様の未来の幸せ」のための働きでなければならない。
そうしないと、いずれは誰からの信頼も期待も失うどころか、いつまでも自分と社会とのつながりは生まれにくい。

つまり、このいずれかの問いに「お客様の幸せ」という言葉が出てこない人は…ご立派な「会社人」には成っていても、ステキな「社会人」には成り得ているのだろうかということを投げかけたい。

子供達は見透かしている

こういう話をすると、問1と問2のどちらの答えも「自分の(家族を養う)生活費を稼ぐため」としか答えていなかった人の多くが「お客様に喜んでいただくことをしないと、お金にならないなんていうことはあたりまえじゃないか」と、慌てて答えを付け足す。

いやいや、いくら後からそのように取り繕った言い訳をしたところで、子供達は大人の嘘を見抜く天才達だ。

日頃から自分の仕事の「目的」が「どこにいるどういうお客様にどのような幸せを提供することであるのか」という事に向き合っていれば、先の二つの問いに対して、どちらかの答えにはコレが必ずあるはず。

その答えが優等生的に上手く話すのではなく、誇りと心意気を感じる本気の言葉で即答するはずだ。

「親のようには成りたくない」
「自由に自分らしさを謳歌できるのは学生のうちだけだ」

次世代の子供達にそのように思わせているのは、日々勤しんでいる「仕事の目的」が何かを、わが子にしっかりと話すらできない大人ばかりであるということを物語っている。

おそらく、上司や勤務先組織からの評価ばかりを気にして会社にいるから、次世代の子供達からも「働くとは辛いことを我慢して自分らしさを押し殺してお金を得ること」だというイメージを持たれてしまう。

企業と従業員の双方に必要

自分がしたいことは何か。
まず誰でも「主体的に働くとは何か」という旗印を持つということ、また価値づくりの構造のことは、どの学校でも教えてくれない。

子供達が学校で教わっていないため、価値づくりや働くとは何かの構造を説明する本を書いた。
インディーズレーベル(自費出版)で出したところ、初版の800冊は完売となり、現在第二版を自社サイトで販売している。

学校ではそうしたことを教えてくれないため「資格を持っておくと就職に有利」という資格保有が「目的」になってしまいがちな歪んだ風説も先立つ。

資格は「手段」であり、そもそも自分のために取得するものではない。

「一つでも良いから企業に優遇される国家資格を持っておきなさい」という人生の先輩ヅラをした発言を耳にする都度「お客さんの未来の幸せ」のための「資格」となっていないことに残念に思う。

また、近年では特に人を雇う事業者側にも大きく問われるものがある。

自分達は「一体どこのいる誰にどのような幸せを提供することが目的の会社
であるのか」という「目的」を、人に理解される簡潔明瞭な言葉で表せているのかは、甚だ疑問であるという点だ。

どの経営者も先輩社員も、自社の商品や業種に関しては誇らしげに語る。

しかし、商品はあくまでも「手段」であり、それによって自分達は顧客の未来にどのような素敵な変容を生みたいのか…そしてそれがなぜ自分達でなければならないのかという独自性を主体的に発信できている人には、なかなか巡り合えない。

正しい業務知識に加え、どういう理念や文化で事業運営しているのかを明らかにしていくこと…つまり、会社も「法人格」として、どういう「感性」を大事にしたいのか、そこを明確にすることを怠りがちである。

しかし、個人事業主は、そういうわけにはいかない。

「あなただからお願いしたい」
「あなたにしかお願いできない」

数多くの同業者の中から、自分のお店や商品・サービスを選択してもらうためには、自分にしかない「感性」を器用・不器用に関わらず、本気で示していく必要がある。

したがって、個人事業主のほぼ大半が「お客様の幸せを感じられる働きをすることは、極めてあたりまえのことではないか」として、冒頭の問いでは、必ずと言っていいほど「お客様の未来の幸せ」の表現が出てくる。
個人事業主の全員とは言わないが、ボクの周りでは大半がそうなる。

経済の中心にあるもの

「働くとは辛いことを我慢してお金を得ること」

次世代の子供達が、こういうイメージを持ってしまう今の歪んだ社会形成においては、企業勤めの人と個人事業主の仕事に対する「目的」の捉え方の違いが象徴的かもしれない。

企業勤めの職場環境においては、オーナーや経営者・上司の顔色ばかりを伺いながら、どうすれば社内で高い評価を得られるかが「働くことの目的」となりがちとなる。

そうなると、お客さんの幸せをどう築くことが自分の悦びにどうつながるのかということなどという話は、夢物語となる。

有名な企業に就職することが目的ではなく、どこで勤めようとも「自分は何がしたいのか」が大切だったはずなのに、自分の「主体性」をどんどん見失っていく。

そして、小中高の学校環境においても、実態としては個の「好奇心」や「主体性」の発育とは無縁となり、情報処理能力が高い従順な人を輩出し、どこに出しても恥ずかしくない進路実績で誇る。

しかし、社会でのつながりでは、正しい知識と処理こそが全てではない。
ワクワクする躍動感や、主体的に挑み続ける姿勢など、それらの全ての原動力となる「主体性」と「感性」が、人のつながりの接点となる。

人を雇う側にも「感性」が今まで以上に必要になる。
雇われる側にも「感性」が今まで以上に必要となる。

相互の「感性」…つまりは「心」を分かち合えるところに「雇用契約」がなくてはならない。
お客様の未来にどんな価値を創りたいのかという相互の感性が合わないのなら、むしろ相互にそれを明確にできないのならば、契約してはいけないのだ。

働き方改革は生き方改革である

経済の中心に資本力や金があるうちは「生活者」はどんどん疲弊する。
疲弊しているのに、次世代の子供達にも自分と同じ轍を踏ませようとしてはいまいか。

暮らす場面も、働く場面も、子育ての場面も、自分を「活」かして「生」きる「者」を「生活者」と言うんだ。

経済の本質は「ありがとうの循環」であり、その中心には「生活者の心」がなくてはならない。

幸いボクの周りには、自主的な優等生タイプの「会社人」より、自分らしさを活かして主体的に働く「社会人」ばかりになってきた。

働き方改革は、企業が用意するものではなく、働き手の「生き方改革」から始めねばならないことでもあり…同時に、企業側の姿勢も本質的に変わらなければ、組織の価値創造力は必ず低下する。

Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳

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