「生活者」の意味は子育て世代の親御さんほど考えてみて欲しい
生活者とはどういう者なのか
人は誰であっても、「幸せになるために生まれてきた」はず。
そうした「生」を授けてくれた両親に報いるために…少なくともボクらは、「自分の生きる」をこの世で「活かす」責任を感じる。
それと同時に「自分を活かして生きる」権利があることも認識している。
どちらも「生活者」だ。
つまり、自分の個性を活かした暮らしで自分と家族を幸せにして、個性が活きる働きでお客様の幸せにする…それが「生活者」であるということ。
これほどシンプルな構造が、この国では、いつのまに複雑怪奇なものになっていったんだろう?
もちろん、定義づけとして辞書に出ている解釈ではない。
漢字の構成から、「生活者」には、どういう意味があるのかを考えることで、次世代の子供達に何を伝えないといけないのかというアウトプットだ。
お金に価値はないという経済の基本
懐に入るお金を増やすことに躍起になっている人も、そもそも誰かの幸せを増やさないとお金も増えない。
そんなあたりまえの経済のことを、小中学生達が育つ環境からおざなりになっているのは、どうしてなんだろう?
学校でも家庭でも、「自分の幸せを築く」「誰かの幸せを創る」ことについての対話の機会が、余りにも少ないと思うのは、ボクだけなんだろうか?
だから、この国の多くのオトナの人としての「器」とか「肝」がどんどん小さくなっているんじゃないかな。
「幸せ」の象徴が「お金」や目に見える財産ばかりになっていくんだよね。
子供よりも前に親と教育者だ
「お金」そのものには、何の価値もないということ。
人の働きがあるからこそ、お金に価値が出てくるという経済の基本。
それを教育に携わる人達の多くが、あまりにも理解していないという現実。
これだから、いつまでも人の評価は、数値化(スペック表示)に基づく相対的評価(偏差値教育)から抜け出せないんだよね。
そこに「魂」も「想い」は、ほとんど感じられない。
そんなの、自分都合ばかりの「やっつけ仕事」と変わらない。
「経済だって数学で表すだろ」とか言われるんだけど、「経済の構造」っていうのは、「人」そのものなんだよ。
自分の暮らしを築くことと、人の幸せを創る働きの間に、わざわざボーダーラインを敷いて「公私の切り替えが大切」だなんて、優等生面で説かれたところで、何の魂も感じないんだよな。
(公私混同してはいけないのはカネ勘定のことだけ)
自分が幸せになるということ。
誰かの幸せを創るということ。
そのどちらも持ち合わせているから「生活者」っていうんだよ!
出たな?…キレイゴトでは生きていけないと決めつける星人め!
ボクらは、自分にウソをついて生きることができないんでね。
キレイゴト上等なんだよ!…ロックなんで。
経済は、本質的に価値ある「生活者」がたくさんいるから「ありがとう」が循環するようになっているんだ。
少なくともボクらは、それを次世代に魅せつけるロックな人達だけで歩むことばかりをしている。
こちらが関連コラム「競争は子供も大人も疲弊させる」↓
Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳
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