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「死ね」「殺すぞ」と軽々しく言い放つ子供達

小学生だけではなく、就学前の幼児までもが「死ね!」「殺すぞ」と発している現場を多く見かけるようになった。

幼少期の発言で、ゲーム感覚のようなノリもあるだろう。

それでも、そうした言葉を発している現場を居合わせると、見知らぬ子であっても、どうしても声掛けをしてしまう。

お願いだから『死ね!殺すぞ!』と簡単に口にしないで欲しい。
そういう言葉は、重い病気のように不思議と感染するんだ。
言われた子だけではなく、この場にはいない言われた子のご家族にも、重い病気のようなしんどさは感染するんだよ。

ボクら夫婦は、何度も流産を経験した後に、娘が奇跡的に産まれてきてくれた。
そして娘が生まれてくれた数年後にも、流産によって命が授からなかった。

その当時4歳の娘が、「その子の分まで、いっぱい楽しんで生きるから…おかあちゃんとおとうちゃんを喜ばせるから…私がいるから…!悲しまないで…」と必死に慰めてくれた。

家族で命の尊さを体感しているから、どうしても胸が締め付けられるんだ。

今はワカラナイかもしれないけれど、「死ね」「殺すぞ」と発した数だけ、そういう重い病気のような苦しさが、必ず自分にも戻ってきてしまうよ。

もう一つ覚えておいてくれると嬉しいことがある。
いろんな場面で、人にしてもらって嬉しいことだなと感じたら、すぐに「ありがとう」を伝えて欲しいんだ。
自分が伝えたありがとうの気持ち以上のものが、必ず自分にも還ってくる。

どれだけ幼くても、この言葉が解からなくても、『死ね!殺すぞ!』を発する子を見かけると…最近では、その場に親らしき人が近くにいても、お構いなしに話しかけてしまう。

メンドクサイおっさんと思われても、仕方がない。
いきなり知らない人からの声掛けで気持ち悪るがられても、仕方がない。

理解されるのは、簡単なことではない。

その一方で、社会と経済は、ありがとうの循環でできているというあたりまえのことを、子供達にも体系的に構造を理解してもらうための活動も、喜んでお引き受けしている。

意味のある仕事・信頼・責任・感謝…どれも簡単なことじゃないから、日々「おかげさま」なんだ。
それでも、社会での自分の存在価値は、誰かの幸せを築く働きをするからこそ、自分が活きる生き方にもなる。

とりあえず、ボクは、未来の自分達に期待する悔いのない日々を過ごしているので、いつ死ぬ時が訪れたとしても、おかげさまで、棺桶では心底笑顔で横たわっていることが決まっている。

だから、メンドクサイおっさんと思われても、何も怖くないんだよ。
自分には嘘をつきたくない「ロックな生き方」しかできないんでね…。

Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳

<追伸>
この手の記事には、「我が子にも読ませます」というレスポンスも多くいただきますが、読ませるのではなく、ぜひ親御さんの気持ちも伝える「対話」のキッカケにしてくださることを望みます。

#勝ち組より価値組
#キレイゴト上等
#やり方よりあり方
#自分を活かして生きる者こそが生活者
#ロックな仕事観
#経済はありがとうの循環でできている
#ロックな生き方思考

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