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綺麗事上等!ロックな仕事観

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あたりまえのことが難しくなる一方、あたりまえのことが価値になる時代。だからこそボクらは、嘘のない自分達で生きていくために「キレイゴト上等!」で価値づくりに勤しむ。
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#経済はありがとうの循環でできている

勉強が嫌いな中学生との対話

この春に社会に出る高校三年生から「勉強嫌いな中学一年生の弟のことで相談したい」と、次のような連絡があった。 この連絡から、実際に彼らに会った時のことを、概要だけでもnoteにしたためておくことにした。 アドバイスではなく対話とてもユニークな活動を続けていた三兄弟(今は四兄弟)だったため、彼らとは約7年前(2017年3月)にトークライブもやったことがある。 幼稚園通いだったその当時の末っ子は、今は中学生なのか! 頼りにされた以上は、責任をもって久しぶりの再会としたい。 そ

ロックな教育改革

インディーズ・レーベル(自費出版)で出した『未来に期待したくなるジブンスイッチ』という本は、こうした言葉から始まる。 著書では、働き・暮らし・子育てのつながり、他者とのつながり、自分の未来とのつながり…この三つのつながりの「がんばり方」を間違えないための「構造」を体系的に説いたが、著書内では端折っていた提言がある。 学校教育での「国語・算数・理科・社会・(英語)」の廃止だ。 廃止しても、いわゆる「読み書きそろばん」の類は、違うカタチでもしっかりと身に付くものにする。 い

問われる「仕事の真意」~何のために&誰のために~

この二つの問いに対し、どちらの答えも「自分の(家族を養う)生活費を稼ぐため」という主旨になるのは、どうやら企業勤めの人に多い。 どちらかの問いの答えに、自分の働きの価値を認めてくれる「お客様の未来のありよう」を示す言葉が出てこないんだ。 そうした大人が増えると、子供達が持つ大人の「働き」へのイメージが、「辛いことを我慢してお金を得ること」となってしまう現状は、とても自然なことなのかもしれない。 「わが子の笑顔をつくるため」に働いているはずなのに「毎日辛いことを我慢して働い

レーベルを設けていて良かった

ロックな生き方というのは、なかなか理解されにくい。 ロックへのイメージ自体が、世間一般ではあまり良いものではない。 反抗的、攻撃的、汚くて危ないなど、品が無い言葉のオンパレードのイメージ表現が多い。 しかし、ボク自身が感じている「ロックに生きる」というのは、次の三つに集約される。 自分はどうしたいのかという主体性を磨き続けること どれだけ生きるかを満足するよりどう生きるかに納得すること 人と戦って勝ちを得るより戦わずに価値を創る道を行くこと こうして並べてみると、

親子で見出した「働く者のあり方」

経済活動のあるべき姿社会的に弱い立場の人々に、人より劣る・人と違うことに孤独感と焦燥感を植え付けておきながら、その救世主かのように存在し、個人を社会の一員に取り込むのが、資本主義独特の「包摂(ほうせつ)」なんだろう。 「包摂」は、ある一定の概念こそが「世の常識」だと誘導して、そこに多くの個人を取り込んでいくことと解釈しているが… 取り込まれる個人は、いずれ独自の感性と知性を失い、結局はいわゆる末端の庶民への負担と疲弊に寄せられて、特定の人にいろんなものを搾取されていく構造は

「やり方よりあり方」の誤解

◆あらためてアウトプットする理由「やり方よりあり方」という表現は、個人的にあらゆる場面で使い続けて、15年以上は経つだろうか。 使い始めた当時は、「はぁ…?」と見向きもされなかったことを考えると…最近では「ハッとさせられる!」と笑顔で応えてもらえることが増えたようにも思う。 もちろん、「やり方よりあり方」というのは、既に先人から認識されている「あたりまえ」のことのように思うので、誰かの専売特許的フレーズでもないが、ひと昔前に比べると、目にする機会がにわかに増えた。 まだ、「

粗利益の意味を間違えると心は働かない

「粗利益(あらりえき)」は何を意味しているのかということを、多くの人が間違えている。 確かに計算上では、「粗利益=売上高ー売上原価」で間違いないが、そんな頭で考えることよりも、心でどう捉えると良いのかということは、不思議と小中高生も、専門学校や大学でも学んでいないらしい。 組織の経営者、管理職、リーダーだけではなく、粗利益を目標としてノルマを課せられている働き手…その双方共に「粗利益」は何を意味するのかを履き違えていると、「心」が働かなくなる。 粗利益の意味は、最終章で語

自分を活かして生きる「決起」のススメ

主体性が認められにくい職場環境「自主的な人」は…会社では評価されやすい。 やらねばならぬ課題を明確にして、率先して遂行するし、短期的にやり遂げると「ヒーロー」扱い。 「主体的な人」は…会社では評価されにくい。 やりたい事をやり抜き、そこに意味を見出したとしても、成果が見えにくいから「ヘンタイ」扱い。 そのため、現場では上司先輩に「従順な人」であることが求められがち。 上司や先輩に従順に従っていないと「使えない人」扱い。 それは、「自分達は、日々の業務によって、どこにいる

広報活動は家庭でも大切!

事業文化をデザインして価値創造力を高めていくことに寄り添う弊社では、クライアント事業者さんとは、「ご自身の仕事の意味」を整える対話を毎月重ねています。  毎月の対話では、必ず以下三つのいずれかをテーマにしています。 未来の自分達に期待したくなる意思決定をするようになるための管理会計 この仕事はなぜ自分達がやる意味があるのかを確認し合うための社内広報 仕事の頑張り方を間違えないようにするための社内外の行動環境デザイン 昨夜の月例ミーティングでは、あるコンセプトを大切にし

権限は権力とは違う

久々にTwitterに独り言を8つほど連投した。 今のシステム経済中心の経済活動は、資本家を中心に「企業の利益最適化」ばかりを追求しやすくするために、「人間は、何らかの社会構造に支配されており、決して自由に物事を判断しているわけではない」という構造主義が軸となっている。 この「構造主義」は、企業活動における経営者でも、少年スポーツにおける指導者でも、意思決定者には「権限」ではなく、歪んだ「権力」を持たせてしまう傾向が強いことに、強い警鐘を唱えるものとしての独り言だった。

解かりくい「リノベーション」

今朝のTwitterで、不動産業界の方とのやりとりが、ボクには有益だった。 数年前に、「そもそもリノベーションとは?」ということを、一般生活者の多くの人が深い理解がないことについて、持論をSNSに記載したところ… 当時、関西圏の不動産業の人に、「定義を知らずに不動産業界を批判するのはいかがなものか」と揶揄されたことがある。 その時は業界批判をしたつもりは微塵もなく、反論もしていない。 また、「定義」が大切なのも解かる。 しかし、一般生活者を惑わせずに、誤解も生まずに本質的

「死ね」「殺すぞ」と軽々しく言い放つ子供達

小学生だけではなく、就学前の幼児までもが「死ね!」「殺すぞ」と発している現場を多く見かけるようになった。 幼少期の発言で、ゲーム感覚のようなノリもあるだろう。 それでも、そうした言葉を発している現場を居合わせると、見知らぬ子であっても、どうしても声掛けをしてしまう。 ボクら夫婦は、何度も流産を経験した後に、娘が奇跡的に産まれてきてくれた。 そして娘が生まれてくれた数年後にも、流産によって命が授からなかった。 その当時4歳の娘が、「その子の分まで、いっぱい楽しんで生きる

「生活者」の意味は子育て世代の親御さんほど考えてみて欲しい

生活者とはどういう者なのか人は誰であっても、「幸せになるために生まれてきた」はず。 そうした「生」を授けてくれた両親に報いるために…少なくともボクらは、「自分の生きる」をこの世で「活かす」責任を感じる。 それと同時に「自分を活かして生きる」権利があることも認識している。 どちらも「生活者」だ。 つまり、自分の個性を活かした暮らしで自分と家族を幸せにして、個性が活きる働きでお客様の幸せにする…それが「生活者」であるということ。 これほどシンプルな構造が、この国では、いつのま