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すべての過去を売った青年 中編

高卒で司法試験に挑み続ける青年・努。試験勉強に行き詰まりを感じる中、新しく開店したリサイクルショップを見つけ、そこの店員に「過去を売り未来を買える」と持ちかけられ……
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記憶喪失


 光は不思議だった。毎年この日、この時間には家にいるはずの努がいない。連絡くらいよこしても良さそうなものだが、それも無い。今年の司法試験予備試験は合格だったのかな?そうだとしたら、何かお祝いの品でも買いに行ったかもしれない。期待と不安が半々になりながら光が夕食の用意をしていると、玄関のチャイムが鳴った。

 扉を開けると、努と一緒に警察官が立っていた。光よりも早く、警察官が口を開いた。

「河合 光さんですか?あなたのパートナーの成宮 努さんをお連れしました。努さん、記憶を失っているようでして、ご自分のお名前もご自宅の場所も分からなくなっていらっしゃるんです。お財布とスマホが無事だったものですから、私が身分証と連絡先を確かめて、こちらのご自宅まで」

「えっ、努、私のことも、分からないの?」

努は黙ってうなずいた。

「お巡りさん、こういう時はどうすれば?」

「だいたいの方は病院を受診するなりして、記憶が戻るまで粘り強く試行錯誤しますね。私の役割はご自宅にお連れするまでです。それでは、私はこれで」

 警察官は交番へと帰って行った。光は戸惑いを隠せない。

「努、まずは、おかえりなさい。ここが、あなたの、家よ」

「あ、ありがとうございます、光さん。僕、何にも憶えていなくて…」

「わたしたちの間柄で、ありがとうとかはいいから。ほんとに、本当に何にも憶えてないの?」

「あのっ、気がつくと、このCDを片手にリサイクルショップのカウンターにいたんです。僕、とりあえずポケットから財布を出して、名前はすぐに分かったんですけど、住所が書いてあっても、どの辺かピンと来なくって、仕方なく交番に行って、ここを…」

「ああ、あなたの好きなフロッキー・フリッキーの新作だねこれ」

「僕の、好きな、アーティスト……」

「それも憶えていないの?」

「はい」

光はため息をつき、努がどういう人となりかを話し始めた。光とは高校の時からの付き合いであることや、高校を卒業してすぐに二人で暮らし始めたこと、努が弁護士を目指していること、そして、今日が司法試験予備試験の合格発表の日であること。

「今ネットで確認するけど…うん、不合格だわ。きっと努、不合格のショックで記憶が飛んだのよ」

「そう、ですか。残念ですね」

 努は予備試験の問題集をパラパラとめくった。すると、光は予想だにしないセリフを聞くこととなった。

「この問題、変なところにマーカーがひいてありますね。ココはポイントじゃない。あ、ここも正解はこっちなのに、こっちにマルをつけてる。ここも…」

「えっっ!努、分かるの?全問、解けるの?」

「はい、見たところ、楽勝…ですけど」

「ええっ?じゃあなんで今年も不合格だったのかな?」

「さあ…前は解けなかったんですか?」

「そうなのよ。でも今なら解ける…来年、試験受けたら通るじゃない!すごいよ努!」

「でも、僕は自分の名前から何から何までなくしてて…今は試験どころじゃなくて」

「……そうだね。ごめん。…とりあえず、ごはん食べよ」

 この日は珍しく、二人で夕食を作って食べた。買ったばかりのCDを聴きながら。どこで塩加減を間違えたのか、夕食は少ししょっぱい味がした。

 翌日、光は仕事を休み、朝から努を総合病院へ連れて行った。記憶喪失だと、精神科あるいは心療内科の世話になるらしかった。医師が言うには「記憶を取り戻すきっかけをつかむまで、我慢強く待たねばならない」とのことだった。

 当面、努はアルバイトできそうにない。光はそう判断した。二人は努のアルバイト先の家電量販店まで足を伸ばした。電車に揺られながら、イヤホンを共有して、例のCDをBGMに、他愛もない会話をした。

「光さん、僕この曲、好きです」

「記憶を失う前の努も、そう言ったと思うな。好みは変わっていないのね」

「光さんといると、気分がいいし…」

光は耳まで真っ赤になった。近くの乗客から笑い声が漏れる。

「もうっ!なに言ってんのよ」

だけれど光は確信した。

(間違いない。この人はわたしの大事な人だ。たとえ何かを犠牲にしてでも、この人の記憶を取り戻してみせる!)

 アルバイト先に着いて、光は努の現状について説明した。店長は気の毒だと言ったものの、アルバイトを休むことには賛同しなかった。

「努くん、この家電のセールスポイントは?」

努は指を指された家電の特長を、立板に水を流すようにスラスラと説明した。

「ちょっと不思議すぎやしないか、光ちゃん?名前を憶えていないのに、仕事の知識はあるじゃないか」

「そうですね、なぜなんだろう。そういえば店長、努が急に頭良くなったんですよ。あれほど苦戦していた予備試験の問題集、記憶喪失になってから全問正解するようになっちゃって」

「へっ?」

「好みはそのままで、能力が上がった、っていうか。代わりに『経験』を全部失ったみたいです」

「なるほど、それで名前も住所も分からなく…そうだ。落とし物をした時は、自分の行動を辿るのがセオリーだろ?努くんが記憶喪失になってからの行動を辿れば、何か大事なことを思い出せるかもしれないよ」

「なるほど…努、どこから憶えているんだっけ?」

記憶喪失になってからの行動距離が限られていたため、行動を辿るのはそれほど時間がかからないようだった。

 店長は、光の家に着くまでを辿ったら、いつものようにアルバイトするように、生活の基盤も大事だろうし、お客は努の名前で商品を買うわけでもないだろうから、と伝えた。その提案を、光も受け入れた。

 そして、例の『リサイクルショップ・ダブルエース』に2人は到着した。あの時と同じ女性店員が、ニコニコと努たちを眺める。

「努、ここからよね、憶えているのは?」

「はい。店員さんが『ありがとうございました。夢が叶う良い人生を』とか言いました」

光はハッとした。不自然な言葉だ。この店員は、何かを知っている。

「あなた、この人に何をしたの?」

リサイクルショップの店員は、にっこり微笑みながら答えた。 

「こちらのお客さまが『司法試験に一発で受かって弁護士になる人生というご経験』をご所望でしたので、昨日の夕方までの『過去のご経験』をお売りいただいて、そういった人生をご購入いただいただけでございます」

光は面食らった。なぜ、そういうことができるのか。いろいろな意味で。

「ふざけないでよ!『過去を売り、未来を買える』って言っても、限度があるでしょ!だいたい、わたしと努の思い出まで奪っておいて、あなた悪いとか思わないの?」

「そうおっしゃられましても、当店の業務ですから」

「あっ、そう!でもいいわ、あなたが原因だと分かったから、努が売った過去、すべて買い戻します!過去を売って未来を買えるなら、逆もできるでしょ?」

「はい、可能でございます。ただ、こちらのお客さまがお売りになられた『ご経験』を買い戻すのであれば、それ相応の対価をいただかないといけません」

「…分かりました。私の忘れたい嫌な思い出を全部、売ります。これで足りますか?」

光は、努が買った未来を手放したくなかった。努とわたしの二人の夢が叶う。千載一遇のチャンスを逃したくない。しかし女性店員が涼しい顔で返す。

「嫌な思い出をお売りくださる方々は大勢いらっしゃいます。しかし、あまり売れないものですから、大した値打ちではございません。買い戻すにはあと8割、といったところです」

「そう。じゃあ、わたしの『未来の経験』を売ります。それで足りますか?」

努が、ぎょっとして光を制する。

「ダメだよ光さん!それ『寿命が縮む』ってことだよ?僕のためにそこまでしなくたって。僕、ちゃんと努力して記憶を取り戻すから…」

しかし、光の目には力がみなぎっていた。

「わたしと努の思い出は、誰にも渡さない。たとえ何を犠牲にしても、かけがえのない日々を、すぐにでも取り戻したいの。そして努の夢も手に入れる。努、分かって。わたしの気持ち」

「…僕がいけないんだ。弁護士になる人生、処分します」

「ダメよ努。わたしの人生を犠牲にして、努には司法試験に受かってもらう。店員さん、これで査定できますか?」

「あなた様の『これからのご経験』でそちらのお客様の『過去のご経験』を買われるということですね。それですと、残り寿命をひと月残して買い戻せます」

「えっ…………」

光も努も、目が点になった。

後編に続く


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