母と推し

松本さんが夏にリリース予定のカバーアルバムに、母が大好きなオフコースの「Yes-No」が収録されていると知り、ぶったまげました。親子それぞれの長年の推しが繋がる日が来るなんて…

オフコースや小田和正さんの曲は、私にとっては物心ついた頃からBGMの如く日常にあるものでした。母は音楽が好きで、それ以外のアーティストの曲もよく聞いていたけれど、私にとってのポップミュージックの原体験は小田さんだったと思います。
なので今回のカバーは個人的にとてもうれしく、楽しみなのですが、このニュースを聞いて、母と小田さんのことを色々思い出したので、ちょっと書いてみようかなと思います。

母は幼い頃から音楽が大好きで、幼稚園生の頃から何の楽器をやらせてもすぐにマスターしてしまう子だったそうです。本人はピアノを習いたくて、何度も親にピアノが欲しいと直談判したのですが、当時は超高級品だったし、母の実家は非常に厳格で音楽やお笑いなどの娯楽は即却下!な家だったので、なかなか買ってもらえなかった。
しかし見かねた母親(私の祖母)が何とか父親(私の祖父)を説得し、ピアノを買ってもらったそう。母の中学、高校時代はビートルズやクリーム、ツェッペリンなどの洋楽も大ブーム。母は日本で流行っていたフォークソングや歌謡曲には興味がなく洋楽のロックに傾倒していたけれど、親に認められるはずもなく…隠れてラジオを録音してコソコソ聴く毎日。そんな母が心を打ち抜かれた日本のバンドがオフコースでした。洗練されたサウンド、やっさんと小田さんでガラリと変わる音楽性の幅広さ、そして小田さんの歌声…母は夢中になりました。

東京で開催されるコンサートになんて行けない、でもずっと好きで作品を買い続けました。母は地元の国立大学の教育学部音楽科に進み、そのまま幼稚園の教諭になりました。大好きな音楽を思い切り楽しめない、何から何まで厳しい実家を早く出たかった。だから数年勤めた後、意気揚々と結婚して退職。

当時父は勤め人で、独立するなんて思いもしませんでした。母は兄、私を出産し、自宅でピアノ教室を始めました。兄が生まれつき重い小児喘息とアトピーを患っており、私は健康優良児であるけれど兄とは年子、父は多忙で毎日午前様という生活で、きっととても大変だったと思います。しかし、追い討ちをかけるように、父がいきなり独立すると言い出し、母はもれなく裏方の仕事一切を命じられるのです。

大好きだったピアノ教室も、しばらくは兼業していましたが、やめざるをえませんでした。それが私が小学校低学年の頃だったと思います。
そこからは仕事と家事育児の毎日。兄は出席日数も危ぶまれるほど体が弱く、母は看病もしながら激務をこなしていました。

母はあんなに働きながら、外食にも出前にもできあいのお惣菜にもほぼ頼らず、毎日手料理を作っていたのですが、今思えばもう本当にすごいです。私にはとても真似できない。寝る暇もほとんどなかったと思います。小田さんの音楽は、そんな母の心をずっと支えてくれていたのでしょう。

母が小田さんのコンサートに行き始めたのは、私が小学校高学年になった頃だと思います。もちろん、地元公演だけ。母がオフコースを好きになってから何年我慢したのでしょうか。

私が中学生になると、私もコンサートに連れて行ってもらいました。母は私がベルや携帯を持つことは許してくれなかったし、門限も厳しかったけれど、私が中学生になってからは、LIVEに行くのだけは何の制限もしませんでした。だから私は中高時代いろんなアーティストやバンドのLIVEに行きました。もちろんB'zも。母が若い頃やりたかったことを、子どもたちにはやらせてくれたんでしょう。

そして子どもたちが高校を卒業すると、県外にも足を伸ばすようになりました。時を同じくして、小田さんが「クリスマスの約束」という番組で、様々なミュージシャンとコラボするようになり、母はスキマスイッチ、JUJU、佐藤竹善などのLIVEにも行くようになりました。私が東京に住んでいたので、東京でのLIVEは一緒に行ったり、あと夏フェスにも何度も行きました。

私が地元にUターンしてからは、私の好きな斉藤和義さんのLIVEにも毎回付き合ってくれています。そしてコロナ禍。私が母の仕事を引き継いだことで、ようやく母は長い長いトンネルを抜けることができました。
私がギターを始めたことに触発されて、母も30年ぶりにピアノを始めたのです。ピアノ教室を辞めてから、一度も鍵盤に触れようとしなかったのに。実家には母が幼い頃買ってもらった60年もののアップライトピアノやハモンドオルガンがありますが、母は何と、長年の夢だったグランドピアノをポーンと買ってしまいました!これにはビックリしました。

今はピアノ教室に通い、好きなクラシックの曲を弾き、毎年発表会にも出るようになりました。ピアノを始めてから母はクラシックの演奏会にどっぷりハマり、遠征もしています。クラシックは着席だから年配の人も気兼ねなく楽しめるんですよね。母は苦労多き半生を生きてきたけれど、今のために私はがんばってきたのかな、今が本当に幸せだと言っています。

そういえば、実は兄も私も、自分の結婚式の一番の見せ場で母の大好きな小田和正さんの曲を流しました。兄は「言葉にできない」、私は「風の坂道」。母が苦しくて苦しくてたまらなかったであろう日々の中で、歯を食いしばってがんばる原動力になったのは、きっと小田さんの歌詞だったと思います。母のがんばりを子どもはちゃんと知っています。伝わっています。だから、自分の好きな曲じゃなくて母の好きな曲を選んだ。別に兄と示し合わせたわけじゃないけれど。

小田さんの曲を聞くと、必死にがんばっていた今の私ぐらいの年の頃の母の姿を思い出します。
私が映画や読書や音楽が好きなのは、間違いなく母の影響で、今まさに私自身もそういうものに支えられて毎日をがんばれているので、母にはとても感謝しているし、時を経て母の推しと私の推しが繋がったことがとてもうれしいのです。

母の苦労を思えば、手のかかる子どもがいながら年に2、3回も遠征できる私なんてめっちゃ恵まれてるし、仕事もあんなに忙しくないし。やっぱり親には敵いませんね。

ではこのへんで。
せーのっ!
おつかれ~


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