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めくるめく仮歌詞の世界【弦人茫洋・7月号】


このマガジン「弦人茫洋」は、毎月一日に「長文であること」をテーマにして書いているエッセイです。あえて音楽以外の話題に触れることが多いです。バックナンバーはこちらからお読みいただけます。

※今月は巻末の「おまけ」が一部有料ですが、本文は全文無料でお読みいただけます。よければぜひ最後までどうぞ!



「仮歌詞」
という言葉を聞いたことはありますか?
説明するまでもないかもしれませんが、本番前、仮に書く歌詞のことを仮歌詞と言います。

仮歌詞を書く目的はいくつかあります。
曲のイメージを作るため、譜割りが作曲家の意図と対立しないか確認するため、素早くデモ音源を制作するため、etc

その中で言うと、僕は曲のイメージを作るために仮歌詞を書くことが多いです。より具体的には、アレンジの方向性を決めるため。

音には表情があって、暗い気持ちになる和音や切ない響きのコードなどありますが、なんだかんだ言っても曲に具体的な情景を乗せられるのは、ことばだったりします。

たとえば、悲しい雰囲気のメロディがあるとして、それがなぜ悲しいのか。
失恋なのか、死別なのか、卒業なのか、失業なのか、財布を無くしたのか、長年ひいきにしていたお気に入りの町中華がつぶれたのか。悲しみの理由によってその意味合いが変わってきます。

失恋の悲しさと、町中華がつぶれた悲しさは種類が異なるものなので、それによって編曲の方向性も変わります。

その大まかな方向性を決めるために仮歌詞を用意することが多いです。

逆に言うとテーマがあらかじめ決まっている場合は仮歌詞を用意せずにいきなり本番の歌詞を書くこともあります。


実際に仮歌詞を書くにあたっては、細かいことを意識すると本末転倒なので、鼻歌感覚でさら~っと書きます。そのなかで「これはちがうな」という言い回しを避けて別なことばに置き換えるということはあるにしても、徹夜で推敲するというようなことはありません。あくまでも「仮」歌詞ですから。

ちなみに、「これはちがうな」という言い回しが出てくるのは、自分が作詞作曲をしている場合のことであって、作曲家さんが別にいらっしゃるときは少し様子が異なります(作曲家さんにとっての「これはちがうな」を見つける目的があったりするので)。


そんな風に仮歌詞を書くと、ざっくりなテーマだけ決まっていて字脚で調整したような歌詞が出来上がります。
これをもとにアレンジを進めたりはするものの、最終的に本番の歌詞は書きなおすので、仮歌詞に大きな意味はなかったりします。


大きな意味はないのですが、いや、大きな意味がないからこそなのかもしれませんが。字脚と雰囲気だけで形作られた仮歌詞には、独特の世界観があるものです。

たとえば以前noteで制作した「徒花」という曲は、仮歌詞の段階では次のようなものでした。

僕の前に広がる道のり 竦む足に問えよ
行くも行かぬもこの徒花の 運命 さだめだとは知ってる

青空に白く立ち昇る ため息に込めた
諦めや後悔ばかりが 僕に降り注ぐ

数えきれない涙の波に 呑まれ 遥か どこかへ
流されていくあなたを見つめ 遠く 手を振っている
もう二度と戻れない日々から 僕を呼ぶ声が
たしかに心に響いている 塞ぐ耳を貫き

暗闇に清くこだまする 失われたメロディ
追いかけて伸ばした僕の手を とってくれたのは

あの日のあなた彼方のむこう 届かぬ想いを
その道の果て さいはての先 そこできっと待ってる

空のあおいろは どこまでも深くて 広い海 思わせる
沈んでいく僕の気持ちを ああ 包んで

手の届くはずのない底から 僕を呼ぶ声が
たしかに心に届いている 「見つけて」と呼んでる

君の思い出を琥珀にして 深い海の底に
そっと静かに 起こさぬように 沈めてしまおうか
誰にも邪魔されることのない 永久 とわの時を旅して


この仮歌詞が、良いか悪いかはともかくとして、これをもとに清書した本番の歌詞が下記です。

徒花
作詞・作曲: ジユンペイ


数えきれない涙の波に呑まれ 
遥か彼方へ流されていく今を重ねる 
遠い街の記憶に

渇いた身体が憶えている 過去の甘い香り
蜘蛛の糸のようにまとわりつき 愛を掠め取る

求めて 求められて 求めて  
カラのグラス満たして
応えて 与えて また求めて  
ウソのユメを語った

誰彼となく肌を重ねる     
街に 夜に ココロに
がらんどうの湿った喘ぎが鋭く響いた

思い出の住人が奏でている失われたメロディ
続く音が聴こえることはない 都会の残夜に

セピア色で染まった世界に  
あなたひとり 残して
歩む道 さいはてのそのまた果てに咲いた徒花

海のように広く深い空の底に吸い込まれそうになる
沈んでいく過去の記憶がただ優しい

もう二度とは戻れない日々に何を求め彷徨う?
寄り添う優しさもぬくもりも愛も すべていらない

数えきれない涙の波に呑まれ
遥か彼方へ流されていくあなた重ねる
遠い街の記憶に

溶けて散った徒花


読み比べていただくと、仮歌詞から清書にあたって、抜け落ちた表現とそのまま残って採用している表現があることがおわかりいただけると思います。

僕の前に広がる道のり 竦む足に問えよ
行くも行かぬもこの徒花の 運命(さだめ)だとは知ってる

はごっそりカットされていますし、逆に

数えきれない涙の波に 呑まれ 遥か どこかへ

は採用されています(どこかへ→彼方へに修正はしていますが)


カットされる理由はいろいろありますが一番大きなものは音と歌詞がバチコンはまってないことです。

もちろん字脚を気にして書いているので、まったく外れてガバガバというわけではないのですが、バチコンじゃない。ボディビルダーが着るタンクトップと中学1年生が着る学ランくらい違います。



文節の区切りもイマイチです。たとえば

運命(さだめ)だとは知ってる

ここのメロディは、

「ド・ミ・ソ」「レ#・ファ・ラ」「ミ・ソ・シ」の、3音ずつの塊になっているので、詞も3文字ずつ乗せたほうが好ましいです。

さだめ / だとは / しって / る

と区切ってしまうと、「だとは」が浮いてしまいます。

こういった細かいところがガバガバなので、清書ではそれを修正します。



ここまで書くと仮歌詞がなんだか不良品みたいに思えてきますが、決してそんなことを言いたいわけではありません。

上に引用した

僕の前に広がる道のり 竦む足に問えよ
行くも行かぬもこの徒花の 運命 さだめだとは知ってる

ですが、確かに歌詞として成形するには改良の余地があるものの、このフレーズが出てきたからこそ曲の世界観が固まったということができ、決して無意味なものではないです。

「行くも行かぬもこの徒花の」って、どの徒花だよ!と、これがこのまま歌詞になったら意味不明なのですが、ここで「徒花」という言葉が出てきて結果的にタイトルになってるというのも面白いところです。

※仮歌詞の段階では「残夜」という仮題でした。ちなみに「残夜」はのちに清書の歌詞の一部として採用しました。これもなんだか不思議。




こんな、バランスだけで成り立っている一見すると意味不明な言葉の羅列にもある程度の世界観が含まれていて、そこから最終的な完成(もしくは感性)が引っ張り出されてくるのが、作詞をしていて楽しいところです。

ひとつひとつのフレーズは、実はその曲の根本を真芯で喰ってるような気さえするものです。

そんな縁の下の力持ち的な存在の「仮歌詞」が僕は好きです。



おまけ

ちなみにこれは、今書いている仮歌詞のワンコーラス。

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