「イエスタデイをうたって」の魅力


冬目景先生の「イエスタデイをうたって」というマンガが好きです。

好きというか、僕の中では好きを通り越して、もはやバイブルみたいな存在になってます。


小説にせよ、マンガにせよ、映画にせよ、僕は新しい作品をじゃんじゃん自分の中に注ぎ込むというよりは、どっぷり好きになった作品を繰り返し読み返す(観返す)タイプです。

その中でもイエスタが異質なのは、まるで自分の人生経験の一部であるかのように、学生時代のアルバムを捲るような気持ちで読み返せるところにあるような気がします。


よく読み返す作品としては太宰治の「人間失格」があります。読み返したくなるのは、なんとなく自分が人間として失格しているような気持ちになっているとき。

映画ではロストワールドやターミネーターをよく観返します。これらを観返したくなる気持ちも人間失格と似ていて、ジェフゴールドブラムやシュワちゃんに会いたくなった時に観返すことが多いです(人間失格は太宰に会いたくて読み返してるわけではないので少し違うが)。


人間失格も、ロストワールドも、ターミネーターも。帰ってくるたびに新鮮なエンタメとして迎え入れてくれる雰囲気がある。物語はすべて知っているし、そらでなぞれるセリフだって数えきれないくらいあるけれども、それでも、読むたび観るたび、新たな発見があって、それはエンタメで、新規のお客として楽しませてくれる。
※人間失格をエンタメだと言うと大変な語弊がありますがこの記事においてそこは大した問題ではないので目を瞑っていただきたい。人間失格の魅力についてはまたいずれ書きます。

そういったものと比べると、再読するたび自分が体験したことのようにありありと蘇ってくる「イエスタデイをうたって」は、やはり異質ですし、それがこの作品の大きな魅力だと思います。


なぜ、こんなにイエスタに惹かれるのか。もう何回目かわからない再読を終えて自分なりに考えました。

今回その結論は「イエスタには、自分の気持ちや人生経験が重なるキャラクターが必ず一人は居るから」ということに落ち着いています。


ここから先は作品の内容に触れることになるので、これからイエスタを読もうと考えている方は飛ばしてください。



天真爛漫で一途なハル。優柔不断で煮え切らないリクオ。過去と訣別できず立ち往生している榀子。イエスタで描かれる人間関係は、一見そんなふうに映ります。そういう目線でこの作品を読むと、榀子がめんどくさいとか、柚原や雨宮さん、リオさんなんかも三人の関係を掻き乱すノイズとして解釈されがちで、抑えきれない野次馬根性で他人の色恋を眺めたい読者にとっては邪魔な存在として認識されます。

そのこと自体は恋愛作品のセオリーみたいなもので、ただ邪魔者がいるというだけなら大した問題ではありません。

イエスタが魅力的なのは、雨宮やリオにさえも読者が自分を投影できる十分な余白があること、ひとりひとりのキャラクターがそれだけ丁寧にデザインされていることに秘密があるような思います。

自分の事情しか頭になくパワープレイで突っ走る雨宮は不快な存在で当たり前なのですが、彼を不快に感じるのは読者の中に同じような経験があるからこそのことで、読者は雨宮を通して自分が過去に経験した幼い恋愛で誰かを不用意に傷つけた思い出をそれとなく呼び起こされる。雨宮に共感していなければ、彼を嫌いになることすら出来ないわけで、それは裏を返せば、彼と同じような立場に立たされる恋愛を強いられたとき読者は雨宮の気持ちが手に取るようにわかるということ。

同じような理由で柚原も相当に渋いキャラクターだと思います。


人は誰しも、だれにも言えない思いや悩みを抱えているもの。だからこそ、それを代弁してくれる存在に強く惹かれるのだと思います。
イエスタには、主人公だけでなく、描かれるキャラクターすべてがその力を持っているので、惹かれるんでしょう。


今回、僕は榀子にすごく共感しました。
誰も傷つけまいとした結果、かえって多くの人を巻き込んでそんな自分に自己嫌悪する悪循環。

そういうことって、あるよね。なんなら恋愛に限った話でもなく。

今自分が同じことで悩んでいるから共感したというわけではなく、解決されない問題を抱えたままそのまま生きていく榀子の生き方を理解できる年齢に差し掛かったというそんな感じです。


イエスタは、せっかちな人は退屈するだろうし、エンタメ消費速度の速い現代の空気感とはイマイチ馴染みの悪い面もあると思います。
だからこそ沼だと思うし、ままならない問題を「ままならない」そのまま描き切っていることにひとつの価値があるのではと思いました。

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