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「大切にする」ということ


「大切にする」と、口に出すのは容易い。
「一生大切にするよ」なんて、言うだけなら誰でも簡単に出来る。
でも実際、大切にするって何?と問われると、これが意外に難しい。少なくとも僕は即答できる自信がありません。

たとえば、20歳の誕生祝に祖父から日本酒をもらった。
僕はその記念のお酒を「大切に」しようと思って、その日に少しだけ飲み、長いこと「大切に」冷暗所で保管していた。
何の日だったか忘れたけど、何かの記念でせっかくだからと次にその日本酒を開けたのは、最初に飲んだ日から半年以上は経っていたかな。
久々の美酒に酔いしれんとばかり、口に含むと、

ま。。。まずい。。。まずすぎる。。。
フルーティな仄かな甘みなんて跡形もない。。。なんか変な酸味を感じる。。。

要するに、傷んではないにせよ、長いこと放置した結果、酸化して味が落ちてしまったのです。



果たして、これは酒を大切にしたことになるのか?
大切な酒を丁寧に保管しすぎるあまり味が落ちたのでは、結果として大切にしたことになってないじゃないか?
大切にするというのは、何かを奥底にしまい込んで、悪いヤツに見つからないように保管しておくことではないのだと学びました。そういう大切にし方もあるけど、それはどちらかというと、何かを大切にしている自分を大切にしたいのであって、自己満足に近い。自己満足が悪いというわけではないけども。



またこんな経験もあります。
小学校時代、ノートにびっしりとメモしている僕を見て担任の先生が、一言。
もっとスペースをあけて大胆に使え、と。
それでは余白がたくさんできて勿体ない、もっと「大切に」使わないといけない、と僕は担任に反論したが、
そんな風にびっしり書き込んで何を学んだか読み返せないほうがよっぽど勿体ない、と一蹴されて終わりました。

た、、、担任。。。。お、大人気ない。。。。

このノート事件から学んだのは、何かを大切にするということは、そのポテンシャルを極限まで引き出すことだ、ということでした。
(ちなみにその時の教訓の影響か、いまだにギターの弦とかピックなどの消耗品は違和感を感じたらまだ使える状態でもすぐに交換するわがままギタリストに育ってしまいました)



そう考えてみると、
ドラマや何かで主人公が恋人に打ち明ける「君のためを思って言うけど、別れてほしい」みたいなセリフも、今となっては、わからなくはない。
自分は君の未来を約束することができないから、その可能性を摘みたくないという意味で、君を「大切に」思うからこそ、別れたいんだ、という。


頭で、理解することは、出来る。理路整然としているから。
ところが、心からその境地に達するまでには、まだ時間がかりそう。


少なくとも僕は、出来るだけ長く一緒に居ることが正義だと思っている。
恋人とも、記念の酒とも、大学ノートとも。
一緒に過ごす時間を最大化することが、その相手を「大切にする」ということだという認識が、頭の中にこびりついている。
若干、話の角度がズレるが、カートコバーンの言う「忘れ去られるくらいなら燃え尽きたほうがいい」という気持ちも、理解はできるが、その同じ境地には達せない。達せないままカートより年上になってしまいました。

ま、これは何かを考察したり、問題に答えを出そうとする記事ではないので、まさかのどこにも着地しないままここで終わりますが、たまにはnoteでこういうのもどうでしょうか。ちなみに週3で書いているニフティブログは毎回こんな感じです。


ジュンペイ

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おまけ
最近、noteとの付き合い方が少しだけわかってきた。
その理解によると、流れに乗ってただ漫然と書き散らすくらいなら、読む専でいたほうがいい。
当たり前の話かもしれないけど、SNSやプラットフォームごとに異なる特性を、人から教わるんじゃなくて、自分で仮説を立て、実践し、失敗して修正してみて、、、ってやらないと、本当の意味で腹落ちすることは、ない。
それを物凄いスピードで実践して無料でノウハウを教えちゃう人たちが数えきれないほどいるから、こういう場所はレッドオーシャンと言われる。
今、自分なりにそのレッドオーシャンにおけるスキマを見つけた感じです。
いずれどこかで共有するので、まずは報告ということで。



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