日記随想:徒然草とともに 2章 ⑱

 第26段も、いくぶん感傷的な物思いに耽る法師の呟きが続く。和文の特徴として文中に、わたし、とか、われ、という主語は見られない。兼好法師に限らないが、わたしはこう思う、わたしはこう感じる、ではなく、はかなかるべけれ、かなしきものなれ、さること侍りけん、といった結びで、書き手は表現の奥にひそみ、いつしか読み手を共同意識に誘い込む。”われ泣き濡れて蟹とたわむる”などと、文人自身が自他をはっきりさせる西欧風の表現を用いるようになったのは、日本では明治以降ではなかろうか。

 そのころまで、和文では、伝統的に、随想の書き手や、和歌の詠み手自身の心は、あたかも一つの風景のようにさりげなく文中に埋め込まれて描かれるのが普通だった気がする。

 ともあれ、第26段から第32段までは、人生の悲喜こもごもの思い入れを実体験らしきものをまじえ、古歌に詠まれた言い回しをふんだんにとりいれながら、しめやかに書き進められる。

 まず第26段のテーマは、”うつろふ人の心の花”である。注解によれば、古今集に紀貫之が—「桜花 とくちりぬとも思ほえず 人の心の花ぞ 風もふきあへぬ」と詠み、同じ集に、小町は恋の歌として「色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の花にぞありける」というのがあるということで、これらを取り入れた表現なので、当然、ここでも過去の恋を語っている、と読まねばならない。

 馴れにし年月、というからには、愛し合って睦まじい歳月を過ごした時期もあったと考えられ、その時交わして感動した言葉のはしばしは、いまもすべて忘れがたく、事情あって別れたあとも、それを思うとき、亡き人を思うより悲しいものである、というのである。

 ただ、続いて引用される中国の儒者、墨子や楊子が説いた善悪のたとえは、白い糸が別の色に染められ易い、とか道の分岐点で、ひとは悪の方を選択しがち、とかいう意味らしいが、このあたりの文脈は、先の文との意味のつながりがあるようでないと思え、わたしにはよくわからない。

 もとより気儘な随想なので、想いがどうつながっていこうと、かまわないようなものだけれど、兼好法師は、これを書きながら、なんとなく気持ちが沈んでしまったのかも、と思う。   
  
 これに続いて堀川院(堀川天皇)が当代の模範和歌100首を選ばれて、規範とされた中にある歌”昔見し妹が垣根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして、を引用し、”寂しい景色だが、そう云うこともあろう。などと書き加えていることからも、なつかしい昔を思い出し、なんとなく侘しく気落ちしていたのかもしれない、と勝手に解釈することにした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?