日記随想:徒然草とともに 2章 ⑥

 住まいというものは そもそも世の仮の宿というのが仏に帰依する身にとって、たてまえではあるけれども、やはりこの世では住む人の身にふさわしいものであれかし、と思うのが、繊細な美意識の持ち主の兼好法師には興味深いことだった。
  
 佳き人、いわば出自もよく、良識あり、教養もそなえた立派な人が、ゆったりと暮らしている家には、差し込む月の光の色さえしみじみと心に染むような気さえする、と書きしるす。
 それは今風に豪華で派手な立派なものではないけれども、木立も草々も年経て,わざとらしくない庭の自然なあしらいが万事心ある様子で、簀の子や透垣(すいがい)の趣、何気なく置いてある道具類も、古風だが、質のよさと落ち着きが感じられて奥床しい、という。
 数百年を経た今も、かっての伝統的な和風の屋敷には、こうしたあしらいも、いまだに見られる風景で、それがおのずと重ね合わされ、日本の古き良き時代(それがあったとして)を偲ばせ、わたしにも昔に変わらなかったふるさとの懐かしい光景が目に浮かんでくる。

 そして、これとは変わり、多くの腕の良い棟梁たちが心を籠めて磨き上げた家に、唐渡来だとか、国の匠の逸品という度類を置き並べ、前栽の草木まで人工的に作っているのは見た目もよくなく悪趣味で、いつまで生きるわけでもないし、火事で焼けてしまえばお終いじゃないか、などと思えて鬱陶しい。こう云う暮らしかたを見ると、その人柄まで推し量られてしまう。と書き加えられる。読み進んでいるうちに、中世人と話しているのでなく、いま、現代の世相批判を聴いて、頷いている気分になる。
 
 続いて歌人、西行法師の逸話が披露される。そのむかし、当時の高官御徳大寺大臣が寝殿に来る鳶を追い払おうと縄を張り巡らし、それを見たこの家に仕えていた西行は、鳶が来たとてどれほどの障りになろうか、この殿はそういう人であったか、とその後はふっつり伺候するのをやめた、という話が残されている、と。ところが、やはり昔、皇子であられた綾小路宮も庭に縄をひかれたが、実はそれは鳶が庭の蛙を狙うのを防ごうと思われてのことと説明するひともいて、兼好法師は、もしかして、御徳大寺殿にも何かこうしたほかの理由があったのではないか。と書き進めている。
 昔から、日本人には、自然の生き物たちとの共存の気持ちがたっぷりあった、と考えていいかもしれない、と思わせられる逸話ではある。

 
 
 


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