日記.9月27日#随想徒然草とともに❨2❩

昨夜早めに床についたので、今朝は4時ころから目が覚めました。眠れないままに、YouTubeをいじっていたら、突如オーケストラの場面が出て聞き覚えのある音が流れてきました❗️。急いでスマホにイヤホンの電源を差し込み、聴くことにしました。
演奏されていたのは、ベートーベンの「交響曲第六」田園でした。かなり長いので、うとうとしつつ聴き終わったころ、夜が、しらじらと明けてきました。今朝も晴れのようです。イヤホンをそのまま耳につけていましたら、今度は、同じベートーベンの交響曲「第九」が流れてきました。日本でも、合唱曲をもつ、この調べを知らない人は、多分おられないでしょうが、私はコンサート会場で聴いたことはおろか、じっくり全曲聴いたこともなかったので、早朝の静寂をいいことに、聴いてみることにしました🎵。演奏はベルリンフィル、指揮者、バレンボイムで、圧倒的な迫力でした。思い出せば、この歌唱の歌詞は、ずっと昔のことですが、たまたま、さして親しくもなかったひとりの学友から、教わったことがあるのです。
多分だれか、女友達に
連れられて行ったんでしょうか、かれの下宿に、ふたりでたずねていったことは覚えているのですが、あとにもさきにも、その時限りで、その人の名前すら覚えていないのです。確か法学部の学生で、大阪出身の気さくな男の子だったとしか。そして、その時、どういう話でそうなったのかすら覚えていないのですが、ドイツ語も知らないのに、歌詞を教えて貰い、あっという間に覚えて、いまだに発音は駄目でも、忘れずに、おしまいまで、なんとか歌えるのです。若さというもの、なのでしょうか。
そして、それきり、彼がその後、どうしているのか、まるで、噂も聞いたことがないのですが、確か「政治家になりたい、それも殺されるような
政治家に」なんて言っていたのを覚えています。これも若さ、でしょうか?兼好法師によれば「何事も、珍しきことを求め、異説を好むは、浅才のひとの必ずあることなりとぞ]とあっさり、いなされそうな話です。若さの至りとはいえま「よき人は、怪しきことを語らず」(73段)とまでいうのは言い過ぎかもしれません。
それはともあれ、ひとが音曲を好み、歌ったり、叩いたり、吹いたり、かき鳴らしたりするのは太古の昔からあった、と伝えられています。
我が国でも、天の岩戸の昔から、大御神さまでも岩屋から、引き出す魅力をそなえていたわけですから。徒然草でも、兼好法師は第十六段に神楽の魅力を述べたあと、「常に聞きたきは、琵琶、和琴」と書き添えています。彼自身がそういう嗜みがあったということは伝わっていませんから、おそらく、なにも無かったのでしょうが 「よろずにその道を知れる者はやんごとなきものなり」(51段)と言いながら、かれの胸にはその道、ひとがいきるうえで、最もたいせつな道はいずこにあるのかを探求するところにあったのは明らかでした。

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