日記随想:徒然草とともに 2章 ㉔ 

  雪ときたら、次は月、日本人の風流のたしなみの定番みたいなものかもしれないが、続いて第32段は、長月(9月)二十日のころ、ある人のお誘いで、原文では”誘われたてまつりて”、と敬語を使っているところから推察するに、ある人とは、高貴な身分の人であろうか。ともあれ、お供をして夜明けまで月を見歩くことがあった、と。

 当時の暦では、この日は深夜から明け方にかけて月が出る、ということで、注にも(和泉式部日記に「九月二十日余りばかりの有明の月に」というくだりがあり、この時期女性が男性を待ちわびる恋の情緒を感じる季節)とあり、ただの月見とはことなり、静かでなまめかしい雰囲気のただよう文となっている。

 果たしてその方”おぼし出づる所ありて、案内せさせて入り給いぬ”という展開になる。外で待つ間、手入れもなく荒れている庭いちめんに露がおりていて、わざわざ焚いたと思えない香の匂いがしっとりとただよってきて、世を忍んでおられる気配に、まことにしんみりさせられた。やがて適当なころあいに、お連れの方はお出ましになられたが、いかにもわけのあるご様子が優雅に思え、立ち去りがたく物蔭でしばらく見ていたところ、入り口の妻戸が少し押し開けられ、月を眺めておられる気配で、やがて中にお籠りになったが、さぞかし名残り惜しく思われたであろう。客が去った後でまだ見ている人があるとは、どうしてお知りになろう、こうしたお振る舞いは、日頃の心づかいによるものと思う。その方は、間もなくお亡くなりになったと聞いた。
 夜更けの月を背景にしたひそかな男女の別れ、短編小説のようなうな一篇である。訳注を参考に現代風に移してみたけれど、もとの文の優雅な味わいは到底再現するすべもない。

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