日記:10月8日🎵随想.徒然草とともに(12)

 この年も再三訪れて猛威をふるった台風が、ようやく海のかなたに去り、季節はいつの間にか秋、兼好法師も草紙に書き綴る。「十月は小春の天気,草も青くなり、梅もつぼみぬ、」(第155段)と、そして季節の移り変わりの速さを述べたあと、人生の転変はさらに速く、なんの予告もなく、不意におとずれる、とかねてよりの持論を展開する。「死は前よりしも来らず。かねて後に迫れり」(同)、
 徒然草には、ひとのいのちのはかなさ、時の移ろいの速さを説く文節が、しばしば見られる。法師の身なのだから当然とも言えようが、当時の世相、さらにその生い立ちにも、深いかかわりがあるのではないか、と考えられる。
確かではないらしいが、年表によれば、彼の生誕は1283年、そして、父(実名不詳)は1299年、鎌倉で没したとされ、そうとすれば、兼好16歳の時となる。母の記録は不明で、いわば、かれは、ほぼ天涯孤独の身であったのかもしれない。心血を注いで書き綴ってきた手記の最後に、亡き父と交わした対話をいれたのは、意味のないこととは思えない。
  最終の第243段に、八歳の子供として登場する法師の疑問は、いまもさだかに解かれない人類永遠の謎というより、課題である。佛とは?または神とは?
父なるひとも、単なる推測の域をでないが、おそらく宮廷関連での下級職をもつ当時の知識階級に属し、相応の教養は備えた人物であったらしい。二人の間に流れる親子の情愛は、草紙全編を押し包む棄てがたいあじわいがあるものと思う。問答を部分的にかいつまんで紹介してみよう。あるとき、彼は父にといかけた
「佛はいかなるものにか候うらん」「佛には人のなりたるなり」「人はなんとして佛にはなり候うやらん」「佛の教えによりてなるなり」「教え候いける仏をなにが教え候いける?」「それもまた先の佛の教えによりてなり候うなり」「その教え始め候いける第一の佛はいかなる佛にて候いける?」とうとう返事に困った父は中国古典をもじり冗談めかして「空から降ったのやら、土から湧いたのやら」と笑い、子供のどこまでも、問い詰めてひきさがらない問いから逃げ出し、とうとう答えられませんでした。と人に話して面白がった、という。当時から一般日本人の宗教意識は、この程度のものだったことがうかがえるが、こどもとはいえ、この知性と感性こそ、作者自身の手になるまたとないプロフィールとも言えよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?