日記随想:徒然草とともに 2章 ㉒

 29段では、古い文反古を整理したり、破り捨てたり、あるいは懐旧の想いに浸ったり、生きている間にだれしも一度は経験したようなことを読み味わったが、最近は手書きの文より、電話やネットで片付くことも多くなり、さらに増える一方の書類のたぐいはシュュレッダーという便利なものがある程度片づけてくれる時代になっつた。これを喜んでいいのか、残念に思うのか、わけもわからないうちに、歳月はどんどん経つことばかりは今も昔も変わらない。
 あれこれ感慨を抱きながら、30段に進むと、結局今も昔もさして変わらぬ人生のいとなみの哀感が、しみじみ語られる。
 書き出しは”人の亡くなった跡ほど、悲しいものはない“ということばで始まるが、まず生き残った者たちの心が変りゆく自然な動きが達者な筆で容赦なく描かれ、葬られた後の現実として最後の結びは、その墓石すら”いつの時代の誰か、名すらわからなくなって,年々周りに生える春の草だけが心ある人の眼には哀れに映るであろうが、・・やがてそれすら跡形すらなくなるであろうと思うと悲しいことである”という結びになる。そこまでの歳月の移り行きの細かな描写がまるで目に映るように、簡潔な筆で描かれてゆく。まず死の直後、当時は縁者たちが山寺などに集まり、狭苦しいところで雑居しながら49日の追善供養をするしきたりで、なんとなく気ぜわしく、あわただしく時を過ごし、忌明けには互いにろくに口もきかずおのおの荷物をまとめてちりじりに去っていく、遺族は寂しいだろうが、縁者たちは縁起を担いだりして口うるさいばかり、人の心はとかく鬱陶しいものだ、「去る者は日々に疎し」と故事にもある通り、悲しみもいつしか薄れ、冗談など言い合って笑い興じ、人里離れた山のなかにおさめ、参ることも遠ざかるうちに、卒塔婆も苔むし、まわりにそよぐ春の草だけが哀れをそそり、木の葉に埋もれ、夕方の風や夜の月だけが訪れるよすがとなる、さらに千年もの年経た松が砕かれて薪となるように、”古き塚(墓)は犂(す)かれて田となりぬ。そのかただになくなりぬるぞ悲しき”という結びである。流れるような筆運びに、一息に読んで、ほっと息をつく。そういうことなんだから、もうどうでもいい、というわけにもいかない、御仏の教えではいかなることになりますか?と聞くのも愚かな冷徹な現実論ではある。 


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