流体音波の吸収係数

ランダウ・リフシッツの"流体力学"に、流体を伝わる(微小振幅)音波の吸収による損失を議論している項目がある(英訳第二版だと、§79)。ビームのように、音波が広がっていかない場合でも、吸収による減衰は避けられない。

音波の吸収要因として、粘性と熱伝導の寄与が計算されているが、具体的な物質での数値が書いてない。数値を載せてくれる親切さがあってもいいと思うのだけど、粘性と熱伝導のどちらの影響が大きいのか、一見では分からない。

粘性は運動量拡散の効果であり、熱伝導はエネルギー拡散の効果で、微視的には、運動量流束(応力テンソル)の時間相関やエネルギー流束の時間相関から計算できる(線形応答理論)。


粘性と熱伝導による音波吸収

ランダウ・リフシッツの教科書にある式は以下。

$${ \alpha = \dfrac{\omega^2}{2 \rho c^3} \left[ (\dfrac{4}{3} \eta + \eta_{b}) + \kappa( \dfrac{1}{c_v} - \dfrac{1}{c_{p}} ) \right] }$$

$${\omega , \rho,c}$$は角周波数、密度、音速で、$${\eta,\eta_{b},\kappa,c_{p},c_{v}}$$は、せん断粘性係数、体積粘性係数、熱伝導率、定圧比熱、定積比熱。

$${\alpha}$$の単位は$${m^{-1}}$$で、$${1/\alpha}$$の距離進むと、音波は$${1/e}$$倍に減衰する。

$${ (\dfrac{4}{3} \eta + \eta_{b}) + \kappa( \dfrac{1}{c_p} - \dfrac{1}{c_{v}} ) = \eta (\dfrac{4}{3} + \dfrac{\eta_{b}}{\eta} + \dfrac{(\gamma-1)}{Pr} ) }$$

と整理する。ここで、$${\gamma = \dfrac{c_p}{c_v}}$$は比熱比。$${ Pr = \dfrac{\eta c_{p}}{\kappa} }$$はプラントル数という名前が付いてて無次元量。ランダウ・リフシッツの"流体力学"第二版§53にも、プラントル数の説明と数値例がある

体積粘性係数は、せん断粘性係数に比べるとデータが少ない。分子動力学で計算するという方法もあるが、オーダーはともかく精密な計算値を出すのは難しい。

音速よりずっと遅い空気の流れや、水の流れでは、非圧縮近似をするのが一般的で、体積粘性係数の項は消えてしまう。亜音速〜超音速の気体の流れ(典型的には衝撃波の理論など)では、粘性の影響自体を無視してしまうことも多いように思う。従って、体積粘性係数の影響を無視しても問題ないと考えられることが多かった(本来、これらの近似が妥当かどうかは、その都度チェックされるべき事柄だとは思う)

 

粘性と熱拡散の寄与を比較するには、比熱比を見積もる必要がある。気体の場合は定圧比熱と定積比熱を独立に測定できるが、液体の場合は、定積比熱の直接測定は難しい。そこで熱力学的関係式

$${ c_{p} - c_{v} = \dfrac{T \beta ^2 c^2}{\gamma} }$$

を使う。$${T,\beta}$$は温度と熱膨張率。$${c}$$は音速。従って、

$${ \gamma = 1 + \dfrac{T \beta^2 c^2}{c_p} }$$

から比熱比が分かる。これは、熱力学が成立する限り、流体で正しいはずの式。定積比熱の直接測定が難しい場合でも、比熱比を計算できる。

固体だと縦波速度は剛性率にも依存するから、そのままでは正しくない。固体の場合も、$${ c = \sqrt{V_{縦}^2 - \dfrac{4}{3} V_{横}^2} }$$を使えば成立するはず($${V_{縦},V_{横}}$$は縦波、横波の速度)

 

音速、膨張率、比熱、比熱比も温度や圧力に依存する量だが、温度圧力を指定した時の数値が、まとまったデータを探すのが面倒(理科年表とかにあるか?)なので、適当に検索して出てきた数値を使う。大体、20度くらいでの数値だと思う。T=300Kとして比熱比を計算すると以下のようになる。

空気とアルゴンの比熱比も計算値。空気の比熱比も、実測値では、もっと1.4に近いらしい。膨張率は理想気体なら$${1/T}$$なので、気体については、その数値を流用した。

水の比熱比は相当小さいが、水銀やエタノールの比熱比は気体と遜色ない大きさになる。ほんとか?

 

プラントル数の計算は、物性値があれば、どうってことはない。自分でデータを集めて計算した結果が以下。

グリセリンの場合、音波の減衰は、ほぼ完全に粘性による。粘性の高さを思えば意外ではない。

水の場合も、(γ-1)/Prは1/1000のオーダーで、音波の減衰は、99.9%粘性による。

エタノールでは(γ-1)/Prは1/100のオーダーで、やはり、音波の減衰は99%以上は粘性によると言って差し支えないだろう。

水銀は、金属だけあって、熱伝導率も大きいせいか、熱拡散による寄与が相当にありそうである。体積粘性係数次第ではあるが

空気やアルゴンのような気体でも、体積粘性係数次第ではあるが、熱拡散による減衰は、無視していいと言える水準ではない。

 

ところで、そもそも、音の吸収係数の式は合ってるのだろうか。

水による音の吸収

既に見たように、水の場合は、熱拡散による吸収は無視して差し支えないので

$${\omega = 2 \pi \nu}$$に対して、$${ \dfrac{\alpha}{\nu^2} }$$は

$${ \dfrac{ 2\pi^2 \eta }{\rho c^3} ( \dfrac{4}{3} + \dfrac{\eta_{b}}{\eta}) }$$

の形になる。20℃の場合

$${ \dfrac{ 2\pi^2 \eta }{\rho c^3} \approx 6.1 \times 10^{-15} \space \mathrm{m}^{-1} }$$

である。

1953年のかなり古い論文Measurements of sound absorption in water and in aqueous solutions of electrolytesは、精度は分からないが、

The measurements in water yield a value α/v 2 = 25 · 10−15 s2/m at 20°C, independent of frequency down to 100 kc/s.

とある。$${\dfrac{\eta_{b}}{\eta}}$$が、2.7〜2.8くらいあれば、理論値と合う計算になる。

In the frequency range from 5 to 300 Mc/s a large number of fairly exact measurements of sound absorption in pure water has been made [11]-[21].
The results (collected by SETTE [10]) give an absorption proportional to the square of frequency corresponding to a value α/v 2 = 25 • 10~15 s2/m at 20 °C, a value 3 times higher than the classical value.
KNESER [1], HALL [4] and GIERER and WIRTZ [5] ascribed this excess absorption to a structure relaxation.

と書かれており、低周波から高い周波数まで、$${ \dfrac{\alpha}{\nu^2} }$$がほぼ一定値を取るらしい。その定数値は、予想よりも大きいと思われたらしいが、多分、体積粘性係数が忘れられていたせい。

 

現在、水では、$${\dfrac{\eta_{b}}{\eta}}$$が実際に、2.7くらいの大きさだと考えられているらしい(勿論、温度にも依存するが)

2009年の論文Bulk viscosity and compressibility measurement using acoustic spectroscopyは、普通に超音波の吸収係数から、25度の水の体積粘性係数は2.4cPだとしている(せん断粘性係数は0.89cPなので、2.4/0.89≒2.7)。

体積粘性係数を何か別の方法で測定しないと、理論の証明とは言えないが、そういう結果があるのかは不明。傍証として、水の分子動力学計算による体積粘性係数は、定量的にはズレがあるが、それでも、せん断粘性係数より体積粘性係数が大きいという傾向は再現する。

水に関しては、純水よりも海水での吸収が関心を集めている。ソナーなどの実用的要求があるためだろう。海水では、周波数によって、硫酸マグネシウムやホウ酸による吸収があるそうだ。

空気による音の吸収

空気の場合は、1990年頃、日本語で書かれた記事"空気による音の吸収"が見つかった。

これによると、1930年前後にクヌーセン(Knudsen)が音波の吸収を測定し、上記の理論値と乖離することを発見したらしい。

1933年のKnudsenの論文The Absorption of Soundには、

Thus, at 10,000 cycles, m = 0.00003 cm-1 for dry air at a temperature of 20℃

とか書いてあった。cyclesはHzと同じ。20度での空気密度1.205 kg/m^3、粘性率1.822e-5 Pa・s、音速340 m/sを使って、$${\alpha_{0} = 0.00003 * 100 (m^{-1}))}$$に対して(角周波数なので周波数に$${2\pi}$$を掛けるのを忘れないこと!)

$${\dfrac{\alpha_{0}}{ (\omega^2 \eta) / (2 \rho c^3) } \approx 3.95}$$

なので、体積粘性係数が、せん断粘性係数の2倍くらいあれば説明が付かなくもない。

2019年の論文Measurement of Temperature-Dependent Bulk Viscosities of Nitrogen, Oxygen and Air From Spontaneous Rayleigh-Brillouin Scatteringを見ると、(どういう方法か理解してないが)、常温常圧では、空気のせん断粘性係数と体積粘性係数の比は、1に近いように思う。

arXiv:2303.08400には、常温常圧の窒素で、体積粘性係数/せん断粘性係数が0.769だと引用されている。気体によっては、かなり大きな値を取るらしい(水素は28.95とか書いてある)が、空気は、そこまで大きくない可能性が高い

 

上の日本語の記事によれば

古典吸収および酸素と窒素の分子レベルのプロセスによる回転緩和,振動緩和という4つの主な吸収メカニズムから成る物理学的に確立された公式に基づいて純音の空気吸収を計算することができるようになった

そうだ。可聴域(20Hz~20kHz)では、窒素と酸素の振動緩和の寄与が大きいとも書いてある。

古典吸収というのは、ランダウ・リフシッツの教科書を指しているのだろうが、実用的には、単純に周波数の二乗に比例する項を全部まとめて指しているのだろう。従って、体積粘性係数の寄与とか、そういうのは一切分からない。

この記事が書かれた後、1993年にISO9613-1という規格が出て、そこに載ってる式では、古典吸収の係数を周波数の2乗で割った値は、(一気圧、20℃の時に)
$${8.686 \times 1.84 \times 10^{-11} / 4.3429 = 3.68 \times 10^{-11} \mathrm{s^2 / m}}$$
となる。ISOでの単位は、db/mというゴミ単位なので、10/log(10)≒4.3429で割る必要がある。

周波数10000Hzで吸収係数は、0.00368(/m)になるので、1930年頃のクヌーセンの測定値に近い。この中に、せん断粘性、体積粘性、熱伝導、あるいは、上の記事によれば、回転緩和の効果などが全部入ってるということなんだろう。

回転緩和、振動緩和というのは、流体力学的方程式では、各点で熱力学が成立して、比熱なども熱力学関係式を満たすと仮定されている。熱力学は、熱平衡でのみ成立する。一方、並進、回転、分子振動モードの緩和時間は、並進<回転<分子振動の順に長くなっており、緩和時間が長いモードについては、熱平衡からのズレが無視できなくなっているということなんだろう。このような効果は、圧縮性流体力学で扱われるような状況でも無視できなくなるはず。

また、クヌーセンも既に指摘していたが、現実的な場面では重要なことに、吸収係数には湿度も影響するらしいが、湿度の影響は、酸素や窒素の振動緩和を通して出るらしい。ISO9613-1の式もそうなってる。ISO9613-1の式によると、酸素と窒素の振動緩和時間は、(一気圧、20℃、湿度0%の時に)それぞれ、42msと111ms相当ということになる(24Hzと9Hzという周波数の形で書かれているが)

1933年に、Kneserが酸素の振動緩和を提案し、The Interpretation of the Anomalous Sound‐Absorption in Air and Oxygen in Terms of Molecular Collisions に書いてある式(10)によると(少し記号は違うが)

$${ \alpha_{vib} = \dfrac{\omega}{c} \dfrac{R C_{vib}}{(R+C_{tr})C_{tr}} \dfrac{\omega \tau}{1+(\omega \tau)^2} }$$

となっている。$${\omega,c}$$は角周波数と音速。$${C_{tr},C_{vib},R}$$は、比熱の並進回転成分、分子振動成分、気体定数。$${\tau}$$が緩和時間。古典統計力学によって$${C_{tr} = \dfrac{5}{2}R}$$で、$${C_{vib}}$$は、実際の比熱から$${C_{tr}}$$を差し引けば分かる。Kneserの論文には$${C_{vib}/C_{tr} \approx 0.006}$$だと書いてある(実際はもう少し大きく0.011くらいになる)

簡単に分かる通り、以下が成り立つ。

$${ \alpha_{vib} \lt \dfrac{1}{c \tau} \dfrac{R}{(R+C_{tr})C_{tr}} C_{vib} }$$

$${C_{vib} / R}$$を0.011で、音速を330(m/s)、緩和時間を42msとして計算してみると、$${\alpha_{vib}}$$の上限は$${ 0.000236 \space \mathrm{m}^{-1}}$$程度になる。周波数が10000Hzくらいなら、酸素の振動緩和は殆ど飽和してるとみなせるが、Knudsenの空気に対する測定値の8%くらいになるので、それなりに影響してそう?

ヘリウムやアルゴンガスのような単分子気体なら、回転緩和や振動緩和は出ないのじゃないかと思われるが、測定したデータを見つけられなかった。Ultrasonic Absorption and Relaxation Times in Nitrogen, Oxygen, and Water Vaporには、キャリブレーションにアルゴンガスを使ったと書いてある

余談: 熱力学と圧縮性流体力学

流体力学は、19世紀には、hydrodynamicsと呼ばれ、水の流れが中心テーマだったことが伺われる。初期の段階では、温度は考慮されておらず、今の流体力学入門書も、その時代の流儀を受け継いでたりする。

圧縮性流体力学では、気相中の燃焼反応が対象となることも多く、その場合、熱力学変数を無視できない。ランダウ・リフシッツの教科書は、それを踏まえて、最初から、局所的に定義された内部エネルギーなどの変数を導入している。

ところで、考えてみると、今の教科書的な熱力学は、空間変数も時間変数も含まないので、この熱力学の局所化は誰が始めたのか不思議に思った。

勿論、熱力学がまだ存在してなかったフーリエの時代から、温度は局所化された変数として扱ってる。温度、圧力と密度があれば、熱力学的関係式を満たすように、内部エネルギーやエントロピーを定義できる。つまり、$${T,V}$$を温度と体積として、内部エネルギーとエントロピー$${U=U(T,V),S=S(T,V)}$$は

$${dU = C_{v} dT + (\dfrac{\beta T}{\kappa_T} - p) dV}$$

$${dS = \dfrac{C_{v}}{T} dT + \dfrac{\beta}{\kappa_T} dV}$$

を積分して計算できる(必要なら、化学ポテンシャルとかも足していく)。$${C_{v},C_{p},\beta,\kappa_{T},p}$$は、定積モル比熱、定圧モル比熱、熱膨張率、等温圧縮率、圧力。必要なら化学ポテンシャルなどを追加する。内部エネルギーやエントロピーと違って、これらの変数は(原理的には)測定できる量。

多分、初期の研究者は、こんな感じの発想で熱力学変数の局所化を正当化しても許されると考えたのだろう。

 

キルヒホッフは、1868年に、音波の吸収係数を扱うために、流体力学と熱伝導方程式を同時に扱って、上の吸収係数の式を導いた(体積粘性係数は含んでないが)。

双曲型保存則系に関するリーマンの論文"Ueber die Fortpflanzung ebener Luftwellen von endlicher"が1860年で、Rankine-Hugoniot理論のRankineの論文が1870年。このへんが圧縮性流体力学の始まりと思われる。

エントロピーという名前が作られたのは、1865年らしい。熱力学と圧縮性流体力学が同時進行で形成されていたものと思われる。熱力学は蒸気機関の研究から生まれ、圧縮性流体力学も、エンジンの解析は重要なテーマの一つなので、本来、分裂してるべきではないのだろう。

20世紀初頭の論文をいくつか見ても、局所的に定義された内部エネルギーやエントロピーは、出てこないように思う。探した範囲では、1922年のドイツの論文(1929年の英訳Impact waves and detonation. Part I)に、空間一次元ではあるけど、局所的に定義されたエントロピーなどが現れている。1920年代には、こういう定式化はあったらしい。誰が始めたのかまで追跡していない。

形式的に3次元に拡張することは容易かっただろうが、解を求めるのは、普通のEuler方程式やNavier-Stokes方程式より難しいし、一次元系の扱いが多い。今の圧縮性流体力学の教科書も、一次元的扱いが中心になってることが少なくない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?