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宝物を捨てられた話

二十代の頃、好きなデザインを見つけてはそのデザイナーを探し、その人のデザインを探し、文字の組み方、色の使い方、とにかくいろいろ研究して学んだ。時に同じ手法を実践に取り入れたりなかなかのハマりようだった。

その方は当時、大きな代理店から独立してデザイン事務所を構え、業界の冊子などでもたびたび取り上げられていた。ブームだったんだと思う。そんな中、その事務所が求人を出しているとのことで無謀とわかりつつ作品集と履歴書を速攻で送ったもんだ。当時東京に引っ越す、働くということの大変さなんか考えもしていなくて今思えば全てが無鉄砲だったな・・・と(笑)

結果はもちろん落選だったのですが、僕の作品に対するアドバイスが2行だけ書いてあってそれがとても励みになったし、今後のデザイン制作にも大きく影響した。とにかく恋心に似たような心境だったと思う。

そこから手紙やメールでのやりとりが続いて、とある飲料会社の駅貼りポスターがすごいカッコ良くて「それが最高でした」みたいなことをメールしたら後日そのポスターが一式届いた。B倍サイズ(1030mm×1456mm)というとにかく巨大なポスターだ。イラストも当時テレビでも取り上げられるくらい有名な人、世界的にも有名な飲料会社。デザインも不可能じゃないか?と言われた表現が実現されていて、そんな神のようなデザインが目の前にィ。ノベルティや電車用の中吊りポスターなど全部で10枚くらいあったんじゃないかな。ものすごい興奮した。当時の沖縄はモノレールや駅がなかったのでB倍サイズの印刷物なんてなかなかお目にかかれないし、沖縄にも無かったんじゃないかな。会社に持っていくと製版のチームやデザイナーがワーっと寄ってきて、東京のデザインや印刷に興奮しながら、ルーペなどで細かいところまでチェックしてた。ふふんどんなもんだい。

これを見た人たちには良い刺激になったんじゃなかろうか。
両親も同じ業界にいたので、この「事件」に驚くばかりだった。当時「神対応」なんて言葉はなかったかまさしくそれだった。ひとつ問題だったとすれば、ポスターを丸めてなかったので大きな板状の段ボールケースがデデンと狭い我が家に置かれ、なかなかスペースをとっていた。

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いつかこのポスターが貼れる家に住みたいなと思ってて数年が経過していた。
印刷所を辞め、フリーになってから縁あって上京し、賃貸マンションに住み始め「時は来たっ」と感じた。いよいよ数年前にもらったポスターを自分の部屋に貼る時が来た。この時のためにあのデカすぎるポスターたちを大事に取っておいたのだっ。ということでいつぞやか帰省した際に、そのポスターを配送料いくらかかっても良いから東京に送ろうと決意し実家に向かった。

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で、ポスターが入っているらしきあの段ボールの板が見つからない・・・・。
母親に聞いても「ほ〜ん」というハッキリしない返事。父親はこういうのには手をつけないので知るはずもなく、自分の部屋(その時は倉庫と化していた)の奥にでもあるかなぁと思ってたら食卓に見た覚えのあるノベルティが。
そのノベルティは袋に入ったコースターでポスターにびっしり貼ってあり、道ゆく方に自由に持っていってもらうというキャンペーンのノベルティだった。
もちろん1枚も剥がしたことないのに、なぜ食卓に5〜6枚あるんだ?袋を見るともちろん剥がした跡が・・・。

その瞬間察したわけだが、「ほ〜ん」とフガフガ返事した母親がポスターを破棄してたのだ。信じられなかった。とにかく怒りというよりとても悲しくなりまして。なぜ捨てたと問うても何かスッキリしないことをグダグダと・・・。すんませんの一言もあれば若干救いもあったんですが、同じ業界にいた経験を持つ母親はこれの価値を知ってたはずなのに俺に確認もせずそれを処分したってところね。とにかく泣きましたよ。たかがポスターと思うかもしれないが、あれはほんと宝物だった。食卓にあった数枚のコースターだけ奪い取って実家を後にしました。今でもそれだけ持ってます。

よく「嫁が旦那のコレクションを買ってに処分して修羅場」なんていう話を聞きますが、とにかく後にも先にも親を恨んだのはこの時だけです。これは一生忘れないでしょうね(笑)そして本人はもう忘れてるでしょうね。あ〜悲しや。

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