素人と演劇 そこに何があるのか

素人と演劇 そこに何があるのか

学びの場めぐり

問い
・素人が演劇をやることによってどんなことが得られるのか

・教える側は何を得られるのか 

2018年1月13日(土)

 劇団このしたやみの俳優広田ゆうみさんがファシリテーターとなって、俳優でない人がテキストを持ちながら朗読し、演技をする「読書会」の公演があった。この場での学びとはなんだろうか。公演の後に出演者と広田さんにお話しをうかがいました。

 この読書会は、もともとは同志社大の企画だったものがそこから独立して続けられているものであるそうです。

 朗読劇をやる人たちは週に1回練習のために集まります。この劇をやることで、息詰まるような普段の生活も楽になり、なかにはこの発表会が自分のライフラインだという方もいました。

 メンバーは普段から友達づきあいをしているわけではないけれど、ここでお互いに安心して関わり、相手を理解している間柄だということでした。

 支えあいなどというとがっちりした絆を作りあうみたいなイメージですが、ここの方たちはそういう感じではないのが面白いです。直ちにお互い助けあう関係性である前に、このような軽やかに人とお互いを大切にする関係性を持てる場がたくさん増えればいいんじゃないかなとも思いました。

でも参加者はいいとして、俳優である広田さんがなぜそこまで時間を割いて素人に付き合うのかと思いますよね。

広田さんは、誰もが技術を超えた表現力、その人自身から浮かび上がってくる深いあらわれをもっていることに気づいたそうです。誰にも真似できないその人を見るとき、その人を確かに人として好きになれるという発見があった。そのことは広田さんにとって自分自身の回復の過程にもつながることだったのではないでしょうか。

<問い> 素人が演劇をやることによってどんなことが得られるのだろうか

 演技というと自分でないものを演ずることのようにも思われますが、むしろ演技のなかで自分をのびのびと表現できるという声がありました。そこでのびのびした自分を感じることで余裕が生まれて、自分の気持ちに気づきながら日常をおくりやすくなった。すると読書会以外の日常の世界も少しずつ広がり豊かになっていったそうです。このお話しを聞くと、本当の自分の気持ちを抑えなければいけない場面が多くなってしまうなら、むしろ日常のほうが自分でないものを演じているということになるのではないかなとも思いました。のびのびと自分の思うところを演技で表現することは、役割を演じなければいけない日常から離れて、自分の感覚を取り戻すことでもあるようです。

 またこの場で生まれる信頼関係、お互いを生かしあう関係があるけれど、同時にみんながみんな頻繁な付き合いになり、日常でもしっかりスクラムを組んでいるというふうでもないということも興味深いことだと思います。絆という言葉は、もともと犬や馬などの動物を繋ぎとめておく綱のことを指していたとも聞きますが、人間関係ががっちりと組みあいすぎているためにちょっとしたことがお互いに影響しすぎてしまい、そのためにそれぞれの複雑な心の機微を表現することがかえって難しいということにもなるのかもしれません。ここはむしろお互いを解きほぐす関係であって、それが今のこの社会のなかでとても重要なことなのかもしれないなと思いました。

→自分の思うところを通してのびのびと演じることは、自分の感覚を取り戻すことにつながるようだ。

→日常のしがらみが関係ない関わり、かつ信頼関係がある場で心はより解きほぐされるようだ。日常を一緒しない人とも信頼関係は作れるし、そのことで得ることも大きいようだ。


<問い>教える側は何を得られるのだろうか

 学校の授業などで、もし毎回同じ講義ノートを読むだけの先生がいたら、その先生はお金をもらっていても自分自身は何も面白くないのだろうなと思います。飽き飽きしていて、少しでも負担を減らすために最小限のものを繰り返す。そうではなく、何かの活動に関わることで自分自身に面白い変化がおこるということなら、嫌なことで得たお金を使ってまた別の時間や場を買うことをしなくても、そのままその活動をすればいいのだろうと思いました。
 広田さんは自分が人を好きになれるということをここで発見した、そのことで楽になったとおっしゃられていたように思うのですが、素人の人と一緒にやることは普段やられている活動では見えないものが見えるのかと思います。技術を高め切磋琢磨する俳優だからこそできることがある一方で、素人であってもある部分では俳優でもかなわない雰囲気やたたずまいが現れてくる。その人間の不思議さ。技術をこえた人間そのものとしての人の姿。それは広田さんが普段は俳優であるからこそより明確に見えることなのかもしれないなと思いました。

→俳優である広田さんにとっては、才能や身につけられるものをこえた人間のありよう、人間とは何であるかということを見ることができる場であり、そのことが自分自身をどう認識し、どう感じるかをも変えるということでエネルギーや時間を投じてなお得るところの大きいものになっているのではと思います。

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