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モーニング・サービス

 宿題をすべて片づけて、安心して眠りたいと思う。けれども、片づいたと思ったら現れる。片づけるほどに散らかっていく。根本的には、何が宿題なのかがわかっていない。問題がわからないのだから、解決困難だ。物心ついてから、ずっと仮眠しか取れていないように思える。本当に安らかに眠れるのは、死んだ後かもしれない。眠りと死は、似ているようで真逆だとも思う。決して死を望んでいるわけでもないし、憧れるものでもない。死は生きているものにとって、あまりにも未知だ。



 自転車を置くスペースがないと到着してから気がついた。細い道で人とすれ違うのに時間を取られすぎた。発車の時刻まであと5分しかなかった。さよならを言ったのだ。今更戻るわけにはいかない。落ち着け。自転車は案外小さくて軽いじゃないか。ポケットに入るじゃないか。ぱっと開けた空もすぐに曇る。ポケットに入るのは鍵の方だった。駐車場の隅に置く? タクシーがバックしてきて押しつぶされる。定食屋の前に置く? メニューの書かれた看板の邪魔になり撤去される。無惨なイメージばかりが湧いては消えた。

「駐輪か?」
 突然、くわえ煙草の男が声をかけた。ずっとこちらの様子を観察していたのだろうか。

「あるで」
 思わぬ助け船だろうか。

「西の方や。あるいはもっと東か。九州か東京の方やな」

 聞くだけ無駄だった。僕はふっと笑うしかなかった。もう時間がない! その時はその時だ。歩道の端、ガードレールに押しつけるように自転車を置いた。自転車の運命よりも自分の旅を選んだのだ。鍵をポケットに入れて走り出した。

「悪くない」
 煙草の男が僕の選択を支持した。

「ありがとう!」
 改札を飛び越えて階段を駆け上がる。2番ホームへ渡るとベルの鳴り響く列車に飛び乗った。

「切符をください!」
 ちょうど乗り込んだ車両に車掌が歩いてきた。

「どちらまで?」
「東京まで。朝食付きで」
「かしこまりました」

 車掌がポーチの奥に手を入れて切符の準備する間に、僕は呼吸を整えた。扉が閉まる。ゆっくりと列車が動き出す。

「やっぱり朝食は明日で」
 家で食べてきたことを思い出した。

「ああ、やっぱり今日だけの切符で。朝食はなしで」
 色々と慌てたせいで頭の中が少し混乱していた。車掌は黙々と切符を作る作業に集中していた。

「Jカードをお持ちですか?」
「はい」
 僕は財布の中からゴールドJカードを差し出した。

「朝食もお付けしましょう」
 特別なサービスなのか、既にできてしまったからそうしたのかはわからなかった。少し気持ちが高揚していた。走ったせいで少しお腹も空いてきた。サンドウィッチくらいなら。僕は甘えることにした。

「ありがとうございます!」
 新しい扉が開きそうな予感がした。

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眠れない夜に

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