考えるとは

自分の頭で考えるということは、君は当事者になるということだ。

「君はどう生きるか」鴻上 尚史

私は、今年で22年目となるが、個人事業主をやっている。職業はトレーニング指導者で、主な活動場所は高校生や大学生の部活動のサポートである。

ほぼ、全てのチームに、私と同じ役割の人がいなかったので、20年前も、今も、トレーニングプログラムを考えるのも私、どうやって選手たちのモチベーションを上げるかを考えるのも私、先生方とのコミュニケーションをどうとるかを考えるのも私、もちろん、確定申告をするのも私だ。

当たり前だが、私が考えない限り、仕事として成り立たないのだ。
冒頭の鴻上さんの言葉を借りるならば、当時者そのものだから、自ずと考えていたのだ。

一方、選手たちはどうか。
もちろん、これまで関わってきた選手は大学生から小学生までいて、レベルも将来日本代表になった選手から、その競技は、学生時代で終わりで、かつ一回戦でも勝てれば十分な選手まで、様々である。

そんな、選手たちと関わる中で、何度となく、
「もう少し、自分で考えろ」と思ったことかわからない。日本一を目標とする大学生にさえ、そう思うことは、しばしばあった。

そうか、私と彼らとの決定的な差は、この「当時者」意識というやつだったのか。
逆に言えば、当時者意識を持つことができれば
、自分で考えていたのだ。

さあ、問題は、どうやってこの当事者意識を持たせるかだ。

考えることをしない選手の理由の一つはわかったが、問題は、どうしたらよいか。

こればかりは、やはり自分の頭で考えるほかないようである。

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