現在の日本社会に足りないものはユーモア

麻生さんが、また失言したようだ。
なぜ、麻生さんは、失言が多いのだろうか。
その一つの理由に、麻生さんはユーモアというものを履き違えているからではないか。
まあ、でもそれは麻生さんに限らず日本社会全体に言えることのように思う。
お笑いの多くも、誰かをバカにする事や、イジることで笑いをとっているものが圧倒的に多い。
政治家も、お笑い芸人も、ユーチューバーも、会社の上司もしかり。
そんな環境で育った子どもたちは、当然の如く、自分以外の者、特に自分より弱いと思われる人に対して、そういう態度をとる。その際立ったものが、ネットでの匿名での誹謗中傷ではないだろか。

では、麻生さんが持ち合わせていないユーモアとは何か?

「教養という言葉にもだまされないほうがいい。気をつけなくちゃね。たとえばオジイサンを見て、この人にも若い時があったんだ、自分もいつかオジイサンになるんだな、そう思える奴は教養があるんだ。目に見えるものだけで、その人を判断する。それが無教養なんだ。はじめからオジイサンだったオジイサンはどこにもいない。別な言い方をすれば、自分にも悲しみがあるのだから、他人にも悲しみがある。他人の悲しみが分かる奴は教養があるんだ。教養があるとね、ユーモアがある。 ユーモアこそが人間の最大の武器なんだ。」 『オゥッス高校野球』吉川 良

高校野球部時代に、監督の友人で作家の吉川さんが、我々の大島での春合宿に参加したときに話してくれた言葉だ。

吉川さんは言う。おじいさんを見て、いつか自分もおじいさんになるんだ、その人にも若い時があったんだ、そう思える人が教養があるのだと。
言い方を変えたら、自分に悲しみや喜びがあるように、他人にも喜びや悲しみがあることがわかる人が教養があると。
そして、教養があるとユーモアが生まれると。

つまり、麻生さん、そして残念ながら今の日本社会に決定的に足りないのは、ユーモアのように思う。

政治家や教師やコーチのような立場の人にこそ、ユーモアが必要であると思う。

私もトレーニングコーチの端くれの1人である。
ましてや、関わっているのは中学生から大学生という成長過程の若者達である。
彼らがユーモアある人になるためにも、私がユーモアのある人でありたいと思う。

簡単なことだ。
他者をリスペクトする気持ちがあればよいのだから。



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