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等価交換は自分の世界の選別

最近は日々自分の世界から嫌な人を消す作業にいそしんでいる。

例えば隣にコンビニがあるのだが
そのコンビニの店長?の婆が
昔から癇に障るうっとうしい奴で

押し売りしてくるわ

自分の機嫌でコロコロ態度変えてくる

へりくだったり高圧的だったりなれなれしかったり

行くたびにイライラしてたのだが

隣なのでタバコを買いに行くときにどうしても使っていた。

だが、もうそのコンビニに行くのをやめた。

ちょっと離れてしまうが他にもコンビニはある。

使わなくなったら平穏が訪れた。

違うコンビニはただ、淡々とレジをしてくれる若者だ。

素晴らしい。

営業職では愛想がないだの言われるのであろうが
私のような人間には素晴らしい店員だ。
それに、このご時世、無駄にニコニコしていたら
勘違いする人もいるので危ない目にも合ってしまう。
態度が悪いのは嫌だが
ただ淡々と仕事をまじめにしてくれれば
それだけで素晴らしい店員なのだ。

私はコンビニを変えることで
また一つ嫌なやつを自分の世界から排除したw
意外とこの作業は日々の小さなイライラを排除できるのである。

人はついわかってはいるが面倒になって
嫌なやつがいるが
習慣になってしまうとそこを利用してしまう
回遊魚のようにパターンになり
マーケティング作戦?的なものにまんまとはまってしまうのだが

よく考えると嫌な店員のいるところにわざわざ行ってるのは自分なのだ。

あっちが家にずかずか入り込んでいるのではない。
もう行かなけれはイライラしなくて済むのだ。

ただこの方法をとると等価交換が必要となる。
この場合少し離れた距離まで行かなければならない。
イライラをとるか、距離をとるか。

会社でのことだと孤独を確保したのは
婆との二人仕事をを私がすべてするという形で
成り立っている。
相手が基地とはいえ自分の都合のことなので
潔く辞めるつもりだったが
会社が提案してきたのもあり、それに乗った
私にとっては嫌なやつとかかわるより
仕事量増えるほうが100倍幸せなので仕事をとることにより
心の平穏が保たれる。

やはり等価を差し出さねば思いどおりの世界にはならないが
現状は満足している。

でも私が嫌なやつが皆悪い人間という意味ではない。
誰かにとっては愛すべき人たちなのかもしれない。
ただ、私にとっては嫌な人なので
私の世界にはいらない。
お互い嫌な思いすることなく自分の選択でいなくなるのであれば
それにこしたことないだろう。

この年のなってやすりで魂を磨きたくない。
やわらかい心地いい布で魂を大事に磨きたいのだw



な~んにもやることがない時・・どうぞ↓


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