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愛すべき孤独と承認欲求との闘い

前回の因果応報との戦いの末

完全なる…まではいかないが自由を手に入れた。

広い職場なので時間をずらせば下手したらもう一生合うこともない。

存在はしてるが自分の世界から姿が消え失せたらもう内にも等し。

孤独。

なんと素晴らしい状況だ。

こういうnote的なクリエイティブな活動をなされてる方々は

理解者が多いと思うのだが

そうはいっても、SNSで言うのは矛盾極まりないですなw(スイマセン)

でもこういうとこは距離感があるからw

一般的な方々には

この孤独が素晴らしいという感覚がわかってもらいにくい。

何とか会話するために個人の情報を根掘り葉掘り聞いてくる人たちに

嫌悪感すら感じる自分のタイプは

一般社会で生きていくのは大変困難な

大分難あり人物なのだが

孤独=寂しい悲しい

と脳内変換されている人とはどうにも相まみれない

「人は一人じゃ生きていけないよ」

などと昔からほぼ洗脳に近い言葉だが

私には

「ゆうこと聞かないと孤独になってしまうぞ、孤独は悲惨だぞ」

という脅し文句のようで違和感があった。

そして孤独ってあかん事なんだ・・

友達がたくさんいるほうが人として上なんだ・・・

と無垢な少女は気の合わない友達付き合いをし

ストレスと虚無感な青春時代だった。


でもある出来事ですべてを切った。


とたん

世界が自由になった。

誰にもあわせなくていい。

しょうもない小競り合いもない。

私の中では

孤独=ストレスなく一人でいろんなことができる

あわせなくていい、自由!

そうその時認識された。


ので、

その時からパートナー以外プライベートは生身の人間と交流しない。

必要に自分の世界に踏み込まれるのは嫌いだし

私も踏みたくないので。

一人で自分の世界をジグソーパズルのように一つ一つはめ込み

完成するのが楽しい。

ジグソーパズル途中、他の人にされたらやる気なくなるでしょ?

そんな感じで自分のジグソーを一人で完成させたいのだ。

もちろん、モノづくりの方たちはいろんな人から刺激を受けて

よりよいものを創造していくのがよいとされているし

実際そうなのだろう。

しかし、私の作品は完全なる自己満足であるので

成長もなく上達もなくお金にもならない。

世間のニーズに合わせてこそ商売は成り立つものであるから

お金にならないのは当然である。

だがそれでいい。

その感覚は本当にそう思っている。

問題は

こんな私の中にも承認欲求というものがあることだ。

作品を作ってるときは楽しい!

だが

大体自己満足でいいならSNSに投書などせず

死ぬまでこもってかいてればいいのだが

だがインプットしたものをアウトプットしたい・・

それを誰かに見てほしい・・・


そういう欲求がなぜか自分を苦しめる


この感情をなくしたいが

どうやらこの感情は難しいらしい。

なくすのではなく認めることだと書いてあった。

完全に認めているが一向にモヤモヤが改善されないので

この感情は一生持ち続けて生きていくしかないのだろう






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